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Teoreamachineの小説ブログ

セルバ・ラカンドナの第6宣言 その2

 

 我々は今どこにいるのか

 

 

我々サパティスタがそうであったように、このような状況だからといって政府との対話に取り組むのを止めるわけにもいかない。怠惰な政治家の寄生虫がそこにいようが、闘いは前進させ続けなければならない。EZLNは先住民の権利と文化についてのサン・アンドレアス協定を、我々だけで、そして先住民の側から(片方の側だけという意味では"一方的に"とも言える)実行に移すことに決めた。2001年の半ばから2005年の半ばまでの4年間、この問題、そしてまた他のいくつかの問題に身を投じてきたのだ。そして今から、それらについてあなたがたにお話ししようかと思う。

 

さて、我々はまず自律したサパティスタ反乱軍が自らを強化するために築いた自治区を応援することから始めた。自治区には先住民たちが統治のために組織化されている様が表れていたが、それはまた彼ら自身が自分たちを統治する助けにもなるものだった。

 

こういった自律政府は単にEZLNによって発明されたのではなく、いくつかの国における先住民の反乱やサパティスタ自身の経験からくるものだった。それは共同体の自治政府なのだ。つまり、他所から誰かが来て統治するのではなく、先住民たちが自分たちの間で、誰が統治者になり、その統治者が不適任であればどうやって辞めさせるかを決めるということだ。もし統治者が人々に従えないのであれば、人々は統治者を糾弾し、権力の座から追い出して、新しい統治者を迎えることになる。

 

しかし、我々はサパティスタの自治区の状態が満足のいく水準にないと認めざるを得なかった。いくつかの自治区はより先進的で市民社会からの支援を受けていたものの、他は放置された状態にあった。そういった自治区の組織には互いに並ぶ水準になろうとする努力が欠けていた。さらにEZLN自身をその政治的軍事的構成要素とともに省みてみると、"市民的"と我々が呼ぶ民主主義的権威に帰属した決定に関わってしまっていた。ここで問題になっているのは、政治的軍事的構成要素であるEZLNは軍隊であるがゆえに民主主義的でないということだ。軍隊が上位に、民主主義が下位にあり、それは良くないことだった。民主主義である以上は軍事的なことで決定が下されるべきではなく、それは逆転されるべきだったのだ。民主主義政治的政府が上位にあり、軍隊はその下で服従するという具合に。あるいはおそらく、何も下位にはなく、単に全く同等で、どんな軍隊も要せずというほうが良いだろう。サパティスタは戦士ではあるが、それは今後において戦士を必要としなくなるようにすることが存在意義なのだから。そして我々がこの問題について行ったことは、サパティスタ共同体内の組織について、自律的民主的な面を政治的軍事的な面と分けようとすることだった。かつてEZLNに委ねられていた行動と意思決定は、徐々に民主的に選ばれた村の権威者へとまかされていった。もちろんこうやって言うのは簡単だが、実践には苦労させられた。まずは戦いの準備、そして戦いそのものに何年もの時間を要し、政治的軍事的な面が習慣づいてしまっていたからだ。だがそんなことはおかまいなしに我々はそれを実践した。有言実行が我々の是だからであり、もしそうでなかったら、いったいなぜ我々がやりもしないことについてぐだぐだとくだを巻かなければいけないというのか。だから我々は口にしたことをやるだけだ。

 

このようにして2003年の夏に善良な政府評議会が生まれ、自己学習と統治に従うことの訓練を続けていった。

 

そのときから2005年の半ばの今に至るまで、EZLNはそのリーダーシップによって市民社会の物事について指図するということはしなくなっているが、先住民たちによって民主的に選ばれた権威者に寄り添い、手をさしのべることはしてきた。そして先住民たちに目を配り、メキシコ国民と国際市民社会に対して、彼らの支援がちゃんと受け取られて、それがどう使われているのかについての情報提供を充分に行なってきた。そして今我々は善良な政府をサパティスタのいくつかの基地へと護送する仕事をしている。皆がこの責務を学び実行出来るようにと、それらは一時的な滞在場所となっており、次々移っていくようにしている。それは自らの指導者に目を配っていない人々は隷属を強いられることになるに違いないからで、我々は自由のために闘っているのであり、6年に渡って毎年主人を変えようとしてきたわけではない。

 

EZLNはこの4年間、善良な政府評議会と自律的自治区へ、メキシコと世界からここ数年の戦闘と反乱の間に獲得した支援と連絡を取る関係性についても移譲してきた。そしてまたその間に、サパティスタの共同体が自律の確立と生活条件の改善をあまり困難を経験することなく進めていけるように経済的政治的支援を確立することも行っていた。余りあるというほどにというわけではないが、1994年の1月に武装蜂起を開始する以前に比べればかなりましになっている。この間にいろいろな政府が行った事例を見てみれば、保健、教育、食料、住居など、どれについてサパティスタの領域内の先住民の共同体だけが生活条件の改善に成功したことが分かるだろう。我々はそこを我らが村と呼んでいる。それらの全てが可能だったのは、その発展がサパティスタの村でなされたことと、我々が"社会市民"と呼ぶ善良で気高い人々と世界中にある彼らの組織からの幅広い支援を得られたからだ。こういった人々はまるで"もう一つの世界は可能である"ということを、単に言葉の上ではなく、実際の行動によって証明してしているかのようだった。

 

村は素晴らしい進歩を遂げた。今では男女を問わず多くの同胞が統治について学んでいる。たとえ少しずつではあっても、今までよりも多くの女性がこの仕事に参加している。ただし、まだまだ女性の同胞に対する尊敬が欠けている状態であり、彼女たちにはもっと深くこの闘いに関わってもらう必要がある。そして善良な政府評議会を通すことで、自律的自治区は他の組織や公共機関の権限に関する問題の解決という機能をより上手く果たせるようになった。共同体内のプロジェクトについても進展が見られ、世界中から集まった社会市民によるプロジェクトの提案や支援はさらに増えていった。保健と教育の質も向上したが、求める水準からすればまだまだ満足いくものではない。住居や食料についても同様で、いくつかの地域において問題のあった土地が、こちらにやって来てくれたフィンクエロ(農民)たちの手によって再び開墾された。しかしまだいくらかの地域では、耕せる土地が不足していることに苦しみ続けている。メキシコ国内と国際市民社会から支援に来てくれる人々については、かなり有効な活用ができるようになった。以前は皆が自分の行きたいところへ行っていたが、今では善良な政府評議会が最も助けを必要としている地域へと彼らを誘導するようにしたからだ。そして同時に、より多くの同胞たちが彼らと上手に関われるようになり、多くのことを学んだ。他人を尊敬し、他人からの尊敬を求めるということ、様々な世界が存在し、そこに生きる人々は、それぞれの場所、時間、生活様式をもっているということ、そしてだからこそ皆が互いに尊敬し合わなければならないということなどだ。

 

我々EZLNのサパティスタは、この間にあった自分たちの時間を、我々の主たる力そのものである、我々が支援する人々へと捧げ、そのことで状況は確かにいくらかの改善を見せた。サパティスタの組織とこの闘いが的外れなことをやっているなどとは誰も言えないだろう。さらに言うならば、もし卑劣な政府などが我々を完全に排除していたとしても、我々の闘いは確かな成果を見せていたことだろう。

 

こういった成長を遂げていたのはサパティスタの村だけではない。EZLNもまたそうだった。この間に起こったのは、新しい世代が、組織全体を刷新してくれたということだ。彼らは新しい力を与えてくれた。男女の司令官たちは1994年の蜂起開始からすれば成熟した状態にあり、12年間に及ぶ世界中から訪れた幾千もの男女との対話によって得た知恵を持っている。サパティスタの政治及び組織指導者であるCCRI(機密革命先住民委員会)のメンバーたちは、指導者の立場を保ちつつも、我々の闘いに参入する新たなメンバーに対して助言と指導を行っている。しばらくの間、今の"委員会"(我々はそう呼んでいる)は新世代の司令官たちの全体像を作る準備をしてきた。新世代の司令官たちは、指導と試練の段階を経て、組織の指導者の仕事について学ぶこと、そして自らの職務を果たすということを始めるようになる。我々反乱者及び軍人たち、地元や地域または支援拠点の責任者たちが蜂起を開始したのはまだ若かった頃で、今では成熟した男女となり、戦闘のベテラン、そして連合及び共同体の誕生以来の指導者となっている。94年1月当時にはまだ子供だった若者たちが成長して反乱軍に参加し、12年の戦争を通して先駆者たちが築き上げた反乱者の尊厳を受け止めながら鍛えられていった。若者たちはサパティスタ運動を始めた当初には我々が持っていなかった政治的、技術的、文化的知識についての訓練を受けているのだ。この若者たちの存在があるために、我々の軍隊が維持され、組織の指導者としての立場であり続けることができている。

メキシコの政治家階層が我々を欺き破壊をもたらしたことで、我々は愛郷心に目覚めた。世界を覆う新自由主義によるグローバリゼーションは大変な不正と虐殺を引き起こしている。だがそのことについてはまた後で話そう。

 

EZLNは12年間に渡る戦争、軍事的、政治的、イデオロギー的、経済的な攻撃、包囲網、嫌がらせ、迫害に抵抗し続け、卑劣な政府などはいまなお我々を屈服させることができていない。我々は手を出し尽くしてもいないし降伏もしておらず、なお進歩の途中にある。多くの場所から次々に同胞がやって来て闘争へ参入し、卑劣な政府などが何年もかけて我々を弱体化させようとしたのにも関わらず、むしろ我々は強化されている。そこには問題もあるが、もちろんのこと、政治的軍事的要素を市民的民主的要素から分離すれば解決できることだ。ただ最も重要なのは、我々がこの闘いの中で求めてきたものであり、それらは未だ充分に獲得されてはいない。

 

我々が思っているのは、また我々の心の内にあるのは、我々がもはやそれ以上はないというくらいの所まで到達してしまったということで、それに加えて、現状維持だけで前へ進むための努力を怠るのであれば、全てを失う可能性もあるということだ。あえて再びリスクを取り、危険だが価値のある一歩を踏み出す時が来ている。我々と同じように苦しんでいる他の社会と連合すれば、我々が必要とし、また享受すべきものを、おそらく手に入れることができるだろう。先住民たちが都市と地方の労働者や小作農民、学生、教師などと団結することによってのみ、この闘いにおける新たな一歩を踏み出すことができるのだ。

 

 

セルバ・ラカンドナの第6宣言 その3へつづく――