Re: Writing Machine

Teoreamachineの小説ブログ

君の代わりに その10

  

 「飲みに行かない?」

 三日目の夜、「彼女」がそう言い出した。この三日間、東山、祇園、嵐山と、とりあえず誰もが思いつく京都の観光地で、旅館の近辺にある所は回ってしまい、明日くらいからやや間延びした旅になるんじゃないかと思っていた矢先なので、ちょっと変化をつけるには良いタイミングの提案だった。

 顔見知りになった旅館のスタッフに、それとなくオススメのバーを聞いてみる、そして僕は「彼女」と連れ立って、夜の京都へと出て行った、朝からかすかに雨のぱらつく天気だったので、やや空気は湿っぽいが、特別不快というわけではない、むしろ、昼の暑さを忘れられるくらいには心地良い風が吹いていて、僕は深呼吸などしてしまう。人通りの多くはない路地を進み、聞いたとおりの場所にあったビルの狭いエレベーターで上の階へとあがる、木製の格子の戸を開けると、確かに素晴らしく雰囲気の良いバーがあった。大きな木製の、複雑な輪郭をしたテーブルが印象的な店内には、やや大きめの音量でジャズが流れている、地元の人間らしい客が数人、カウンターで静かに飲んでいた。ただ、「彼女」は他人の話し声のする場所をできるだけ避けたがるので、僕はさらに店の奥に進んだところにあったバルコニーの席につくことにした。

 

 

 「凉しい」

 背の低いビルの並ぶ京都の路地の風景を眺めながら、「彼女」は目を細めて呟く。「彼女」はリラックスしているようだった、反面、僕はあまり落ち着かなくて、ビールを何度も口に運んでは少しだけ飲んで、グラスを置く。

 「何そわそわしてるの?」

 冷静な態度で「彼女」が聞く。

 「何か落ち着かないんだよ、旅行先のバーって」

 「そうなの」

 「すごく自分が場違いな感じがしてくるんだ、こういうのって。君は平気なの?」

 「私は別に。どこにいようと、常に場違いな人間だし」

 「君らしい答えだな」

 「真面目に答えると、慣れっこだから。働いてたときはいろいろ出張して、地元の店に一人で入ったりするなんてしょっちゅうだったし」

 「しょっちゅうか。やっぱり忙しい仕事だったわけだ。充実感はあったの?」

 「何その質問」

 「いや、それとなく君が言葉を失った原因を探してみようかなと思って。仕事に人生を捧げようとして燃え尽きたとか、そいういうことをふと思ってみたんだけど」

 やや僕の質問をうっとうしく思ったような様子で、「彼女」は肩をすくめ、グラスからアマレットジンジャーを一口飲んだ。

 「充実感とか、そういうことは考えてなかった。とにかく目の前の仕事片付けて、そんでお金もらおうっていう、シンプルでドライな感じ。だって、充実感とかやりがいとか、考えるとだめでしょ。そういう人間から潰れていくのが世の常だと思う。私は特に、燃え尽きるとかそういう性質じゃない。それに、そもそも、言葉をなくした原因探しなんて、しようとも考えてないの、なんとなくだけど、もっとあいまいで、だけど決定的なものって感じがしてる。特定の犯人探しで解決するものでもないってことね」

 「人の心は複雑ってことかい」

 「複雑っていうより、いいかげんで気まぐれなんじゃない? だから複雑にも単純にも見える。私は別に悩んでないの。悩んじゃダメよ、悩みなんて類型化されてしまってるんだから。悩んだ瞬間、人は自分の悩みを悩むことができなくなる」

 「僕が日記を書くっていうのは、僕が君の代わりに悩むということなんじゃないかっていうふうにも思える」

 「なるほど。自分で悩むよりは、他人に悩んでもらうほうがマシっていうのは確かだけど」

 「僕の仕事の正体が、ちょっとつかめた気がする」

 「安易に結論をだしちゃだめよ、手近な結論に逃げると、あなたの書くものはきっとつまらなくなる」

 「オーケー。もうちょっとがんばってみるよ」

 そう言って、僕は思い出したようにビールを飲む。「彼女」と話していたおかげで落ち着かない気分は収まり、自然なペースで飲めるようになっていた。

 「それじゃあ、もう少し君についてを知ることから始めようか。もっとあいまいに、だけど決定的に」

 「それはそれは、お手柔らかに。そうしてもらうほうが良いわね、私を一人の人間というより、一つの病理として見るのは、得策じゃない」

 「彼女」はカクテルを飲み干してグラスを置き、身構えるようにイスに座り直す。いざこういう感じになると、何を聞いて良いのか、ぱっと質問が出ないものだなと思い、僕はおどけたように視線を泳がす。ちょうど、バーテンがグラスを下げに来たので、「彼女」はモヒートを注文した。無愛想なバーテンは、いったんカウンターに引っ込んだ後すぐにバルコニーに現れ、アイフォンを懐中電灯代わりにして何やら隅にあるプランターを照らしていたかと思うと、そこに生えていた草のようなものをちぎって持っていく。何をやっているんだろうと思いながら、僕と「彼女」が無言のまま顔を見合わせていると、そのバーテンが戻ってきて、「彼女」の前にミントの入ったモヒートを差し出した。「ああ、そういうこと」とつぶやき、「彼女」はくすりと笑う。

 「これ以上ないくらい新鮮なモヒートってわけね」

 グラスを目線の高さに上げて、「彼女」はプランターから摘んだばかりのミントをしげしげと観察する。

 「あの旅館のスタッフに感謝しないとね、確かに良いバーだよ、ここは」

 僕はビールを飲み干すと。立ち去ろうとしていたバーテンを呼び止め、キューバリバーを注文した。

 「……さて」

 注文したカクテルが出てくるのを待ってから、僕はしきりなおすように切り出した。

 「さて?」

 「君について、何を聞こうか」

 「聞きたいことを何でもどうぞ。こっちも答えたくないことには、基本、答えないから。遠慮無く聞いて」

 「それじゃあ……、その仕事を選んだ理由って何だったの?」

 「そんな質問?」

 「彼女」は露骨にあきれた顔をする。

 「いや、徐々に掘り下げようかと思って」

 そんな言い訳をするが、僕はつくづく相手のパーソナルな領域の深いところに踏み込むのが苦手だなと反省してしまう。他人に踏み込まれることも好まないのだが、そのせいで、他人に踏み込むこともできない。つまり、僕は結局こういうことについて、十代の少年みたいにナイーブなのだ、つくづく、恥ずかしくなるくらいに。

 「何となく、そういうものだったから」

 ため息でもつくような言い方で、「彼女」が答える。

 「何となく、そういうもの?」

 「そう。有名な大学卒業してそれなりに能力が高くて、保守的な社会を好まない人間なら、だいたいそういうとことに行きたがるっていうのが、お決まりのコースだったってこと。お金もステータスも得られるし」

 「深い理由はなかったの?」

 「はっきり言って、なかった。その時は、自分なりにちゃんと考えてるつもりだったけど、今にして思えば、何も考えてないのと一緒ね。だからこそ、すんなりそういう所に就職できたんだろうけど。就活って、悪趣味でしょ? みんなが物語を切り売りしてる。自分が今までこんなふうに生きてきて、これからはこういうことをしたくて、だからこの会社に就職したいっていう物語をこしらえて、そんで、会社の側にも用意してる物語があって、それと合致した人間を採用していく。あれを見てると、結局、誰もが世の中に共有された息苦しい物語に支配されて、その中で生きて、死んでいくんだってことを思い知らされる。自由な時代だとか言われてるのに、みんな、わざわざ不自由の中に自分を閉じ込めることに一生懸命にならざるを得ない。大学生のときは、そんなこと全く気づかなかったけど、ゾッとする話ね、ホントは」

 「そこへいくと、僕は公務員っていう、とことん舗装された道を選んだわけだけど」

 「でも辞めた。その職業にしては異例の選択で、他の人たちからは大きく外れた方向へ舵をきったわけね」

 「それはまあ、単にそこから降りてしまったというだけさ。そのまま続けてても、何もない人生しか待っていそうになかったから。これからどうするかが全く見えてないし。君が仕事をくれなかったら、僕は結局そのまま飢え死にしてたかもしれない」

 「それはどうも。降りたという点では私も変わらないけど。がむしゃらに働いて、たくさんお金もらえても、守られるのは見栄とかプライドくらいで、結局この先何もないっていう考えに陥って。まあ、それはさておいて、とりあえず、あなたを窮乏から救えたのは何よりね」

 「ホントに瀬戸際だったからね」

 「はたから見ると、カッコ悪い死に方ね。大見栄きって仕事辞めて、恋人にふられて、そんで飢え死にするって」

 「ある意味潔いだろ、そういう所も評価してくれよ」

 「そうね、草食とかいってバカにされてる若い男子にしては、気骨を見せたといったところかしら」

 「……バカにしてるだろ」

 「そんなことないって」と言いながら、「彼女」が笑う。ほろ酔い加減で、顔がほんのり赤い。

 「ねえ」

 ほおづえをつきながら、僕をのぞき込み、「彼女」が聞いてくる。

 「何だよ」

 「あなたをふった、恋人についてだけど」

 「そんな質問するのかよ」

 僕は、さっき「彼女」に言われたことを、わざとオウム返しするような言い方をする。

 「だって、面白いじゃない、あなたみたいに変わった人が、どんな女性を好きになったのかって」

 「僕は性愛についてはおおいに凡人だけど」

 「名前は?」

 「ユミ」

 「美人だった?」

 「とても」

 「性格は?」

 「すごく良い子だったよ。優しいし、怒ったりしないし、僕を困らせるようなことも言わない。ホントに、僕にはもったいないくらいだった」

 「好きな食べ物は?」

 「カルボナーラ。しょっちゅう自分でも作ってた。生クリーム多めで、ベーコンは入れないんだ」

 「一番高いプレゼントは?」

 「ユミが好きだったブランドのジャケット。確か、五万円くらいした。前から欲しいとかぽろっと呟いてたヤツを、こっそり買っておいて、誕生日に」

 「セックスは?」

 「ごく普通だった。そもそも、ユミはあまり好きじゃなかったね。月に三回くらいしかしてなかった。僕はもっと多くてもよかったけど、ユミはあんまり楽しそうにセックスをしてる感じじゃなかった。そして、僕もそんなユミを見て、相手の体から快楽を強奪しているような罪悪感をかすかに覚えてしまうのさ」

 「嫌いなところは?」

 「はっきり言って、無かったね。僕にしてみればできすぎた恋人で、唯一それが難点だったくらいさ」

 「未練は?」

 「別に……いや、あるのかな」

 「おおいに引きずってる感じね」

 「そんなことは……」

 僕は上手く答えられない。別れることが予感できたそのときから、僕は変に思い入れを持ったりしないように、感情を切り離して客観的に事態をとらえ、「別れよう」というユミの言葉を、出来るかぎり素直に受け入れた。後腐れないようにしたつもりだったのだが、それが逆に良くなかったのだろうか、今だにときどきユミのことを思い出してしまうのは否めない。始めて会ったときはどうだったとか、二人で行った旅行だとか、やはり頭に浮かんできたりする。そんな僕の様子を見て、見透かしたような顔で、「彼女」は手に持ったグラスをふらふらと揺らしている。

 「図星ね」

 「彼女」がちょっとだけ意地の悪い笑い方をした。

 「僕の何が分かるっていうんだ」

 酔っ払っていたせいもあるのだろう、余裕ぶった態度で僕の傷口を掘り下げる「彼女」に、何となく腹が立ってくる。おまけに、別れて以来始めて他人にユミのことを話したせいで、押さえていたものが外れてあふれるように、頭の中で思い出が鮮明によみがえってしまって、それが余計に僕の感情をかきみだす。

 「分り易すぎるのよ。態度や言葉にはっきり出てる」

 「うるさい」

 「よりを戻したい?」

 「いいかげんにしろ」

 一回腹が立つと、どうにも歯止めがきかなくなってくる、僕も僕だが、「彼女」も「彼女」で、こっちが腹を立ててはねつけるほどに、負けじと傷口に塗り込む塩を追加してくる。たぶん、いきなり旅行に出て数日間を過ごしたせいで、お互いにぶつかりやすい状態になっていたのかもしれない、誰かと旅行に行くと気付かない間に大きなストレスをためてしまうものだが、僕らのように知り合ったばかりの相手同士だとなおさらだ。あちこち忙しく出かけていたせいで今まで表面化していなかったものが、急にぽんと弾けてしまう。

 「何怒ってんの?」

 「別に怒ってない」

 「怒ってる、というより、いじけてるのね。何をくよくよしてるの? もともと自分がまいた種じゃない、自分の意志で仕事辞めて、それでふられたワケでしょ、それで未練残してるなんて、バカみたい」

 「うるさい、黙れよ」

 僕はカクテルをぐいっとあおって、わざと乱暴に大きな音をさせてグラスをテーブルに置く。

 「ちょっと、そんなに怒らなくても」

 「どれくらい怒るかは、こっちの自由だ」

 我ながらどうしたんだと思うくらいに、僕は子供みたいにふてくされ、両手で耳をふさいでそっぽを向いてしまう。

 「アホくさ」

 大きなため息をついて、「彼女」が立ち上がる、そして、五千円札をテーブルに叩きつけると、「先に部屋に戻ってるから」と言い残して、スタスタとバーを出て行ってしまった。

 

 

 「くっそ」

 一人残された僕は、「彼女」ではなくてむしろ自分自身の体たらくに毒づきながら、グラスを空けた。何というか、僕は失敗から学べない性質だった、ユミの前に付き合っていた恋人のときもそうだったが、別れる前に、相手が自分にとってどれくらい大事な存在なのかとか、そういうことを全く考えようとしないのだ、ただ何となく一緒にいるだけで、だらだらと過ごしてしまう。さらに救いがないのは、別れるときに強がってしまうのかなんなのか、僕は全く悟ったような態度で、すんなり別れを受け入れてしまうのだ。僕は変に冷静でいようとカッコをつけてしまい、たぶんホントは心のどこかで行かないでくれ別れたくないとか叫びたいくせに、「別れたければ、どうぞご勝手に」という態度をとってしまう。別れた後も表に出さずに、でも実はこっそり引きずっていて、こんなときに無様にも感情をかき乱されてしまうのだ。ああ、ダサい、僕はつくづくイタい男だ。

 ふと気づくと、グラスを下げにきたバーテンが横に立っていた、僕は勘定を頼み、「彼女」が残した五千円を手渡す。一瞬、目が合う、バーテンの目が「追いかけなくていいんですか」とうったえているような気がしたが、他人に全く干渉しないのが主義といった感じのバーテンはもちろん何も言わず、黙って店に戻り、釣り銭が乗ったトレーを持ってきた。

 

 

君の代わりに その11へつづく――