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Re: Writing Machine

Teoreamachineの小説ブログ

『君を想う、死神降る荒野で』 その11

 

 レベーターは音も立てずに上昇し続ける、ひどく緩慢なペースで、いったいどのくらいの高さまで来たのか分からない。中は単に鏡張りになっているだけで階層の表示すらない。かつては東京ヘブンズゲイトへの直通エレベーターだったのだろう、しかしこの速度はあきらかにおかしい。まるで何か意思をもった存在が、自分たちをエレベーターに招き入れ、そしてどこかへ案内しようとしているかのようだった。

 「これ、大丈夫なのかな」

 エレベーターの天井を見上げながらタチバナがつぶやく、そこに映っているのは、結局自分とゼロシキの鏡像だけだったが。

 「確かに不気味だな。それに、この歌」

 「さっきよりはっきり聞こえてくるね」

 歌は、どんどんはっきりとした輪郭をもって響いてくる。スピーカーなど何処にもないのに、エレベーターの中でも、まるで障壁をすり抜けてくるような臨場感を持っている。

 「しかし、いったい何の歌なんだ?」

 「何だろうね。こんな歌聞いたことないけど、懐かしいっていう感情だけが湧いてくる感じ」

 「ずっと上のほうから聞こえてくるな」

 「そうだね、かなり遠くからっていう響きだね」

 「……もしかして、東京ヘブンズゲイトから?」

 「ってことはやっぱり……」

 「もう幽霊とかいうのやめろよ」

 「だって、そんな感じのことばっかり起きてるじゃん」

 ゼロシキがそれを鼻で笑ってバカにすると、タチバナが舌を出してあっかんべえをしてからふてくされたふりをした。そんなふうにふざけている二人だったが、いやがうえにも高まる緊張感はどうにもごまかしきれない、深い海のそこから浮かび上がるように迫り、皮膚の隅々にまで染みこんでくるような歌、若い女性がハミングしているような、危うくて優しい響きがエレベーターの中を包んでいた。

 「これ、実際に歌ってるのかな?」

 「たぶん違うだろ」

 「なんで?」

 「なんとなく」

 「すっごいリアルだけど。ホントの声としか思えない」

 「東京ヘブンズゲイトに人がいるってのか? 何年も外との世界との接触がないのに、いったいどうやって生きてるっていうんだ」

 「でも、そこに何があるのか誰も見たわけじゃない」

 「そりゃ確かにそうだけど……」

 それから二人は、しばらく黙っていた、今さら戻るわけにもいかず、ただ、川の流れに翻弄される二枚の葉のように、エレベーターが自分たちを運ぶがままにさせている。そのうち、ひまを持て余したかのようにタチバナが聞こえてくる歌を覚えてしまい口ずさむ。

 「やめろよ、何か気持ち悪い」

 「この歌、妙に覚えやすいから。何かずっと前から知ってたような気がしてくる」

 その歌が作り出す、独特の雰囲気は、エレベーターが東京ヘブンズゲイトに近づくほどに濃度を増していく。歌を聞くほどに、頭はぼんやりとして、現実感を失い、そしてゆっくりと体が浮き上がり、夢の中へと誘い込まれていくような感覚になり始めた。

 「……妙だな」

 ゼロシキが呟いた瞬間、異変は起こった。突然、頭の中を、鮮やかな色彩を帯びた影が突き抜けたような気がして、一瞬だけ目まいに襲われる。

 ――何だ?

 もう一度、その影は戻って来る、記憶らしきもの、顔はぼやけているが、誰かがこちらに微笑みかけている。しかし、そこに現実感はない。にせものの記憶、ゼロシキはそう感じ取っていた。胸の奥底がだんだんと暖かくなってくる、まるで、誰かが妖術で人間の感情を揺さぶろうとしているかのように、遠くから及ぼされる力が、体の中心に侵入し、心を捕らえようとうごめいていた。

 「変な感じがしないか?」

 ゼロシキが横にいるタチバナに話しかけるが返事はない、見ると、さっきまで平気な顔で歌を口ずさんでいたタチバナが、突然床にうずくまり、頭を押さえていた。

 「おい。どうした?」

 タチバナは青ざめ、ふるえていた。目はうつろで、今にも正気を失いそうになっている。ゼロシキは慌ててタチバナの両肩をつかんで、タチバナの意識をつなぎとめようとした。

 「どうした?」

 「……頭の中に何か入ってくる! ……これ……は……私の記憶、私の、家族の……」

 「おい、大丈夫かよ」

 「急に……記憶が……痛い、頭、痛い……。何か……家族の……記憶が全部、凝……縮、され……て」

 徐々に、タチバナの頭が下がってくる、眠りに落ちようとしているようにも見えるが、気を失いそうになっているようにも見える。ゼロシキは舌打ちをして、何とかタチバナの意識をつなぎとめようと声をかけつづけた。

 「記憶……が、一気に頭……の、中に……。もうダメ………、たぶん……耐え……られ……ない……」

 とうとう、タチバナがぐったりして床へ崩れ落ちる、もはやゼロシキにできたのは、その体が床に叩きつけられないように支えてやることくらいだった。

 ――まさか、この歌のせいか?

 ゼロシキは、すでに気を失ったタチバナを抱きかかえながら、歌に耳をすます。歌はいつの間にか、身震いするほど鮮明な響きを帯びており、ほとんど耳元でささやかれているように聞こえていた。確かに、凝縮された記憶のようなものが頭をかすめていた。たぶん、自分には家族の記憶や愛着が微塵もないせいで、襲いかかる記憶の弾丸を受け付けずにすんでいるのかもしれない、とゼロシキは推測する。ならば、記憶を持っていて感情にムラがあるタチバナの許容範囲を超え、こんな反応を示したのも無理はない。

 ――とにかく、これ以上は危険だ。

 ゼロシキはまた舌打ちをして、エレベーターを止めるべく、何か緊急停止装置はないかエレベーターの中を注意深く見回してみる。しかし、エレベーターの内部は完全に平坦な鏡に覆われ、どこかそういった装置を作動させるようなものは見当たらない。ゼロシキは観念して、タチバナを床へ寝かせると、《機械》を構えて作動させる。もはや考えられるのは強硬手段しかない。決断すると同時に、《機械》はすでにドリルに変わっていた、ゼロシキはかけ声とともにそれを壁に叩きつけるように突き刺して、鏡をたたき割り、壁を削り砕いて奥深くまで挿入すると、そのままドリルを巨大な鉤に変化させ、壁に食い込ませる。エレベーターはうなり声のような轟音と共に軋み、少しだけ上へずれながら停止する。

 「さて、ここから何とかエレベーターを降ろしていくしかないか」

 ため息をついて、ゼロシキは何とかエレベーターを動かそうとした。だが、それよりも早く、いきなりエレベーターの停止を知らせるシグナルが頭の上で鳴った。つまり、エレベーターがどこかの階に着いたということなのだ。ゼロシキは首をかしげる。嫌な予感がしていた、歌はなおも響いており、無理やり止めたエレベーターは、ギシ、ギシ、と今にも地上へ向かって真っ逆さまに落ちてしまいそうな音を立てている。閉ざされたエレベーターの向こうからは、特に気配もしない、ただ、何らかの存在感が重く陰鬱な雰囲気を持って、迫っているような感じがする。その存在感が、すぐそばに立ったままじっとこちらを見つめ、ゼロシキとタチバナを捕まえようと、ギシ、ギシ、音をならしてドアを開けようとしているような。じっと、身構える。それ以外に、ゼロシキができることはなかった。身を硬くするゼロシキを見て満足したかのように、ドアは突然緩んだ音を出して、スライドする。目の前で、ドアが開きはじめたのだ、その隙間からは、耳をえぐるような強烈な沈黙と、目を焼くような凄烈な闇がはいだしてくる。ゼロシキはその闇と沈黙を正面から受け止め、ドアの向こうの光景に対峙する、それは、全く予想もしていなかったものだった。ゼロシキはただ驚き、どうすることもできず、呆然としてそれを見つめていた。

 ガレキの山、最初は、そうとしか見えなかった。そんな光景が、この世に存在し、しかも自分の目の前に広がっているということを、いくらゼロシキのような人間でも、にわかには信じられなかったのだ。闇の奥、天井からしたたる粘液のような光が、そのガレキの山に向かって落ちていた。そこに、浮かび上がったものの姿を、時間をかけて、ようやくゼロシキは認識する。死体、死体、死体の山。積み上がっているのはガレキではなく、全て人間の死体だった。尋常な数ではない、すぐに数えるのを諦めてしまうほどの、まるで数という要素に還元することが不可能と思えるような、強烈な違和感を、一つ一つの死体が放ちながら、しかもそれがだだっ広い部屋に、天井まで届きそうなほどに積み上がっている。その死体は、全て少年少女のものだった。その死体は、全て首を刈り取られていた。

 ――まさか、戦場で死んだやつらの死体なのか?

 そんな噂はあったが、ゼロシキはもちろん信じていなかった。戦場で死んだ少年たちの、首のない死体を、死神がどこかへ持って帰ってしまう。研究所の人間たちは、まるで戯れるようにそんな噂について話していた。ただ、この光景を見た以上、その噂は事実なのだと認めざるを得ない。この塔に入れるのは、死神しかいないのだ。ゼロシキは身震いして、ただ、ただ、その光景を眺めていることしかできない。足はその場に貼り付けられたかのように、重く、その死体の山の正体をつかむために動こうとはしない。何より、気を失っているタチバナを、エレベーターの中に置いていくわけにはいかなかった。呆然としたままのゼロシキの目の前で、ゆっくりと、あざ笑うかのようにドアが閉まっていく。ほんの一瞬だけだった、それでも、もはや忘れることなどできないほど、その光景はゼロシキの目に焼き付いてしまった。

 そして、また上昇するときと同じくらいのゆっくりとしたスピードで、エレベーターが地上へと降りていく。ずっと、ギシ、ギシ、という音がしていた。歌は、まだはっきりと聞こえていたが、地上へと近づくにつれて、徐々に音が小さくなる。ゼロシキは、まだ気を失っているタチバナの、まるで眠っている子供のような顔を見つめていた、その腕に、《機械》に、微妙な違和感を覚えながら。

 ――何だろう……《機械》が、重い……。

 何かが解決すると思っていた、この塔に侵入し、東京ヘブンズゲイトにたどり着けば、きっと何かが見つかると。しかし、結局はまた、余計な謎を抱え込んだだけだった。この歌も、あの死体の山も、まったく正体のつかめない不気味な不安を残しただけだ。悪寒がする、そして、《機械》は小さく振動していた、しかし、今のゼロシキにとって、その震えは昂揚をもたらしてくれるものではなかった。手が、重く、しびれていた。それまでは鳥の羽より軽く、ずっと肌身離さず身につけていた《機械》が、どうしてもわずらわしく、今すぐにでもはずしてしまいたいとさえ思っている。ゼロシキは、もう一度タチバナを見つめる。さっきまで苦しんでいたのが嘘のように、不思議な幸福感に包まれた顔で、寝息すら立てていた。ため息をつく、ゼロシキは違和感を振り払おうと、《機械》を装着した腕を何度か動かしてみる。それでも、何も変わらない、《機械》は、今までに感じたことがないほど重く、ゼロシキはあきらめたかのように、だらりと腕をぶらさげ、とうとうタチバナのそばに座り込んでしまう。

 

 

『君を想う、死神降る荒野で』 その12へつづく――