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Re: Writing Machine

Teoreamachineの小説ブログ

最も純粋な子供達のために その11

 

 

 九歳になってようやく少年院の門を出た桐原玲はそこに横付けした一台の赤いアウディから出て来た加藤龍成に迎えられた。

 你好嗎?

 髪を整髪料で後ろに撫で付けた目つきの鋭い加藤龍成の口元には親しみのこもった笑みが浮かんでいる。

 很好。

 桐原玲は加藤龍成にそう答えた。

 Shall we?

 Sure.

 加藤龍成は自分の車に桐原玲を招いてエンジンをかける。赤いアウディは緑に囲まれた少年院を出発して国道へと抜け北へ北へと走った。桐原玲は窓を開けて外の景色を眺めている。

 どうだ?何年ぶりかの外の世界は。

 気持ちいいな。率直に言って。

 桐原玲の答えに加藤龍成は愉快そうにうなずく。

 そうだろう。俺なんか1年くらい入ってただけなのにものすごい開放感を味わって叫び声を上げたくらいだからな。

 商売はどうだ?

 この車見たら言うまでもないだろ?今じゃ薬物だけじゃなくて火器の売買をやって大金を作ってる。

 上手く切り抜けてるわけか。

 末端が捕まってもこっちに害がないように神経使ってるからな。もちろんまた捕まるリスクがないわけじゃない。だから少しずつ他の商売にシフトしていくつもりだ。

 他の商売?

 別に特別なことじゃない。バーやクラブの経営を始めようと思ってるんだ。そっちが軌道に乗ったら少しずつヤバイ商売から手を引くってことだ。

 そうか。利益が出るならリスクは低いに越したことは無い。

 そういうことだな。

 加藤龍成の運転する車は市街地へ入って来た。桐原玲はそこで一度窓を閉めてからビルが建ち並び人々の往来する街の様子を観察していた。

 どこか行く当てはあるのか?

 加藤龍成が何気ないような調子で訊く。

 別に。

 仕事は?

 そんな当ては無いな。

 そうか。

 少し声の調子を落として加藤龍成はそう言ったが口元はかすかにほころんでいた。

 なあ。

 どうした?

 俺の商売を手伝わないか?

 桐原玲はそれに言葉を返さず無言のまま窓から街を観察し続ける。

 俺は今までにお前ほど頭の良い人間に出会ったことはない。だからお前と組めば俺の商売はもっと上手くいくだろう。どうだ?お前がこの先何の当ても無いんなら悪い話じゃないだろ。

 それでも桐原玲は何も答えない。

 何か不満か?分け前なら充分渡すつもりだ。

 そうじゃない。一つ条件があるんだ。

 何だ?

 一年だけ協力する。後は俺の好きにさせてくれ。

 加藤龍成の表情がわずかに曇り困惑した様子を見せる。

 少し短いな。

 分かってる。だから条件なんだ。

 車の進行方向をまっすぐ見据えながら加藤龍成は黙って考え込んでいた。

 その代わり最大限の貢献はするつもりだ。

 ……まあいい。協力してもらえないよりはずっと良い。お前には少年院で助けてもらった恩も感じてるしな。

 商談成立か?

 ああ。

 その後二人は無言のまま加藤龍成が拠点にしている事務所を目指して街中を走り抜けて行った。

 

 

 自分たちの一人息子が逮捕された日から桐原和弘と桐原由美はまともな会話など一切しないまま何年も生活を続けていた。もともと子供がいることでかろうじて繋がっていた夫婦でしかなかったためにお互いへの愛着や関心など全くなかった。だが息子が殺人犯として家庭から消えてしまったことでその関係が凍り付いたようになり歩み寄ることもなかったが逆に離れるということもできなかった。自分たちの息子に対する責任感のようなものがほとんど朽ち果ててもなお効力をとどめており桐原和弘と桐原由美は例え表面的でしかなくても夫婦であり続けていた。ただ夫婦というにはあまりに他人でそれはまるでそれぞれが同じ家庭の中で孤立して存在しているかのようだった。実質それは桐原和弘が会社での労働により稼いだ金と桐原由美による料理などの家事サービスが交換関係で繋がっている状態でありそういう意味で夫婦は同じ共同体つまり同じ家族の一員ではなかった。

 玲がいなかったってどういうこと?

 冷たく張りつめた空気が漂う居間に立った桐原和弘に桐原由美が苛立ちを露骨に表しながら言う。

 言葉通りだよ。僕が少年院まで迎えに行ったときもう玲はいなかったんだ。

 あなたが来るまで待ってるはずじゃなかったの?

 玲はどこかへ行った。それが事実さ。

 桐原由美は大きく長いため息をつく。

 探しなさいよ。あなたいつもそうじゃない。本当にあの子の父親なの?

 探したよ!僕がどうしてこの時間まで帰ってこなかったと思ってるんだ。

 妻に対して怒ったことなどなかった桐原和弘は今までになく声を荒げていた。桐原由美は面食らって黙っていたがその表情にはわずかな刺激で情動が破裂しそうなくらいの緊張感が表れていた。

 君はいつもそうじゃないか。玲について大変なことがあればいつも僕に任せっきりにしてきただろう。いつもああしろこうしろと僕に言うだけだ。

 あなたは父親でしょう!

 君だって母親だろうが!

 互いにそれ以上言葉を続けることができずに長い時間が経過する。脱力して崩れ落ちるようにソファに座った桐原和弘はうつむいて頭を抱えた姿勢のまま動かず桐原由美は惚けたように蛍光灯の周りを飛ぶ小さな羽虫を見つめていた。やがて窒息しそうなくらいの鬱閉とした雰囲気に耐えかねたように桐原和弘が顔を上にあげて息を吸いそしてゆっくりと吐く。

 ……確かにこの数年間いつもそればかり考えて来た。僕はずっと自分の息子に向き合ってなかったんだ。ただあの子を恐れるだけで父親の責任を回避したがってた。

 桐原由美はそれを聞いてやや落ち着いた様子をみせる。

 そうよ。私はずっとあなたにそれを言い続けて来たわ。あの子がいたときからずっと。

 僕だけじゃない。君もそうだ。君も玲と向き合おうとしてなかった。

 そんなことない。私はいつもあの子の一番近くにいたわ。

 近くにいても君は玲を正面から見てはいなかっただろう。君があの子について語るときはいつもあの子が思春期だからとか一般論に当てはめようとするばかりだった。

 私はあの子を理解しようと一生懸命だったのよ。

 桐原由美の声は何か恐ろしいものに出会ったかのように震えていた。

 違う。君はあの子と向き合っていなかった。だから一般論が用意してくれた解釈に玲を押し込めようとすることしかできなかったんだ。それは自分の子供を理解することとは正反対でしかない。

 桐原由美は言葉を探すかのように視線を泳がせたが何も言うことができずついには喉を詰まらせ嗚咽し始める。ばつが悪そうな表情の桐原和弘はしかしいっさい声をかけることなく両手の中に顔を伏せ涙を流す妻を眺めていた。

 ……玲が本当にうちに帰って来るかどうかは分からない。でももしあの子が戻って来たならそのときは真正面から受け止めよう。なかなか上手くいかないかもしれない。でもあの子は僕たちの息子だろう。

 桐原由美はまだ涙を流していたがしかしその言葉にしっかりとうなずく。

 そうね。私たちは今度こそあの子に向き合うべきだわ。その覚悟があったらいつかきっと家族がお互い分かり合える日がくるはずよ。

 突然訪れた氷解に落ち着けないのか二人とも再び黙ったままそれ以上喋ろうとはしなかったがそこに先ほどのような重苦しさはなく桐原和弘も桐原由美もどこか和らいだ表情をしていた。

 そのときだしぬけに鳴った玄関の呼び鈴の音に桐原由美が振り返る。

 玲?

 そんな。まさか。

 夫婦は互いに顔を見合わせる。桐原和弘はゆっくりと立ち上がりおそるおそる玄関の方へと歩いて行った。冷えきった廊下の上を進んで玄関にやって来た桐原和弘はドアの向こうに人の気配を感じ取って立ち止まる。両手をこすり合わせて手のひらににじんだ汗を拭い呼吸を整え気持ちを落ち着かせる。そして意を決したようにドアを開けると同時に驚愕して声を上げた。そこに立っていたのはまぎれも無い自分の息子だった。桐原和弘は言葉を失い目に涙を溜めていた。おかえり。その言葉をいくら言おうとしても喉がつまる。

 أ - اَلسَّلاَمُعَلَيْكُمْ

 そのとき桐原玲が突然聞いたことも無い言葉を発した。桐原和弘は目を白黒させ思わず真顔に戻る。

 え?

  أمالك؟

 アラビア語を話す目の前の息子が何を言っているのか全く分からずに当惑する桐原和弘が視線を落とすと桐原玲の手に握られている拳銃に目が止まった。

 いったいどういうことだ?

 桐原和弘の慌てようを見た桐原玲が笑う。

 ちょっと付いて来て欲しい所があるんだ。母さんと一緒にね。

 待ってくれ。久しぶりに帰って来たのにいったいどうしたっていうんだ。まあ中へ入りなさい。一度ゆっくり話をしよう。どこかへ行きたいならそれからにしないか?

 桐原和弘がそう言った瞬間に桐原玲が拳銃の引き金に指をかけた。火薬の破裂音がして桐原和弘の背後にある棚の上に置いてあった花瓶が弾け破片が飛び流れ落ちた水が床に広がる。

 どうでもいいことを言わないでくれよ。俺が言ったのは一緒に来てくれってことだけだろ?

 桐原和弘は今まで見たことも無いような恐ろしい顔をした桐原玲の目つきにすくみあがる。

 一緒に来てくれ。いいな?

 その言葉にうなずいた桐原和弘はすでに腰を抜かしていた。土間にへたりこんだまま桐原玲の顔を見上げ歯をがたがたいわせながらずっと震えていた。その桐原玲の背後からもう一つの人影が姿を現す。その人影に気付いた桐原和弘はまるで過呼吸を起こしたかのようにひどい雑音を立てて息をし始めた。壊れた掃除機のような呼吸音だった。あまりに惨めな状態になった桐原和弘を無表情の白澤明歩が見下ろしていた。桐原和弘は完全にパニック状態に陥り先ほどとは全く種類の違う涙を両目からこぼして震え続けていた。

  

 

最も純粋な子供達のために その12へつづく――