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Teoreamachineの小説ブログ

最も純粋な子供達のために その5

  

 久しぶりに路地裏で刺し殺した中年男をしばらく見つめていた桐原玲は血まみれのスーツの襟首をつかんで引っ張り上げると暗く冷たいアスファルトの道の上でその死体をずるずると引きずって通りの方へ歩き始める。薄い毛の生えた死体の頭にべっとりと付いた血でこすれたジーンズの裾が汚れるのもお構いなしで桐原玲はたくさんの人が往来する通りの方へゆっくりと進んで行く。通りからのこのこと歩いて来た若いOLが夜の路地裏の闇の奥に浮かび上がった死体を引きずる桐原玲と目が合った瞬間悲鳴を上げようとしたが喉が詰まって声が出ず腰を抜かしてその場に崩れ落ちた。桐原玲はそのOLに侮蔑的な笑いを浴びせながら死体の頭を持ち上げ取り出したナイフで目玉をくりぬいてみせるとOLは顔を伏せて涙と鼻水とゲロを同時に垂らしながらてんかんの発作を起こしたかのように体を激しく痙攣させていた。桐原玲はナイフをしまうと再び通りの方へ向けて歩き始める。

 通りの手前まで来たとき近くを歩いていた老人が死体を引きずる桐原玲に気付いて驚き叫び声を上げた。その老人の叫び声を聞いた人々がいっせいに桐原玲の姿を目に留めて悲鳴を上げ一瞬立ちすくんだ後誰もが我に返ったかのようにそこから走って逃げ出す。桐原玲は笑いながら慌てふためく人々を見ていた。その中の最も冷静な一人の若い男が走って逃げながらも携帯を取り出し警察に通報したが桐原玲はそれを見逃さなかった。醜い死体をその場に放り捨てた桐原玲はその若い男の後ろを追って走り始める。自分が追われていることに気付いた若い男が驚怖で泣き出す寸前の子供のような悲鳴とともに走るのを桐原玲はナイフを振りかざし乾いた笑い声を上げながら煽っていた。広い交差点に入り横断歩道を渡って逃げる若い男を追いかけようとしたとき桐原玲は遠くから向かい側の道を走って来る二つの人影に気付いて立ち止まる。冷静に人影を観察した桐原玲はそれが潰れたきのこのような帽子をかぶり紺色の制服に身を包んだ警官だと理解した。桐原玲は体の向きを変え今度は通りを逆方向に走りそこから逃げ出した。通りを走りながら桐原玲はとても愉快そうに喉の奥から笑い声を漏らしていた。通りには今そこで何が起きているのか分かっていない通行人がたくさん歩いていて桐原玲はこいつらも一人残らず殺してやれたら良いのにと思いながらナイフを握りしめポケットにしまうついでとでもいうようにその動作の途中でたまたま正面を歩いていた惚けたような顔の小さな男の子の顔を切りつけてからナイフを懐に隠し再び路地裏へと入っていった。

 後ろを振り向いてみるとまだ警察は後ろを追いかけて来ていたので桐原玲は路地裏の角を何度も曲がって行方をくらまそうと走り続ける。二人組の警察官は桐原玲を見失いそうになると二手に分かれたり巧みに連絡を取り合って合流したりしてしつこく後ろをつきまとい標的を見失う気配はなかった。途中桐原玲がうっかりつまずいて走るペースを落とした瞬間二人組のうち背が低く足の速い方の警察官に追いつかれその警察官がこの野郎と叫び体当たりを喰らわせようと突進して来た。警察官の体がぶつかる前に体を起こした桐原玲は寸前でその一撃をかわす。突進した警官はバランスを崩して地面に転がる。しかし気付いた時にはその後ろを追いかけて来たもう一人の丸い顔をした警察官が迫って来ていてこれ以上逃れられそうにないことが明らかになった瞬間に桐原玲の全身がしびれ顔中から冷たい汗が噴き出した。桐原玲は差し違えて死ぬことを覚悟したかのようにナイフを取り出し頭の上に振りかざす。丸顔の警察官は自分の身を守ろうと腰から拳銃を抜いて構えようとしていた。自分を撃ち殺せとでも言うように桐原玲は拳銃の前に飛び出しナイフを振り下ろす。不意をつかれた丸顔の警察官はどうにかその一撃をかわしたが足下に転がっていた背の低い方の警察官につまずいて転んでしまった。桐原玲はその隙をとらえて身を翻すとさらに路地の深くへと走って逃げていく。

 止まれ!止まれ!

 後ろから警察官の叫び声が聞こえていた。桐原玲は二度と振り返ること無く走り続け路地裏の闇の奥へ奥へと姿を消していった。

 やがて完全に警察官たちを振り切ったときあまりに長い距離を全力で走り続けたせいでこれ以上動けないくらい疲れていることに気付いて桐原玲は人目につかない建物の陰に隠れて座り込んだ。ほとんど肩を震わせるかのように喘ぎながら桐原玲は周囲を見回す。その道の向こうのでは通りに並んだ店から明るい光が漏れていた。いつの間にかずいぶん遠い所まで走り抜けて来ていた。酸欠で暗くなった視界の向こうで通りの建物にかかったスペイン料理レストランの看板が次第にはっきり見えてくる。惚けたようになった桐原玲はその看板に見とれたまま動かなかった。

 EL CUCHILLO DEL SOL

 黄色い看板に鮮烈な赤色の塗料で書かれた文字をどう読むのかと桐原玲はぼんやりとしたまま麻痺したようになった頭をどうにか働かせて考えを巡らせ荒く呼吸をしながらもあれこれと呟いてみる。口にしてみる発音のどれもがしっくり来ないとでもいうように桐原玲は何度も異なった発音を試しながらますます好奇心をそそられた様子でその看板に書かれた文字を食い入るように見つめていた。

 お前は誰だ?どこから来た?

 桐原玲はそれがまるで人間であるかのように看板の文字に向かって語りかけていた。汗ばんだ手で熱くなった顔の頬をなでながら桐原玲は闇に沈んだ自分の体の存在を確かめそして再び乾いた唇を動かして新しい発音を試してみる。

 俺もお前と同じだ。

 桐原玲は看板の文字にそう語りかけて笑っていた。

 

 

最も純粋な子供達のために その6へつづく――