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Re: Writing Machine

Teoreamachineの小説ブログ

最も純粋な子供達のために その8

 

 

 原玲の逮捕理由となっていたのは中国人の男に対する殺人容疑一件のみで他の殺人や暴行や売春斡旋については警察に知られていなかった。苛烈な取り調べに顔色一つ変えず乗り切った桐原玲は結局少年鑑別所を経てから初等少年院に送られた。

 少年院では朝六時半に起きて九時に寝るという規則正しい生活や軍隊組織入門のような規律訓練をさせられたが桐原玲は平静を保ち淡々として毎日それをこなしている。犯罪や家族や内省についていくつかの作文を課せられたがそれについても極めて優等生的で隙のない文章を書き少年院の職員をうならせていたし教科テストについても前例がないほどの優秀な成績でとことん周囲を驚かせた。桐原玲はそこで何ら問題行動を起こすことは無かったが少年院の中では浮いた存在になっていた。同時に人を殺したという話はどこからとなく広まっており他の少年たちはその薄気味悪い雰囲気を敏感に読み取って一切近づこうとはしなかった。孤立した日々の中で桐原玲が異様なまでの執着を見せたのは日本語以外のさまざまな言語を学ぶことだった。桐原玲は自由になる時間の全てを日本語以外の言語を学ぶことに費やすだけでなく少年院の日課である課題読書の時間の半分をそれに使えるように職員に頼んでいた。はじめはそれを認めようとしなかった職員も桐原玲が何をやらせても優秀な成績を収め生活態度も極めて真面目な上に課題読書についても設定時間の半分以下でそれをこなしてしまうために自主的学習意欲を尊重かつ育成するとかいう理由をつけてそれを許可することになった。桐原玲は中国語から手を付けるとスペイン語やアラビア語やロシア語やヒンディー語を始めとする世界の諸言語を吸収しそれだけではなお飽き足らずアイヌ語などにも興味を示した。といってもその学習の仕方はそれぞれの言語を完璧に習得するというよりは基本的な表現を覚えたり適当に辞書をめくり気になった単語を拾ったりというようなもので桐原玲はまるでそれぞれの言語をつまみ食いするかのように学んでいた。

 

 

 桐原玲が少年院に入ってから半年くらい経ったころ加藤龍成という少年が新しく入って来た。背が高く目つきが鋭かったが長い前髪が目にかかりどこか陰のある雰囲気を持った少年だった。教官の誰かがその噂を流したのか加藤龍成の父親は中国人だという話が他の少年達の間に広まっておりそれは誰もが知る所となった。少年達は差別的な意識でその噂をとらえ加藤龍成は目をつけられることになってしまった。

 何か餃子くせえな。

 少年達のリーダー格になっている北川俊介が加藤龍成を見ながら言う。

 うわ。マジでくせえ。

 他の少年達が同意して鼻をつまむ仕草をしながら笑う。加藤龍成は北川俊介をにらみつけるが五人前後の固まった集団で行動する他の少年達ともめるのを恐れてすぐに目を反らす。北川俊介とその取り巻きはますます調子付いて加藤龍成をからかうようになりあげくの果てには教官達の見てない所で加藤龍成の後ろ頭を通りすがりに小突いたりして忍び笑いを漏らしていた。

 わざとじゃねえよ。ちょっとひじが当たっただけだろ。

 ある日の体育の時間に我慢できなくなって文句を言った加藤龍成を少年達が取り囲んで脅す。

 いい加減にしろよ。

 加藤龍成がそれまでに見せたことのない威圧的な態度で凄むと取り巻き達は一瞬ひるんでその顔を引きつらせる。

 くせえ。餃子食べ過ぎだろ。お前の口臭マジでくせえよ。

 北川俊介だけはひるんだ様子を見せずに加藤龍成をからかう。取り巻き達はその言葉で緊張から覚めて安堵したかのように威勢を取り戻しげらげらと笑った。

 お前の口臭のほうがくせえよ。便所のにおいがする。

 加藤龍成はそう言い返すと同時に怒りに震える拳を振りかざして北川俊介に殴り掛かる。北川俊介は首をひねってそれをかわしたが加藤龍成は素早く反応して腕を曲げその肘を北川俊介の頬に命中させた。北川俊介の唇が切れて血が流れる。取り巻き達が青ざめた顔でそれを見守る中で北川俊介が体勢を立て直すと同時に加藤龍成をにらみつけ怒り狂った叫び声を上げる。

 クソ野郎が!死ね!

 北川俊介が左右の拳を振り回す。加藤龍成は器用にそれをかわしたが後ろに立っていた取り巻きの一人に捕まって羽交い締めにされ次の一発を顔面に受けてしまった。鼻の骨が音を立てると同時に鈍い痛みが顔全体に広がりだらだらと鼻血が垂れてくる。北川俊介は続けざまに加藤龍成の腹を殴りそれでも怒りがおさまらずに今度は太ももに蹴りを入れた。

 死ね!死ね!

 うめき声を上げる加藤龍成を嗤いながら北川俊介が叫び加藤龍成の顔面を再び殴ろうとする。そこで騒ぎに気付いた教官達が走って来て拳を振りかざした北川俊介を取り抑えた。続いて教官達が取り巻き達を引き離すと加藤龍成はその場に崩れ落ちるように座り込みクソがクソがと呟きながら地面の一点を見つめ屈辱に耐えかねたようにずっとわなわなと震えていた。その様子を運動場の端で眺めていた桐原玲は加藤龍成を興味深そうに観察しながら意味ありげにかすかな笑いをもらした。

 

 

 不要紧吗

 数日後に懲罰室から戻って来た加藤龍成に桐原玲が教官の目を盗んで話しかけた。加藤龍成は突然中国語を話す人間が目の前に現れたことに驚いて顔を上げる。

 お前中国語喋れんのか?

 喋れるってほどじゃない。ちょっとした興味で基本的な言葉を覚えたくらいだ。

 俺の噂を聞いて話しかけてみたってことか。

 桐原玲はその言葉にうなずく。そして今度は中国語ではなく日本語で大丈夫かと尋ねる。

 別にたいしたことない。それよりあのクソ野郎どもと関わり合いにならずに済んだからむしろ平和だった。

 太好了。

 再び桐原玲が中国語を使うと加藤龍成が表情を崩して笑う。

 ちなみに言うけどな。俺の親父は中国人じゃない。台湾人だ。

 失禮。

 桐原玲が少し考えるようなそぶりを見せてから台湾語でそう言うと加藤龍成は声を出して笑った。

 すごいなお前。台湾語も勉強したのかよ。

 桐原玲がうなずく。

 まあいいや。俺の親父は二十五年くらい前に台湾から日本に渡って来た流氓で日本の女と結婚したんだ。親父は台湾でちょっとしたマフィアをやってたんだが国で指名手配されて日本に逃げて来たってわけさ。日本でもマフィア商売をやっていて今では流れ者のイラン人を何人か手下にしてコカインや大麻を売りさばいたり本国の連中と組んで拳銃をマーケットに流したりしてるんだ。

 お前はそれに絡んでるのか?

 俺か?親父はむしろ俺を仕事に関わらせないようにしてるよ。でも俺は金が欲しいしそんな仕事を親父に独り占めされんのもしゃくだから親父の手下のイラン人と仲良くなって一緒に大麻をさばいてた。

 それで捕まった。

 俺がヘタうったんじゃねえ。同行したイラン人が警察にマークされてたんだ。まあそいつは良いヤツだけどな。二人で捕まったときに俺が興味本位で大麻を買っただけってことにしてくれた。

 すぐにここから出られるってことか。

 まあそういうことやな。だからもめ事も起こしたくねえんだ。あの馬鹿どもが。つまんねえいざこざ起こしたら退院が遅れんだろうが。

 北川が憎いか?

 当たり前だろ。ここ出たら居場所突き止めて殺してやる。

 今すぐあいつをぶちのめして大人しくさせたいとは思わないか?

 それができたらとっくにやってる。

 できるよ。やってやればいい。

 どうやって?

 加藤龍成はやや苛立った顔で訊いた。

 俺が協力してやる。

 マジか?

 加藤龍成の質問に桐原玲は気味の悪い笑いで答える。加藤龍成は不安な面持ちで目を泳がせた。

 なあ。

 加藤龍成が口を開く。その声はやや緊張していた。

 人を殺したってホントか?

 桐原玲は加藤龍成にその気味の悪い笑顔を向けたまま答える。

 ホントだ。

 

 

最も純粋な子供達のために その9へつづく――