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Re: Writing Machine

Teoreamachineの小説ブログ

『君を想う、死神降る荒野で』 その38

 

 ――いつも、同じ言葉。

 「ああ、そうか」

 急に呟いたクロガネのほうを、ナルセが振り返る。クロガネはハルミの残した電子ノートを手に取って、じっと見つめていた。

 「どうかしたのか?」

 「いや、分かったんだ」

 「分かった?」

 「ハルミが言っていた、このロックを解除するための言葉だよ」

 「本当か?」

 クロガネはうなずく。だが、その言葉を入力するのをためらっているかのように、その指は電子ノートの上をふわふわと漂っていた。

 「どうした?」

 「いや、何か、自分にはもうこの言葉を使う資格などないと思ってしまってな」

 「何を言ってるんだ。早くしないと。僕らにも、そんなにゆっくりしている時間はない」

 「そうだな。ただ、その前に一つだけ、秘密を明かしておこう」

 そしてクロガネが深呼吸をして、目を閉じる。静かだが、思いつめた、何か悲しげな決意を感じさせるしぐさだった。

 「秘密?」

 「そう、私があの死神を生み出すシステムを開発したとき、あれはまだ不完全だった。初めは、キドから紹介された一人の少年を殺して、その少年の虚無を動力源とする装置を作ったのだ」

 「殺しただと?」

 「そうだ、私はすでに、狂気に取りつかれていたということだ。それでもまだ、今ほどの狂気ではない。不完全だったシステムだが、それでも東京ヘブンズゲイトの住人たちを皆殺しにするには充分だった。死神は徐々に地上に降り立ち始め、そして私は《機械》を開発してみせた。だが、死神は弱く不完全であったがために、簡単に全滅させられるおそれがあったのだ。私は、こんなもので復讐を終わらせたくはなかった。ユキの苦しみはこんなものではすまないと思っていた」

 「よく分からないな、何が言いたいんだ」

 「つまり、あのシステムを完成させるには、より強い虚無を抱えた少年が必要だったということだ」

 「……誰か、もう一人殺したっていうのか」

 「そうだ。私はそれだけの虚無を抱えた、強い感情の力を持つ人間を探していた。そして、私がその資格を持つ人間を見つけたのは、ある日、自分の家に帰宅したときだったのだ」

 「馬鹿な! 何を言ってるんだ」

 「それが事実なんだよ、ナルセ。そのとき私が見つけたのは、とうとう病気のせいで自我を完全に失い、ゴム人形のように横たわって、何も考えることができず、何も感じることができなくなった無残な姿のハルミだった。それはハルミではなかった、完璧な標本のような虚無が、ごろんとした存在感を持つ物質のように、ベッドの上に横たわっているんだ。私は恐ろしかった、叫び声を上げ、そこから逃げ出しそうになっていた。しかし、そのとき、ふと私の脳裏に浮かんだのは、ハルミにも私の復讐を手伝ってもらうことだったのだ。私に最も近く、あのシステムに搭載する虚無の持ち主として、最も適任なのは、ハルミ以外には考えられなかった。狂気のピークに達していた私には、ハルミが私の憎悪を共有してくれるはずだと思えた。そして、このままハルミをみじめな抜け殻として延命させるよりも、そのほうがずっと良かった。だから、私はハルミの上におおいかぶさり、夢中でその首を締めた。ハルミは、全くの無反応だった。悲しみも怒りもなく、声も上げず涙も流さず、私に首を締められたまま、ゆっくりとその生命を失っていったのだ。そして、私はひそかに東京ヘブンズゲイトの中へと入り込み、ハルミの虚無を、そのシステムに埋め込んだ。そして、そのシステムは、ついに、完全な虚無を内包する最高の《機械》として完成し、無尽蔵に死神を産み出し続けることになったのだ」

 ナルセは驚愕した表情で、じっとクロガネを見つめていた。クロガネはうなだれ、電子ノートを握りしめて、小さくなった体を震わせている。

 「私は、そこまでの狂気に取りつかれていたのだ。こんな私に、ハルミの意志を受け止めることなどできると思うか?」

 クロガネは青ざめ、今にもその場にへたりこみそうになっていた。ナルセは頭を押さえ、しばらく悩むようなしぐさをしていたが、やがてゆっくりと顔を上げて、クロガネの肩に手を置いた。

 「……でも、君以外に誰がやるんだ。君がそれをためらってしまえば、君はもう一度、ハルミ君を殺すことになるぞ」

 その言葉を反芻するように、クロガネはしばらく口の中で何かを呟く。そして、結局、他に選択肢はないのだと悟る。

 「そうだな。ナルセ、君の言うとおりだ」

 クロガネは電子ノートを起動させると、静かな動作でパスワードを要求する画面にその言葉を入力していった。

 ――おかえり――

 ぱっと画面は白く明るく輝き、そしてハルミの開発した装置の設計図のようなものが表示される。まだ両目にダメージの残るクロガネは、苦しそうに目を細めていた。何度となくまばたきを繰り返しながら、ゆっくりゆっくり、画面をスクロールしてその装置の正体を読み取っていく。

 「……これは、何ということだ」

 クロガネの目に、涙があふれてくる。ナルセはそれに呼応するように、クロガネの肩に置いていた手にそっと力を込める。

 「僕の理想としていた《機械》に近い、いや、理想をはるかに超えるような装置だ。僕も、ハルミ君から話を聞いて驚いたよ」

 「ナルセ、これは、虚無を超えられるのか?」

 「超えるよ。自分の中に内閉しただけの人間が抱える虚無という感情より、もっと強い衝動を生み出す感情だ」

 「だが、どこまでも不完全で、不確かで、そして不安定な感情だ」

 「でも、そうであるがゆえに、無限に近い力を生み出しうる」

 「他人への感情。自分ではない、誰かに対する思い、だと?」

 「そう、君が、ハルミ君や、君の妹に対して抱いていたような感情だ。そして、ハルミ君が君に対して抱いていたような感情だ」

 「これは、いったい何と名付けたら良いんだ」

 「さあね。決して一つになれない、自分とは完全に異なった他人という存在に、その決して埋められない断絶を、それでも超えて、届こうとする感情、あるいは欲動。虚無は、内閉する世界にあるという意味ではしょせん底が知れてる。でも、この他人との間にある距離は、絶対的に埋められない、だから、それを超えようとする感情は、無限に近い力を生み出しうるんだ」

 「自分以外の誰かに対する思い。それが、ハルミの出した答えか」

 ナルセはうなずく。そして、自分の開発した新しい《機械》を、クロガネの目の前に置いた。今までの真っ黒い《機械》とは対照的に、白く輝く装甲のような《機械》だった。

 「さあ、やろう。もう時間がない」

 だが、クロガネは首を横に振る。

 「……どうした、この後におよんで、何をためらっているんだ!」

 ナルセが、再びクロガネの肩をつかんだ。だが、クロガネの様子がおかしいことに気づいて、ゆっくりとその手から力をゆるめていく。

 「クロガネ?」

 クロガネは何も答えない。ただ、どこか魂が抜けてしまったかのように、宙を眺めて動かなかった。

 「まさか……」

 ナルセが結論づけるより早く、クロガネはうなずいた。

 「目が、見えないんだ」

 「キドにやられたせいなのか?」

 「そう、あれから少しずつ視力が無くなっていたんだが、どうやらもう、だめらしいな」

 悲痛な顔をして、ナルセはクロガネの肩から手を離す。唇をかみしめ、目の前の現実を振り払うかのように激しく首を振った。

 「くそ……何てことだ!」

 「もう充分だ。今まで目が見えていた私は、あまりに醜いものしか見ようとしてこなかった。目に写る真実だけが真実ではないし、もしかたら目が見えないほうが、もっと真実というものをとらえられるのかもしれない。そんなことに、私は今までまったく気付かなかった。これが、ユキに見えていた世界なのだ。そして、おそらくハルミにもこういうものが見えていたのだろう。まるで、ハルミのおかげで生まれ変わったようだ。妙な感覚だが、私は今までハルミの親だったつもりなのに、今この瞬間に、ハルミが自分の親になったような気がする。まるで、自分が、ハルミとユキから生まれた子供だとでもいうような、そんな感覚なんだ」

 「もういい。クロガネ、もう大丈夫だ」

 クロガネの手が、ゆっくりと何かを探し求めるように宙を舞った。その手をナルセが包み込むように握りしめる。

 「あとは、まかせる。すまない、死神を何とかしてくれ。そして、東京ヘブンズゲイトに閉じ込められたハルミの魂を救ってくれ。君と、あの少年に全てを託す」

 ナルセはうなずくかわりに、手を握って返事をすると、クロガネを誘導してソファに座らせてた。クロガネはほほ笑み、そしてゆっくり目を閉じていった。ナルセは、そのほほ笑みがハルミのそれと全く同じだということに気づく。

 そしてナルセはその部屋のガラス窓へと近づく。その窓の向こうに見える部屋では、ゼロシキがベッドに横たわっていた。ゼロシキの意識はまだ戻っていない。そのベッドの横には、ずっとタチバナが付き添い、ゼロシキの回復を待っている。タチバナは祈るように、ゼロシキの手を握りしめている。

 「戻ってくるんだ」

 ナルセは、窓の向こうのゼロシキに語りかける。

 

 「新しい《機械》を動かせるのは、君しかいない――」

 

 

『君を想う、死神降る荒野で』 その39へつづく――