Re: Writing Machine

Teoreamachineの小説ブログ

最後の物語 最終回

何日も、悠葦はチャンスを伺っていた、男と妻子が暮らすマンションの近くを車で周り、息子が一人で外に出てくる瞬間を待つ。自分が指名手配されていることをニュースで知っていたので、とにかく慎重にやらなければならず、警察に怯える毎日だった。帽子を目…

最後の物語 その13

気がつけば、また車でずっと長い距離を走っていた、ただ衝動的に、彼は遠くへ逃げたのだ。助手席には、血のついたなまくらの包丁がおいてある。母親の両眼を切り裂いた後、彼は極度の興奮状態にあり、包丁を握りしめたまま車に乗り込んでしまった。彼は人目…

最後の物語 その12

そして彼は、20年ぶりに自分の生家に戻ってきた。それが同じ場所に同じように残っていることにいくらか驚きつつ、近くの公園のそばに車を停める。当時ですら古びていたアパートは20年経った今では無残なくらいにみじめな見た目になっており、壁は乱雑に…

最後の物語 その11

風はだんだんと強くなり、遠くからたたなづく薄墨色の雲はまたたく間にカラスの大群のように真っ黒になって広がる。道は混んでいて、赤信号に何度も捕まった。家までまだ15分はかかるだろうかというタイミングで、空がひび割れるような雷の音がして、どろ…

最後の物語 その10

(フィリピン海上で発生した台風12号は北上を続け、7日土曜日には南西諸島を通過し、その後西日本へと上陸する見通しです。今日10時現在大型で非常に強い台風となっており、推定値は中心気圧が930ヘクトパスカル、最大瞬間風速70メートルです。こ…

最後の物語 その9

地響きを聞いていた、骨の髄そのものが微かに震えているような感覚と同時に、はるか地の底から、大蛇の蠢きのような、苦悶する男の絶唱のような、音が聞こえていた。夜半闇の深い時刻にそれが身体を縛り震わせるとき、精神もまた囚われて悪夢に飲まれてしま…

最後の物語 その8

誰かが遠くで、短く鋭く、炸裂するような叫びを上げているのが聞こえている。それが自分の叫び声だということに、悠葦は気づいていない。熱くなった体を、膨れ上がった心臓が何度も打ち鳴らしている。ハンドルを握る手は震え、死を前にした獣のように荒く息…

最後の物語 その7

急ブレーキを踏んだ。体が前に飛び出し、頭をハンドルにぶつけそうになる。ゆっくりと顔をあげると、そこには猫が一匹いて、悠々と目の前を横切っている。車に轢かれそうになったことなど気にも留めていないといった態度で、悠葦の正面まで来ると、こちらを…

最後の物語 その6

「行ってこいよ」 先輩から言われるままに悠葦はバンの助手席から降り、荷室から手早く目的の物を見つけると、それこそ放たれた矢のように、家の玄関めがけて飛んで行く。 __すいませんお届け物です。ここにサインを……あ、ハンコですね、じゃあここに。………

最後の物語 その5

椅子に座りながら、悠葦は時計の秒針を目で追う。周囲の何事にも無関係に、時計は自らのペースで進み、それによって周囲を動かしていく。それとは全く反対に、周囲の誰もが自分の意思とは無関係に、彼らのペースで話を進め、それによって自分を動かしていく…

最後の物語 その4

「遊ばないのか?」 ヨシオ、とみんなから呼ばれている男の子が、悠葦に話しかける。壁を背に体育座りをしている悠葦は、ふっと顔を上げてそちらを見る。一瞬ヨシオについて行くようなそぶりで立ち上がって歩いて行くが、急に気が変わったかのようにヨシオか…

最後の物語 その3

目を覚ましたとき、周りには誰もいなかった。天井はのっぺりとして真っ白で、それが限られた視界の全てだったから、茫漠として空のように見えていた。それはもしかすると彼が母親から産まれた瞬間に見た光の洪水に似た光景で、だから自分が今までとは違う世…

最後の物語 その2

「悠葦__」 ガラス戸がゆっくりと、静かに開いた。寒くて震えていた悠葦が顔を上げると、姉が部屋の中から現れて、ベランダへ出てくる、慎重に、音を立てないように。 「お父さん、もう寝るとこ行っちゃったからね」 姉は悠葦に微笑みかけ、ウサギのぬいぐ…

最後の物語 その1

同じ問いがかけられている。主人公は追放に値するのか? 神話はつねに「そうだ」と答える。聖書の物語は「そうではない」、「そうではない」、「そうではない」という。オイディプスの生涯は追放で終わり、その決定的な性質が彼の罪を確証している。ヨセフの…

僕らが何者でもなくなるように 最終回

それから何がどうなったのか、僕はその全体像を知らないし、そもそも、うまく整理することすらできていない。だから、僕にできるのは淡々として事実を述べるくらいだ。ノリマサは救急車で運ばれたが、とっくに手遅れだったらしい、病院に着くまでには、命を…

僕らが何者でもなくなるように その15

再び、僕は夜の中へ転がり出る。アヤカとノリマサとタカユキを探して、必死で走り回った、なかなか三人を見つけられずに、もがくように手足を動かす。息は上がり、呼吸のたびに、暗闇が肺に沈殿していくようだった、何か、取り返しのつかない酷いことが起こ…

僕らが何者でもなくなるように その14

「何の用だ。いきなり」 最初に鋭い口調で言葉を投げつけたのは、タカユキのほうだった。ノリマサのあまりにぶしつけな登場に、あきらかに怒りを感じているようだった。僕とアヤカは、何が起こっているのか状況がつかめず、横でじっと見ていることしかできな…

僕らが何者でもなくなるように その13

夜は、僕の行く手を塞いでいる。僕の身体と呼吸を蠕動する闇の襞が飲み込んでいく。それはひとつの眩暈で、夜は無を掻き立て人から存在の衣を剥ぎ取る。無の中で、人は両翼のように時間と空間を捉えようと想像力を広げるだろう。そこでは光が、むしろつまづ…

僕らが何者でもなくなるように その12

もらった本をバッグにつめて、僕はアヤカの部屋を出た。何か助けてあげられることはないかとか、タカユキに連絡すればしばらく逃げられる場所くらい確保してくれるんじゃないかとか提案してみたのだが、アヤカは何度も「大丈夫」だと繰り返すだけだった。心…

僕らが何者でもなくなるように その11

とうとう週も明けて、人の生活のもう一サイクルが始まったころになって、ようやくアヤカから連絡が来た。特に自分の今までの状況についての説明とかそういうものはなかった、ただ、明日の昼過ぎにでも家まで来て欲しいのだという。あまり元気はなさそうだ。…

僕らが何者でもなくなるように その10

それから週が変わって、仕事も落ち着いたので、約束通り僕はアヤカに連絡を入れる。けれども、アヤカは少し待って欲しいと返事をよこしてきた。普段のアヤカの人懐っこさはなくて、手短かでそっけないくらいの態度だった。何か妙だなと気にはなったが、とり…

僕らが何者でもなくなるように その9

僕の家の前でタカユキは、出口のちょうど正面に助手席が来るように車を停めていた。けれども、僕は後部座席のドアを開け、猫のように何食わぬ顔で乗り込む。「前に座らないのか」と言うタカユキに、「後ろの方が広々としていていいんだ」と僕は答えた。車を…

僕らが何者でもなくなるように その8

僕はノリマサを許したのか、と言われると、それはよく分からない。ノリマサは終始三年生の側だったのだから、別に僕らは裏切られたわけではない。僕らは正義と公正さを重視して、ノリマサは保身と権威を重視していただけのことだ。強い恨みを持っていたわけ…

僕らが何者でもなくなるように その7

たぶん、僕はこの辺で、僕らがまだ一緒にいた過去に、ノリマサとタカユキとアヤカの間に、何が起こったのかを言っておくべきじゃないかと思う。アヤカが言ったように、僕らは無知で無自覚だった。だが何に対して無自覚だったのか? 欠落に対して。いや、そう…

僕らが何者でもなくなるように その6

思いがけず、タカユキをアヤカに繋ぎ、ノリマサをタカユキに繋ぐ、なんていう役どころを担ってしまった。 どちらもなんとなくやりにくい話だったが、僕はとりあえず、先に話を聞いていたし、かつ、どちらかといえばやりやすい、アヤカのほうへ話をもっていく…

僕らが何者でもなくなるように その5

どんなふうにアヤカに連絡を取ろうかと僕は考えていた。僕とタカユキと三人で飲みに行こうと言えば、なんでだと理由を聞かれるかもしれないし、かといってタカユキが来ることを黙っているわけにもいかない。しばらくああだこうだと考えていたが、結局、スト…

僕らが何者でもなくなるように その4

あれこれ話してからどうにか最終的にはノリマサを帰らせた後、いちおう会場に戻った僕を、タカユキは一人で待っていた。 「待っててくれたのか?」 タカユキがうなずく。 「すまなかったな、世話かけて」 「まあ、あの状況でノリマサをどうにかできるのは、…

僕らが何者でもなくなるように その3

「ソウスケ!」 パーティー会場に現れた僕を、タカユキは目ざとくも一瞬で見つけて名前を呼び、肩を抱いてきた。 「久しぶり」 そう返した僕のあいさつは、どこかぎこちない。タカユキに会うのが久しぶりすぎて、なんだか初対面の相手に人見知りするような感…

僕らが何者でもなくなるように その2

人がこの世に生まれてきたとき、その人の人生は、いったいどのくらいが、あらかじめ定まっているものなのだろうか。どんな国の、どんな地域の、どんな集団の、どんな親の子供として生まれてくるかによって、それはどのくらい決められてしまうのだろうか。あ…

僕らが何者でもなくなるように その1

懐かしい人から連絡が来た。かつての同級生。久しく途絶えてなかった交流であっても、その名前と言葉を聞けば、いろんなことが鮮やかによみがえる。記憶が、記憶の中でもとりわけ感情と結びついているような、淡い色彩を帯びたような記憶たちがよみがえって…