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Teoreamachineの小説ブログ

最も純粋な子供達のために その15

  

 口から階段を上がった所にある広い部屋に招かれた市田恵介達は桐原玲に勧められるままに革張りの黒いLC2に腰掛けた。桐原玲がスタッフに持ってこさせたほとんどジュースのような赤色のカクテルを四人はたいそうなものでも飲むかのようにして味わう。新山翔は真白い壁のスリットから漏れる青い光に見とれていた。水城康太はマジックミラー越しに観客と前座のDJのパフォーマンスを観察する。観客達は前座のDJにあまり関心を向けることなくアルコール片手に談笑していた。

 マジでスゴイっす。この部屋。このクラブのオーナーなんすか?

 他の三人と同じくすっかり雰囲気に飲まれた篠原雅彦が桐原玲に言う。桐原玲は実際には友達の所有だが俺が経営から何からほとんどの権限を持ってると答えて部屋全体を見渡せる位置に置かれたLC2にゆったりと腰掛けた。

 こういうとこに来るのは初めてか?

 桐原玲が質問すると四人はみな同じようにうなずく。

 もちろんライブハウスとかは行ったことあるんすけど。でもこういう年齢制限があるとこは初めてっすね。

 市田恵介がそう答えた。

 普段はどんな音楽を聴いてるんだ?

 ロックとかヒップホップとかですね。何かこう熱いやつ聴くとアガるんすよ。

 新山翔が嬉しそうにしながら人気のあるグループの名前をいくつか上げた。そうこうしているうちにいつの間にか前座のパフォーマンスが終わっていて今夜のメインを務めるミュージシャンがステージに上がって準備を始めていた。前座の時とは打って変わって観客達は興奮した様子でステージの前に詰めかけさらに後から入って来た観客で会場はあっという間にすし詰め状態になる。

 お。何かガイジン出た。

 水城康太がマジックミラーに顔をくっ付けてステージの上の男を見つめる。他の三人も水城康太の横に並んでカクテルを飲みながら会場の様子をうかがった。

 何人なんすか?あのDJっぽいやつ。

 イギリス人だ。クラブカルチャーに興味のある人間にはそれなりに名が知られた男だよ。

 桐原玲が質問に答えてやると篠原雅彦はへえと間の抜けた声を出してうなずいた。やがて男が演奏を開始するとすぐに熱狂的な歓声が上がり観客達は巨大な虫のうごめきのように体を揺らして踊り始める。しばらくは控えめなドラムスと小さな電子音が続いていたが男は一瞬の静寂を挟んで観客にいたずらっぽい笑顔を見せ片手を上げて何か合図をする。それと同時に突然金属音のような攻撃的なノイズが観客達に襲いかかり下腹の奥底を殴りつけるような太い低音が会場の中で破裂して部屋全体が震えた。観客達は強烈な快感で叫び声を上げて飛び跳ね激しく体を振り回して踊る。それまでVIP席にいる優越感に浸っていた四人はそんなことなどすっかり忘れたようにあっけにとられてその男のパフォーマンスに見入っていた。

 やべえ。

 激しい興奮で顔が紅潮した市田恵介は手にしたグラスを握りしめながら頭を振って音楽に反応する。

 何なんすかこれ!マジでやべえ。

 新山翔が叫んだ。

 これか?ジャンルとしてはダブステップとかいうふうに呼ばれてる。西暦で言えばだいたい二千年前後くらいにイギリスで生まれた音楽でここ数年すごく人気が出て来たんだ。今のところ日本での知名度は低いがイギリスではかなりの人気を誇ってる。

 何か分かんないけどマジ興奮する。

 水城康太がタコ踊りをしながらマジックミラーの前を跳ね回る。

 音楽の未来はきっとこういうものが作っていくだろう。つまりメロディやコードにこだわって作られた音楽よりもこういう音そのものがもたらす快感を重視した音楽こそが新しい世界を切り拓く。ダブステップはその傾向の一つだ。徹底的に新しい電子音を作り出すことにこだわった音楽や多様で複雑な音の組み合わせによって作られた音楽もあるがダブステップは比較的聴きやすいから別に音楽マニアでもないお前らでもかなり楽しめるだろう。

 いやマジ気持ちいいっすわ。

 篠原雅彦が水城康太と一緒になって笑いながら音楽に合わせタコ踊りをやりだした。

 音楽だけじゃない。映画や小説においてもストーリーとかいったものよりは映画なら映像そのものがもたらす快感が強いものが力を持つし小説なら文章そのものがもたらす快感が強いものこそが力を持つだろう。そして芸術の新しい世界の開拓はそういう極小のアトムが強烈な快感として炸裂するような創造的行為よってなされるだろう。何が快感を生み出すのかというのは常に一様ではなくある意味では無限に解釈されうる。つまりその快感は定型化もしくは定式化が不可能でありそこには無数の形があるということだ。

 どういうことすか?

 市田恵介が首を傾げる。

 つまりお前達が今感じているようなことがそのまま説明になる。

 それならよく分かります。あ。俺この曲めっちゃ好き。

 新山翔が両手を上げて演奏を続けている男に歓声を送る。それを見た桐原玲は微笑みを浮かべ満足そうにうなずいていた。

 いや。マジ感謝って感じですよ。生意気言ってしまったのにこんな体験させてもらえるなんて。

 水城康太が柄にもない調子で礼を言った。

 ああそうだ。一つお前らに言っておくことがある。

 四人が振り返って桐原玲の顔に注目した。

 いちいち敬語を使わなくていい。お前らはそうやって年長の人間に媚を売るように教え込まれながら育って来たんだろうがそんなのはくだらないことだ。自分の力に自信を持て。恐れることはない。お前らの持っている能力を最大限に解放しろ。誰が相手であろうと他人と自分は平等だと見なせ。障害になるものは年上だろうと何だろうとねじ伏せて前へ進めばいい。今媚びておけば後で自分も年下からも媚びてもらえるなんてせこい考え方をするのはしょせん無能なクズだ。

 ……でも。そんなのいいんすか?

 篠原雅彦が思いがけないことを言われて困惑の表情を見せる。

 いいんだ。俺が言うんだからな。

 ……分かった。

 しばらく考え込んでいた市田恵介がうなずく。

 桐原さん。俺ら正直あんたのことすげえと思ってんだ。これからも仲良くしてくれよ。

 分かってる。強制された敬語を使おうが使うまいがそれは相手を尊敬しているかどうかということとは無関係だ。お前らが俺を尊敬してるかどうかはよく分かるつもりだ。言葉遣いなんかはどうでもいい。

 桐原玲は新山翔にそう答えを返す。

 何か俺たちでも役立つことあったら言ってくれよ。すぐに駆けつけるから。

 水城康太の言葉に桐原玲はうなずく。

 握手してもらっていい?桐原さん。

 篠原雅彦が右手を差し出すと桐原玲は笑いながら握手をしてやった。俺も俺もと他の三人が右手を差し出し桐原玲は同じように握手をしてやる。四人は釈迦の手のひらの上で戯れる猿のようにはしゃぎ桐原玲は微笑みを浮かべてそれを見ていた。 

 

 

最も純粋な子供達のために その16へつづく――