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Teoreamachineの小説ブログ

『君を想う、死神降る荒野で』 その12

 

 鬱。荒廃した東京は、どこへ行っても気の滅入るような雰囲気が渦巻いている。死神による虐殺が始まって以来、経済的に少しでも余裕のある人間や地方に親戚のいる人間はみんな避難してしまって、あとに残されたのは貧困層ばかりだった。クロガネはかつて繁栄していたその世界有数の大都市の中を車で走り抜けていく。街を走っている車はほとんどゼロに近い、車を持てるほど金のある人間は、限られた場所にしか住んでいないし、車で外出するような人間もほとんどいないのだ。貧困層ばかりが残された街は治安が悪く、車の周囲には防護用のシールドを張る必要があった。そうしなければ、うっかり停車したすきに強盗に襲われてしまう。政治の中心は関西にすっかり移転してしまい、経済については国内のみならず海外の至る所に分散してしまった。クロガネの研究所はまだ東京に残っていたが、それも少し外れたところに位置している。東京に残ることになった施設等は、数カ所に集中し、治安維持のために周囲を高い壁に囲まれ、武装した警察が常にパトロールを行っていた。その壁の中で、施設に勤務する人々やその家族が生活しており、東京に住む人間は完全に二つの階層に分断されてしまっていた、壁の中の人間と、壁の外の人間と。

 街を走る車の、窓から見える風景は、どこを切り取っても退廃的だった。立ち並ぶビルは全て貧困層に不法占拠され、壁という壁は落書きだらけ、有名建築家がデザインしたかつての高級ブランドのビルなども、卑猥な絵が壁一面を埋め尽くしている。その他にも、街中の至る所、一定の間隔で、最近東京の貧困層の間で流行しつつある新興宗教のシンボルを描いた貼り紙があちらこちらにしてある。何とその宗教は虐殺者の死神を崇めていた。死神が殺しているのは罪深い人間だけであり、その虐殺が終わった後は、選ばれた人間が生き残り、新しい世界を創造するという教義を信じているのだ。罪深い人間とは東京を捨てた人間や壁の中の人間、そしてその宗教を信じない人間のことであり、信者はみんな自分たちだけは助かると教えられていた。

 ほんの少し覗き見るくらいなら、滅びかけた東京のそんなアナーキーな光景も面白いといえば面白いのだが、街中のどこを走っても似たような荒廃ぐあいなので、やはりだんだんとうんざりしてくる。目的地までまっすぐ進んでいたクロガネは、途中の赤信号で停止するはめになる。交通量が極端に少ないため警察も取締などしておらず、通常は無視しても平気なのだが、めずらしく交差点を横切る車に出会い、それを見送っていた。ふと通りに目をやると、周囲をうろつく若い男女のカップルが、じろじろとクロガネの車を見ていた。男は太っていたが、女は拒食症のような痩せかたで、落ち窪んだ目をして、湿った泥の中に潜む虫のようにクロガネの様子をじっと観察している。男は鉄パイプを握りしめた腕をぶらぶらさせていたが、かなりしっかりとしたシールドをまとったクロガネの車を見て強盗は無理とあきらめたのか、舌打ちを一つして、女に何やら声をかけると、ヒステリックに文句を言う女の腕をひっぱってどこかに歩いて消えていった。

 陰鬱な東京を抜け、厳重に封鎖された扉の前で車を止める。扉を警護している自衛隊にIDを照合させて了解を得ると、扉が開いてクロガネは中へ通された。そこからほんの二、三分だけ車を走らせて、少しだけ丘陵になった場所を登り、クロガネはそこで車を停める。周囲には誰もいない、クロガネは車を降りて、絨毯のように柔らかい雑草の生えた地面に足を下ろす。遠くに、荒野で死神と戦う少年たちが見えた。クロガネは何かを考えるようなそぶりでじっとその光景を見つめてから、顔を上げる。そこには、霧のように立ち込める低い雲を突き抜けてそびえる、東京ヘブンズゲイトの塔があった。最近は、何故かは知らず、しかし昔のことを思い出すことが多かった。もちろん、それらのことが頭から離れたことなどない、とはいえ、何か妙な胸騒ぎがするのも確かだった。それはきっと、あの少年のせいなのだ。他を圧倒するような、完全に近い虚無を抱えた少年、もしかしたら、あの少年ならば、この戦いを終わらせられるかもしれない。クロガネは、そこに希望と絶望を同時に見出していた。自分が、果たしてどちらを望んでいるのかよく分からない。どちらにしても、自分が正気でいられる気がしない、この戦いの中でだけ、自分の精神が安定しているように思えるのだ。唇を噛みしめながら、クロガネは東京ヘブンズゲイトを見つめている、全ての始り、そして、全てが終りに向けて突き進んでいく場所。かつて、自分がそこにいたころの記憶が頭をよぎり、それをかき消そうとするかのように、いっそう強く、クロガネは唇を噛みしめた。やはり、あの場所に残る記憶の中で、思い出したいことなど一つもない、きっと、この戦いが続いてくれるほうが、自分にとっては良いことなのだ。鈍く、重く、熱く、激しい憎悪が、腹の奥底から燃え上がり、自分の全てを焼き尽くしていくのを感じていた。

 ――死神よ、もっと、もっと、もっと増え続けろ、そして、もっと、もっと、もっと殺せ、全ての人間が絶望に至るまで、殺し続けろ……

 クロガネはしばらくその場で凍りついたかのように動かなかったが、やがてため息をひとつだけつくと、再び車に乗り込み、エンジンをかける。そして東京ヘブンズゲイトを背にしながら、滅びゆく東京を走りぬけ、研究所へと戻って行く。

 

 

 「お、お、おかえりりり」

 研究所へ戻ったクロガネを、キドが待っていた。突然の来訪に首をかしげながらも、クロガネはキドを自分の部屋まで招き入れる。

 「珍しいな。お前のほうからここへ来るとは」

 「い、いつもクロガネくんに来てもらってるし、たまには、ぼ、僕が行っちゃおっかなって思ったのさ」

 何かあるな、とクロガネは考えながらキドを見た。わざわざ、親愛の情から人を尋ねてくるような人間ではない。ただ、それならそれでメリットがないわけでもない、クロガネにも、キドに聞きたいことがあった。キドに何か狙いがあるなら、こちらも話を聞きやすくなるだろう。

 「どう、どうだい、最近は?」

 「特に、興味深いことは何もない。あの少年も活躍してくれている」

 キドは口元にうっすら気味の悪い笑みを浮かべながらうなずいていた。

 「でも、き、気をつけたほうがいいよお。何といっても、まだ子供だからねえええ。か、か、感情って、っていうやつは、不可解で不安定だからね。理性で抑えこむなんて不合理で不可能なんだ」

 「何か気になることでもあるのか?」

 キドはにやにやしながら首を横に振る。

 「あ、あ、あくまで可能性、ってえやつだよお」

 クロガネは首をかしげてみせる。キドはいつも、何かを隠しているかのような言い方をするのだ。たとえ、実際にはそこに何もなかったとしても。だから、いつも話半分に聞いておかなければイライラさせられるだけだった。

 「私も、少し聞きたいと思っていたことがあったんだが」

 「僕にかい?」

 クロガネがうなずくと、キドは、ヒ、ヒ、と独特の笑いを漏らす。

 「最近思い出したんだが、ナルセに初めて会ったとき、お前から虚無についての話を聞いていたということを耳にしたと思ってな」

 「そ、それで?」

 ナルセ、という名前を聞いてキドは嬉しそうな顔になる。おそらくクロガネほどではないにせよ、キドもまたナルセについてのこだわりがあるようだった。

 「いや、いったいどんなことを話したのか聞いてみたいと思ったんだ」

 「しょ、しょ、正直にいうとおお、あんまり覚えてないなああ」

 「そうか」

 もう二十年以上前のことなので無理はない、と思いクロガネはうなずく、もっとも、キドが真面目に思い出そうとしている様子などなかったが。

 「でも、でもでも、ナルセくんは、虚無っていうアイデアを嫌がってたなあああ」

 「確かに、そうだった」

 「残念無念だねえ、ガックシ」

 「虚無は人間にとって自然ではない、という言い方をしていたな。正直、それがどういうことなのか、未だによく分からないのだが」

 「ナ、ナルセくんはねえ、虚無というのは植えつけられるものだと信じていたんだよ」

 「植えつけられる?」

 「さあねえ。おおよそ、虚無なんて簡単に語り得るものじゃない。か、彼なりの仮説だよおお。ま、まずね、ナルセくんは、欠落というのは社会から植えつけられると考えていたのさ、そして、きょ、虚無もまた、根拠のない欠落として、人間の奥底に植えつけられると思ってた、み、みたいだよお」

 「つまり、虚無とは人間の本性ではないと?」

 「そ、そうだねええ」

 「お前はどう思うんだ」

 「ぼ、僕う?」

 「お前は専門家だろ」

 「ヒ、ヒ、ヒヒ。せ、専門家だから余計に語るのが難しいなあ。理屈はいろいろこねられるよ? でも、ぼ、僕はやはり人間の本性の中に、虚無を作り出すものがあると思うなああああ」

 いまいち、要領を得ない答えだと思い、クロガネはまた首をかしげる。

 「で、でも、良かったじゃない。《機械》は結局、今みたいな兵器になったんだし。ナルセくんがああ、虚無以外のものにこだわってたらああ、い、今でも、《機械》は実用化されてなかったかもしれないよ?」

 キドは、含みのある言い方をした。クロガネは、平静を装いながら、それを鼻で笑い飛ばす。

 「ナルセは、最後まで虚無以外のものにこだわってたがな」

 「イヒ! だから、《機械》が開発されたのは、クロガネくんのおかげなんだよねえええ」

 クロガネは何も答えずに天井を仰いだ。本当に、ナルセは今頃どこで何をしているのだろうか。そして、もし、あのままナルセが研究を続けていれば、《機械》とは別のものが開発されていたのだろうか。

 「それで、何か用があって来たんじゃないのか? まさか、私に会うためだけにこんなところに現れたということはないだろう」

 気を取りなおしたかのように、クロガネが正面を向いてキドに尋ねる。キドの顔に、風に流れる雨雲のような影がさあっと降りて来る。その影は、口元でいっそう暗い薄笑いとして浮かび上がった。

 「あ、は、は。そ、そうなんだよね。君に、ひとつ、お願いしたいことがあってさああ」

 「何か、やるつもりか?」

 良からぬ気配を感じ取り、クロガネは身構える。

 「そ、そ、そ、そうなの」

 「《機械》やあの少年に関係あることか?」

 「フフ、フ。そういうことかなあ。でも、君にもメリットはあるよお」

 「まあ、内容を聞かせてもらおうか」

 「えっとねえ、あの少年なんだけどさあ、スゴク、す、素敵な虚無を抱えてるだろ?」

 クロガネは口元に手を当て、考えるしぐさをしながらうなずく。

 「あの虚無が、もっともっと深かったら、もっともっと、す、素敵だと思わないかいい」

 「それは、《機械》の開発に携わる人間なら誰もが望んでいることだ」

 「で、で、でしょ? それでさ、あの少年はとにかく逸材なんだよ。あんな虚無を抱えた人間はこの世にほとんどいない」

 「だからなんだ?」

 「ウヒ、ヒ、ヒヒ。だからさあ、他の逸材を探すよりも、あの少年の虚無をさらに深めるほうが、ずっと簡単に、しかも《機械》の可能性を最大限に解放できるはずでしょおお?」

 慎重にしながらも、クロガネはそれを認めざるを得ず、キドの言葉にうなずきを返す。

 「それで、何をして欲しいんだ?」

 「イヒヒ! じ、じ、実験、やりたいんだよおおおおお」

 「実験……?」

 「じじじ、じじじ、実験実験実験!」

 キドは、首のもげかけた人形のように首をガクガクと振ってうなずく。

 「具体的な内容を説明してくれ」

 はしゃいでいるキドにうんざりした顔で、クロガネはさっさと話を進めようとする。

 「うふ、ふ♡ 実はねえ、ねえ、ねえ、僕、新しいおクスリを開発したんだ」

 「薬?」

 「そう。おクスリスリスリ。これはねえ、彼の虚無を極大化する作用を持った夢のおクスリなんだよお」

 「危なっかしい響きだな」

 「うん、うん、分かるよお。正確にはねえ、これは人間の感受性を極大化するおクスリなのさ。彼はああ見えて、すごくビンカンなのさ。つまり、その強い感受性が強い虚無をもたらしてるってこと」

 「感受性を極大化すれば、あの少年の虚無も極大化するというわけか。しかし、そんな単純なことで上手くいくのか?」

 「エヘ、エヘ、ヘ。僕の目的は単に虚無を一時的に極大化することじゃないよお。あの少年の虚無の奈落を、さ、さ、さらにさらにどん底まで穿ってやることなのさあああああ」

 「つまり、どういうことだ」

 「つつつ、つ、ま、り。まずはね、彼にこのおクスリをブチュって投与してね、そんでね、ね、ね、ね、何か、強烈な刺激を与えるのさね。そしたらね、極大化した感受性をガッツーンとぶち抜いちゃってね、そのままね、ね、ね、ね、そのショックが彼の中に残っちゃうってわけねねねねね」

 「薬の作用が一時的でも、そのショックはあの少年の中に残るわけだな」

 「そうなの! まあ、彼の場合は、そもそも根源的に説明しようのない虚無が穿たれてるところがあるから、ダメ押しみたいな感じなんだけどどど。そんで、虚無を刺激するのに一番良いのはね、強烈な無力感を与えることさ」

 「無力感……」

 「そう、む、む、無力感! あああ、素敵な響きだなあ」

 いちいち悦に入るキドが気持ち悪くて、クロガネはほんの少しの寒気すら覚える。

 「あの少年に、そういう種類のショックを与えればいいのか?」

 「そ、そーゆーこと。もちろん、肉体的にではなく、精神的にね。た、たとえば、あのコの大切なものを破壊してしまうとかね、それも、あのコが全く、て、て、抵抗できないような状態でね」

 「……悪趣味だな」

 「アハ、アハハハハ! 僕ってそういうヤツだよお。そ、それに、その悪趣味も、じ、人類のためだからねえええ」 

 クロガネは考え込む、もともと、あの少年には何も無い、だから、大切なものなどあるはずもないのだ。それに、たとえ抵抗する力を奪って傷めつけたとしても、すでに強烈な虚無を抱えた少年が、それほどショックを受けるとは考えにくい。

 「簡単な話じゃない」

 「うん、うん、わ、分かるよお。だからさあ、今、スグじゃなくてもいいんだよねえ。じっくり、考えてよお。もし上手くいったら、お、お、面白く、なるよおお」

 キドはどう見ても自分の趣味で楽しんでいるだけで、人類のためとか、そういった考えからはほど遠い。

 「まあ、考えておく」

 クロガネはそろそろ会話を切り上げようと、わざと時間をチェックしてみせる。しかし、キダはそれを無視するかのように、さらに話を切り出してきた。

 「そ、それとさあ。も、も、もう一つ、クロガネくんに、注意しておきたいことがあるんだけどさああ」 

 「注意?」

 「そ、そ。注意!」

 「何のことだ」

 「い、いやね、ど、どうも、ネ、ネズミちゃんがいるような気配があるんだよね」

 「ネズミ?」

 「そ、ネズミちゃん!」

 つくづく、気持ちの悪いやつだと思いながら、クロガネはキダの言うネズミという言葉の意味について考える。

 「つまり、スパイみたいなものがいるということか?」

 「だ、だ、大正解なのだ! ウヒ、ウヒヒ」

 「どういうことだ」

 クロガネは眉をひそめる。

 「さ、さあ? そりゃ分からないよ。で、でもねえ、最近、僕は、どうも周囲をいろいろ探られてるような、居心地の悪さがあるんだよねええ」

 「それだけか。何か情報はないのか? 気をつけるといっても、もう少しそいつのことを把握しておきたい所だが」

 「わ、悪いね。僕に言えるのは、気をつけましょうってなことだけさ。ヒ、ヒ。き、君も、あんまり《機械》についてあれこれ、探られたくはないだろおお?」

 クロガネは黙っていた。何も言わず、キドがいったいどこまで《機械》のことを知っているのだろうかと考える。何も知らないようにも見えるが、そのくせ、常にカマをかけるような言い方をしてくるので油断もすきもない。

 「そっちこそ、精神病院や研究について探られるのは嫌だろ?」

 「ヒヒ、ヒ。そんなことないよお。ぼ、僕は、ちゃんとした研究をしているんだしねええ」

 

 そう言って、キドはこれから用事があると言いだし、思わせぶりな笑みを残したまま、部屋を出ていってしまう。そして部屋の中でクロガネはひとり、ネズミの存在について考えていた。いったい、誰が何の目的で自分の周囲を嗅ぎ回るというのだろう? 《機械》の技術を盗み出すため? しかし、それならなぜキドの周囲まで調査する必要があるのだろうか。キドもかなり危ないことをやっているようだったが、それでもこの非常時であるがゆえに、黙認されている部分もあるはずだった。特に思い当たるふしはない、だが、キド の言うことが本当ならば、用心したほうがいい。クロガネには、確かに探られたくはない部分があった。まだ、自分の仕事を邪魔されるわけにはいかなかった。クロガネはその警戒心を表すように、机にあるスイッチを操作して部屋の窓のブラインドを降ろしていく、光が遮られ、部屋は、ゆっくりと闇の中へ沈んでいった。

 

 

『君を想う、死神降る荒野で』 その13へつづく――