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Teoreamachineの小説ブログ

最も純粋な子供達のために その20

 

 む。もうこんなことは止めてくれ。

 桐原和弘は重々しい調子でそう言ったが桐原玲はそれを鼻で笑って一蹴する。

 相変わらずくだらないことしか言えないんだな。

 大事なことだ。これだけ多くの人が死んでる。

 それがくだらないんだよ。お前が人間の生命にどれだけの価値を置こうとも俺にとっては無価値なものでしかない。

 どうして無価値なんだ。お前が自分を特別な人間だと思っているのと同じようにお前が殺した全ての人間はそれぞれ特別な存在として生きていたんだ。

 勘違いするな。その人間が特別かどうかなど関係ない。そういうあらゆる差異が全くの無意味だと言ってるんだ。全ての存在があらゆる意味付けとは無関係に死んでいく。今ここで起こってるのはそういうことだ。

 ……玲。お前は生まれてからずっと僕の理解を超えた存在だった。僕はお前を常に恐れ続けて来た。でもな。それでもお前は僕にとって大事な存在なんだ。こんな馬鹿なことをこれ以上して欲しくない。そしてこの先何があっても生きていて欲しいと思ってる。

 桐原玲はその言葉に耐えかねたかように声を出して嘲笑する。

 泣き落としでもやってるつもりか?もういい。くだらない。

 再び拳銃を構えた桐原玲が桐原和弘の顔に狙いを定める。

 まあそうやって死んでいく方がいい気分になれるだろう。息子を思う勇敢で素敵なお父さんとして死ねるんだからな。

 桐原和弘はその言葉を効いて首を横に振ると震える膝を必死で抑えながら前を見据えた。

 そうじゃない。僕は父親としてこんなことを言ってるんじゃない。お前が生まれた時から誰よりもそばでお前のことを見守ってきた一人の人間として言ってるんだ。

 何だそれは?馬鹿かお前?

 桐原玲が舌打ちをして拳銃の引き金に指をかける。それを見た桐原和弘は死の恐怖に体が震え荒くなる呼吸を必死で抑えようと歯を食いしばった。

 玲。あの娘はどうするんだ。あの娘はお前にとって何か特別な意味を持った存在じゃないのか。

 いい加減にしろ!

 白澤明歩のことに触れられた瞬間に激昂した桐原玲が叫び声と共に拳銃を発砲する。弾丸は狙いをそれて桐原和弘の背後にあった駅の案内板に当たった。桐原和弘は腰が抜けそうになりながらもどうにか踏みとどまる。もはや万策尽きたとばかりに目を閉じて深く息を吸いそしてゆっくりと吐いていく。

 俺は命がけでお前を止めるつもりだ。

 öl!

 桐原玲がもう一度発砲したがそれも命中しなかった。桐原和弘が雄叫びとともに桐原玲に向かって突進する。桐原玲はその桐原和弘目がけて拳銃を乱射した。数発の弾丸はまた狙いをはずしたが一発の弾丸がとうとう桐原和弘の腹に命中する。それでも前に進もうとする桐原和弘にとどめを刺そうと桐原玲は引き金を引いたがそこで弾が切れてしまっていた。

 くそ!

 桐原玲が慌ててソードオフを取り出そうとする。しかし桐原和弘はすでにそれより早く桐原玲に飛びかかれる位置に来ていた。桐原和弘は崩れ落ちそうになる体を奮い立たせて桐原玲につかみかかろうと手を伸ばしたがその瞬間に真横から腹や脚に弾丸を撃ち込まれてその場に崩れ落ちた。

 大丈夫か?桐原さん。

 桐原玲がそちらに目をやると拳銃を構えた市田恵介が立っていた。

 逃げよう。桐原さん。あっちこっちに警察が来てる。俺はここまで逃げて来たけどもうすぐこっちにもやってくるはずだ。

 分かった。

 桐原玲は踵を返して逃げようとしたがそのとき市田恵介が悲鳴を上げて床に転んだ。床に這いつくばった桐原和弘が逃亡を阻止するために市田恵介の足首をつかんでいた。

 放せクソが!

 市田恵介が叫ぶ。桐原和弘はひるむこと無く市田恵介の体にのしかかり二人は転げ回ってもみ合う。

 放せ!放せよ!

 わめいている市田恵介に力で勝る桐原和弘がその上で馬乗りになっていた。桐原和弘は市田恵介の首根っこを押さえつけて顔を上げ桐原玲を見た。無表情の桐原玲がその桐原和弘の顔面めがけてソードオフを構えている。桐原和弘は何か言おうとして唇を動かしたがその口から言葉が出てくるより早く桐原玲の放った散弾がその顔を吹き飛ばした。即死した桐原和弘の下にいた市田恵介も流れ弾を上半身に浴びて血まみれになる。がたがたと震えながらも市田恵介は体を起こそうとしていたがやがて力つきて動かなくなった。

 

 

 駅を出た桐原玲が見たのは出口を包囲する大量の警察官だった。制服を着た警官達はまるで弧を描く紺色の壁のように桐原玲を取り囲んで注視していた。

 武装解除して投降しなさい。

 拳銃を構えている警官達の人垣の後ろに立っている眼鏡をかけた男が桐原玲に拡声器で呼びかける。桐原玲は自嘲をもらしながらコートの下のショットガンを握りしめた。

 桐原玲。すみやかに投降しなさい。

 眼鏡の男がもう一度呼びかける。

 またあいつか。

 桐原玲は十四歳の時に自分を逮捕した眼鏡の男が目の前にいるのだと気付いて呟いた。

 出て来い。

 眼鏡をかけた男に向かって桐原玲が呼びかけた。動揺する警官達とは違って落ち着いた態度を保った眼鏡の男は拡声器を手前の警官に渡して人垣の前へと進み出てくる。

 ずいぶん出世したみたいだな。

 以前と変わらない姿をした眼鏡の男を見た桐原玲が声をかけた。

 出世?そこまで大きな昇進はしてない。ただここでは現場の指揮をまかされているだけの話だ。

 それだけあんたが有能だってことだ。

 眼鏡の男は何も答えず代わりに笑ってみせた。

 桐原玲。おとなしく投降してくれ。

 俺は命が惜しいとは思ってない。

 私は惜しいよ。他の警官達の命も惜しい。

 素直だな。

 桐原玲が笑う。眼鏡の男の後ろでは拳銃を構えた警官達が尋常でない緊張感に震え額から汗を流しながらその様子を見守っていた。

 残念だが。俺は一人でも多くの人間を無意味に殺したいと思ってる。

 そう言って桐原玲がコートの下からショットガンを取り出した。壁を作っている警官達が慌てたように拳銃を握る手に力を込めたが眼鏡の男は片手を上げて合図を送り

それを止めさせた。

 動くな。それを撃つようなそぶりを見せた瞬間に君は蜂の巣だぞ。

 それと引き換えにあんたとその周りにいる警官達が死ぬけどな。

 桐原玲が取り出したショットガンを片手に持ってぶらさげる。そのまましばらく膠着状態が続いた。落ち着いた態度を保つ眼鏡の男と桐原玲の周りで警官達は緊迫感に耐えかねたように肩で息をし始める。眼鏡の男は冷静に表情を崩さないようにしながら密かに桐原玲の後ろに回り込んだ一人の勇敢な若い警官に目をやった。若い警官はやはり緊張感に震え汗を滴らせていたが他の警官達とは違って覚悟の極まった鋭い目をしていた。眼鏡の男は桐原玲に悟られないように神経を使いながらその若い警官に見えるようにかすかなうなずきを合図として送る。しかし桐原玲のするどい視線がその合図を察知して若い警官が走り出したと同時に振り返った。あまりの緊張に集中力が切れかけていた他の警官達も一歩遅れて反応し一斉に拳銃を構える。

 撃つな!

 眼鏡の男が叫んでそれを制止する。それと同時にショットガンの発砲音が静寂の中で炸裂する。近距離に迫った若い警官を狙った散弾はそのふくらはぎをえぐった。若い警官は悲鳴を上げて崩れ落ちながらもその体を桐原玲にぶつけて地面に転がった。

 クソが!

 バランスを崩した桐原玲が怒声を発しながらコートの下のソードオフを取り出しほとんど狙いも定めずに発砲した。散弾は人垣の端にいた数人の警官に命中したがもはや桐原玲はそれ以上の手段を失っていた。眼鏡の男が若い警官の後に続いて叫び声を上げながら体当たりして桐原玲を地面に押し倒す。桐原玲は抵抗しようともがいたが訓練された体術を備えた眼鏡の男は冷静にそれをさばいて桐原玲を押さえつけた。

 殺せ!

 桐原玲が激しい怒りに顔を歪めながら叫んだ。

 それはできない。君は今から法によって裁かれるんだ。

 息の上がった眼鏡の男が桐原玲を見下ろして言う。

 どうせ死刑だろ。だったら今ここで俺を殺せ。

 私が今ここで個人的に君を殺すのと法による手続きを踏んだ国家機関が君を殺すのとは大違いだ。

 知ってるよ。だからこそ今ここで俺を殺せと言ってるんだ。

 そんなことをするような人間だったら私は警察機能を担う者として失格だ。

 桐原玲は怜悧な眼鏡の男の言葉に舌打ちを返す。

 あんたがもっと馬鹿なら良かった。

 桐原玲はそう言って笑い観念したかのように体の力を抜いて目を閉じた。慌てて駆け寄ってきた他の警官達が桐原玲に触れようとするのを冷静な言葉で引き下がらせた眼鏡の男は落ち着いた手さばきで桐原玲の手首に手錠をかけた。

 

 

最も純粋な子供達のために その21へつづく――