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Re: Writing Machine

Teoreamachineの小説ブログ

君の代わりに その11

 

 屋に戻ったとき、「彼女」はいなかった。トイレかシャワーかと思ったが、物音はしていない。まあ、僕が帰ったのは彼女が出たすぐ後だったし、「彼女」がコンビニにでも寄り道していたら僕のほうが先に部屋に戻るのも当然だと考えながら、窓際のイスにもたれて天井をあおぐ。いったい、「彼女」はどういうつもりなんだろうか。言葉を使えなくなったといって僕に日記を書かせ、かといって深刻に悩んでいる様子でもない、あるいは深刻さを避けているのだろうか、飄々とし、かつ、憂鬱としている。そもそも、僕に日記を書かせることで問題が解決すると、「彼女」が本心から考えているフシもないのだ。僕自身が他人のことをあれこれ質問したり気にかけたりするのが苦手ということもあるが、「彼女」は「彼女」で、自分のことを語りたがっていないような気もする。もしかしたら、他になにか目的があるんだろうか、あるいは、目的など何もないんだろうか。

 「彼女」は何も、話すことができない。

 そう思うと、僕は何となく心配になってくる。何も話せない状態で、夜の街へ出て、何かトラブルに巻き込まれたら、いったい「彼女」はどうやって対処するのだろう? ここで待つべきか、いや、捜しにいくべきだろう。僕は立ち上がる、そもそも、「彼女」が出ていったのは僕の忍耐の足りないせいなのだ、その事実を認めるくらいの冷静さを、僕はすでに取り戻していた。

 はてさて、どこへ行ったのやら、僕は再び夜の街へ、土地勘のない場所を、勘だけを頼りに進む、右か左か、たぶん右、いや左か、など、右往も左往もしつつ、歩きまわる。こんな時間に開いているのはコンビニくらいなので、見つけるたびに立ち寄るが、「彼女」の姿はどこにもない。治安の悪い場所というワケでもないので、妙な事件に巻き込まれたりということもなさそうだが、なにぶん女性の一人歩きゆえ、クセの悪い酔っぱらいなどにからまれていなければ良いのだけれど。言葉が喋れないということで、余計なトラブルを引き起こしそうな気もする。

 あんまり闇雲に突き進むと、旅館に戻れなくなりそうなので、僕は大体の方向だけは見失わないようにしながら歩いていた、こういうとき、京都は道が碁盤の目状になっているので助かる。

 三十分ほど歩いて、もう「彼女」は旅館に帰ってるんじゃないんだろうかなどと思い始めたとき、僕は「彼女」を見つけた。公園、と呼ぶにはやや躊躇する、申し訳程度の植え込みと小さなブランコだけが置かれた空間の中に、「彼女」はいた。ブランコに座っているのだが、どう見ても小さな子供用なので、ほとんど体育座りでもしているような格好で、真っ暗な中に真っ黒い服に身を包んだ「彼女」がぽつねんとしている。遠目には一人落ち込んでいるような格好だったのだが、近づいてみると、どうもそういうわけではなく、「彼女」は目の前にいた真っ黒い猫に、にゃーにゃーと話しかけていた。近づいて話しかけようかと思うが、いや、そっとしておいた方がいいんだろうか、と考え立ち止まる。どっちにすべきか決めかねて、僕はそのまま動かなくなってしまう。急に、お互いの孤独がそこにむき出しになってしまっているような気がしたのだ。僕は孤独で、「彼女」は途方もなく孤独で、数日間一緒にいたけど、それが互いの孤独に何か作用したというわけでもなくて、どちらも、その孤独を受け入れるでも埋め合うでもなく、持て余していた、その姿が、なんだかはっきりと浮かび上がってしまっているような気がしたのだ。何もかもがバカバカしくて、煩わしくて、「自由になりたいんだ」とキザぶって、人生を投げ捨てた僕と、急に言葉を失って、冷めた目でしか世の中を見れず、世の中から遊離してしまった「彼女」。たぶん傍から見ればバカみたいな二人なのだろうが、僕も「彼女」も他人とはどうも共有しにくい問題を抱えて、立ち往生している。ただ、そういう境遇であるせいで、少なくとも僕には「彼女」の孤独が見えている、だけど、そこから先へ、僕は進もうとしない、僕はこの距離について、他人よりはるかに敏感だという自覚がある、僕は多分、周囲の人々からは、あえて他人に無関心で鈍感な人間のように思われているけれど、本当は逆なのだ。他人とのその距離は僕の感受性のせいでもあれば、ナイーブさのせいでもある、ただ、この距離は、世の人がさほど簡単に批判したり無視できるものだとも思えない、これを無視すれば、人は他人の存在というものを、本当に感じることはできないはずなのだ。それについての感受性がないと、例えば、実は他人というものにどこまでも鈍感だからこそ社交的になれるというタイプの人間が出来上がったりする。

 そんなことを思いながら、僕は黒猫と話す「彼女」を見ていた。黒猫は自分に話しかけてくるおかしな人間を警戒している様子だったが、やがてそっぽを向いてひゅっと身を翻して飛び跳ね、夜の中へと潜り込んで消えていく。その背中に「彼女」が、にゃーという叫びをぶつける。どこかへいなくなった黒猫をあきらめたように首を振った「彼女」が、とうとう僕の存在に気づいて、こちらへと顔を向けた。

 ただ、この距離にいつまでも甘んじているわけにも行かないだろう、と僕は思う、この日和見は、確かに鈍感さと変わらないのだ。僕はずっと、ユミと別れた原因を失業のせいにしていたけれど、実は僕のこういう表面上の鈍感さや無関心さもまた、ユミの心をつなぎとめることができなかった原因なのだ、たぶん。冷感症を装う「彼女」も「彼女」で、僕と似たような敏感さと、その裏返しとしての鈍感さを持っているのかもしれない。

 「猫とは喋れるんだね」

 「彼女」と目が合った僕は、できるだけ柔和な笑みを作りながら声をかける。

 「にゃー」

 威嚇する猫のような感じで、「彼女」が鳴きマネをしてみせる。

 「さっきは悪かったよ」

 「ずいぶん素直じゃない」

 「心配してたんだ」

 「何で?」

 「……いや、だって、君は他の人と喋れないだろ」

 「大丈夫よ、私には猫がいるから」

 そう言って、「彼女」が笑う。

 「何してたの?」

 「別に、何も」

 「何もないのに、こんな所に?」

 「そうよ。一人で旅館にいるの、何だか嫌だったし」

 「寂しかったってことだね」

 「違うって」

 大げさに、「彼女」が首を横に振る、ただ、そのしぐさにはいくらかの照れがあった。「彼女」の横、空いているブランコに僕も腰掛ける。そのまま、かるくブランコを揺らしていると、まるで、すでにしばらくここで過ごしていたかのような、打ち解けて、落ち着いた気分になる。

 「ねえ」

 「何?」

 「小さいころって、どんな子供だったの?」

 「急に何よ」

 「気になったから。だって、君の子供のときなんか想像つかないだろ」

 「そうかな」

 「そうだよ。ずっとクールな態度とってる。さすがに子供の頃からそんな感じだったわけじゃないだろうし」

 少し、考えているような顔で、「彼女」が座っているブランコを前後に揺らす。大人の体重で、ブランコの鎖からギイギイと音が漏れた。

 「たぶん意外だろうけど、すごく元気がよかった、周りからうるさがられるくらいにね」

 「え、そうなの?」

 「四六時中ぎゃーぎゃー言ってた気がする、自分の中にあるエネルギーをまき散らす性分だってみたいね。大人たちからよく怒られたわ」

 「いつのまにそうじゃなくなったんだろう」

 「たぶん、中学生くらいじゃない? ありがちかもしれないけど、多感な時期に正反対の人格に変わって、そんで、とうとう言葉一つ発しない人間になっちゃった」

 「奇遇だな、実は僕も似たようなタイプだよ。子供のころはとにかく騒がしくて、授業中も止まらない、先生からはうるさいだの馬鹿だの怒られて、授業参観にきた母親からは恥ずかしくて死にそうだの、もういい加減にしてくれだの、ため息まじりに嘆かれたくらいさ。そんで、中学生くらいになると、こんどは全く他人から距離を置く内向的な人間になってしまった」

 「意外と似たもの同士なとこもあったのね、私たち」

 「きっと敏感なんだ、この世に他人がいるということの不可解さに。そのくらいの歳になると、急に、そういうことに気づいて、それが恐ろしくなってしまう。今まで自分の世界だけでやってきたのに、それが反転したかのように、他人に怯え始める。もちろん大人になればいくらかは慣れてしまうけど、僕らみたいな敏感すぎるタイプは、消化不良のまま、そういう問題を引きずってしまうんだ」

 「どうかしら、私はむしろ自分自身のほうを持て余してる」

 「だけどその二つには、いったいどの程度の差があるんだろう」

 「さあ、単なる視点の違いっていうだけかもしれない」

 そこでいったん会話が途切れる、僕と「彼女」は、同じようにブランコを揺らしながら、ほとんど人通りのない通りを眺めている。

 「そういえば、君からの謝罪を聞いてない」

 「は?」

 「いや、さっきのケンカのことさ、確かに怒りだしたのは僕だけど、そもそもの原因は、君が僕を小馬鹿にしたような態度で、僕の元カノへの未練をほじくり返したせいでもあるだろ」

 「自分が謝ったから、私もってことね」

 「そうさ。仲直りにはそれが不可欠だ」

 「……やだ」

 「なんでだよ」

 「だって、確かにちょっと意地悪だったかもしれないけど、謝るほどヒドイことしたかっていうと、ねえ?」

 そう言って「彼女」一流の余裕ぶったしぐさで肩をすくめる。やれやれ、つくづくイヤな女だ、と僕は思う。

 「よし。じゃあ、ひとつ賭けをしようか」

 「賭け? 私が負けたら謝れってこと?」

 「その通り」

 「別にいいけど。ずいぶんこだわるじゃん」

 半分笑いそうな顔で、「彼女」が僕を見た。

 「こうなったら意地だ」

 「それで? どうするの」

 「次に僕らの目の前を通るのが、男か女かを当てよう」

 「もう夜遅いし、男に賭けるほうが有利じゃない? それに二人以上の人が通る可能性もあるわけだし」

 「その時は男が多いか女が多いかで決めたらいい、でも例えばカップルだったら引き分け、延長戦だ」

 「いちおう乗ってあげるけど、どっちに賭ける? やっぱり男?」

 「それは君にゆずるよ。謝りたくないようだし、僕は多少寛大な人間だからね」

 「謝れって言ってる時点で、すでに器は小さいけど」

 「うるさい」

 「じゃあ私が男で、あなたが女、それでいい?」

 「のぞむところだ」

 こうして僕と「彼女」は馬鹿馬鹿しい賭けを始め、やはりブランコを揺らしながら、通りに現れる人を待ち構える。静かで心地良い夜だった、適度な湿気を帯びた空気は羽毛のように柔らかく、風は緩やかに解ける糸のように広がって、頬をなで、植え込みの葉を軽く揺すった。しばらく待っていたものの、時間帯と場所のせいか、なかなか人は現れない。

 「このまま誰も来なかったりして」

 「さっきまで何人か通ってたのにな」

 「このまま続ける? もし延長戦なんてことやってたら、しばらく帰れないかも」

 「じゃあいいよ、賭けの方法を変えよう、今から十五分以内に、誰かが通るかどうかで勝負だ」

 「そのほうが良さそうね、じゃあ、私、誰も来ないほうに賭ける」

 「いいだろう。僕は来るほうだ」

 僕は携帯電話を取り出して膝の上に置き、「一時十二分」、と声に出して時間を確認する。僕と「彼女」は無言のまま通りを見つめ、僕は何度か携帯電話を操作して時間を確認する、五分、十分と時間がすぎても、通りには誰も現れない。

 「もう一時二五分ね」

 タイムアップが近くなると、「彼女」もスマホを取り出して時間を確認し、すでに勝ちを確信したかのような言い方をする。

 「まだ分からない」

 僕は携帯電話を握りしめ、じっと、必要以上に真剣な顔をしていた、開始から十四分が経過して、落ち着きなく携帯電話をカチャカチャ鳴らし、暗い通りに目を凝らす。誰も通らない、「彼女」も、勝負あったとばかりに伸びをして、立ち上がる準備を始めていた。

 「どうやらダメみたいね」

 「彼女」がそう呟いた瞬間、植え込みがガサガサと音を立てる。

 「何だ?」

 僕も「彼女」も驚いてのけぞり、じっと、音のしたほうを注視した。すると、真っ暗でよく見えないものの、植え込みの下から何かが出てくる。

 「……猫?」

 「彼女」にそう言われて、よく見てみると、確かに、さっきの黒猫がそこに立って、暗闇にそばたてるようにして耳をぴくぴくさせている。 

 「にゃー」

 さっきと同じような声で「彼女」が黒猫に話しかけると、黒猫はぴたっと耳の動きを止めて、むき出しにした警戒心にくるまるように身を縮め、ささっと飛び跳ねて、再び通りへと姿を消した。

 「……僕の勝ちだな」

 その言葉を聞いて、「彼女」が笑い出す。今まで僕が見た中で、一番自然な笑顔だった。

 「猫も通行人にカウントするの?」

 「そうさ」

 「必死ね」

 「何とでも言え」

 「彼女」はまだ笑っている、僕が勝ちにこだわる様子が、よっぽど面白いらしい。

 「いいわ、謝ってあげる」

 「上から目線だな」

 「だって、人じゃなくて猫だったし、ちゃんとした勝ち負けがついたわけじゃない」

 「負けず嫌いめ」

 「またケンカするつもり?」

 「たまには僕も意地を張るのさ」

 しょうがないわね、とばかりにため息をついて、「彼女」が僕のほうに向き直る。別に怒ったりあきれている様子はなく、むしろ機嫌は良さそうだ。

 「今回は素直になってあげるわ。……ごめんなさい」

 ぺこりと頭を下げてから、「彼女」が上目遣いで僕の様子をうかがう。

 「……ごめん」

 とっさに、僕は謝ってしまう。

 「何謝ってんの?」

 「いや、何か君が頭をさげるのを見たら、こっちが完璧に悪いことしたような気になって」

 「バカね。お人好しすぎ。人間たまには傲慢になってもいいのよ、いつもそうだと困るけど」

 僕はやや自嘲気味になりながらうつむいて、頭を掻く。

 そのまま旅館に帰ろうかと思っていたのだけれど、こんなやりとりのおかげで僕と「彼女」の間にはずいぶんとリラックスした空気が流れていて、そのままキイキイとブランコを揺らしながら、しばらくぼうっとしている。

 「もうひとつ聞いてもいい?」

 ふと、もう少し「彼女」のことを掘り下げてみようかと思い、僕は質問を切りだす。

 「何でしょうか」

 「これも、全く想像つかないんだけど」

 質問を待ち構え、「彼女」がうなずく。

 「君の家族って、どんな感じ? 君は何だかすごく個人として生きてるって風だから、これも想像つかない」

 途端、「彼女」が表情を曇らせる。それまでの温和な雰囲気や、ずっと浮かんでいた笑みはさっと消え、険しい顔だけが、そこには残った。

 「……あ、喋りたくないことは、もちろん喋らなくて良いし……」

 どうやら、最悪のことを聞いてしまったらしいと察知した僕は、その質問を取り下げようとするが、一度投げかけられてしまったそれは、「彼女」にグサッと突き刺さってしまい、ちょっとやそっとでは引っ込められそうにない。家族に関して、「彼女」には全く良い感情はなさそうだった。

 「気にしなくていいわ」

 そう答える「彼女」の、表情からはいくらか険しさが引いていたが、やはり重々しいままだ。

 「ひとつ聞くけど」

 そのまま黙っているつもりかと思ったが、「彼女」のほうから話し始める。

 「何?」

 「この旅行の出発のとき、私、ホントに行き先決めてなかったと思う?」

 「少なくとも、君はそんなふうに振る舞ってたけど」

 「ホントは決めてたの、ここに来るって」

 「じゃあ、なんで何も決めてないふりなんか」

 「来たくないっていう気持ちも強かったから。来なきゃいけないような、来るべきじゃないような、両方が同じくらいの力でせめぎあってる感じだった」

 「つまり、何か目的があって、ここへ来たってことか。それも、あまり楽しそうじゃないようなことがここにある」

 「そうね」

 「そして、それは君の家族と関係がある」

 「そのとおり。私の唯一の肉親が、ここにいるの」

 「唯一?」

 「そうよ。躊躇したら、そのまま黙っててしまいそうだから、全部言ってしまうけど、私の母親が、ここに住んでる。父親は、そもそも誰なのか分からない。兄弟は、私の知る限りではいない」

 「父親が分からない?」

 「そうよ。とんでもないアバズレなの、私の母親は。どうしようもなくだらしなくて、お金と寂しさを動機付けにして誰とでも寝る女だったのよ、それで私を身ごもったけど、肝心の父親が誰かわからない、行きずりの男の中の一人だったからね。結局堕ろしもせずに私を産んでしまったけど、当然そんな人間に子供が育てられるわけもなくて、見かねた児童相談所の人たちに、施設に入れられることになったってわけ」

 「それは、つまり母親を憎んでるってことか」

 「そうでもないよ。昔はそうだったかもしれないけど、今はそういう感情的な拘泥はなくなってる。逆に干からびてしまったみたいに、もう何とも思わない。昔はいつも頭の片隅に母親のことがあったけど、今はときどき思い出すことくらいしかしない」

 僕はなんと言ってよいやらよく分からない、深刻な問題について話しているようで、その実、「彼女」は感情のこもらないような声で、淡々と喋っている。

 「……母親に会うつもり、なのかい?」

 「結局、そういうことになるかな。とっくに干からびた感情だけど、どろどろしたものが蒸発した後に、何だか上手く処理できない固形物が残ってる感じ。子供の時以来もうずっと会ってないから、何年ぶりなのかよく分からないくらい。ずっと会いたくなくて、避け続けてきたけど、居場所だけは知ってるの」

 僕は黙っている、通りにはやっぱり人はいなくて、夜だけがますます深くなる。

 「何であなたが深刻な顔になるの?」

 僕を見る「彼女」の表情には、幾らかの重々しさは残っているものの、幾らかの余裕もあって、何か母親のことについて思いつめているというほどの様子はない。話し始めたら楽になったのか、取り繕っているだけなのか、そのポーカーフェイスからは読み取れない。

 「いや、いきなり結構な身の上話が出てきたから、上手く反応できない」

 「別にそんなの求めてないし。こういう境遇を抱える人間の中には、周りに深刻な顔して欲しいから勿体付けて話す人と、そんなのいらないからあんまり話したがらない人がいるのよ。私はもちろん後者」

 「そういうもんかね」

 「そういうもん。同情されても何か居心地悪いだけだし、私はたまたまそういう境遇で、そうじゃない人もたくさんいて、ホントはそれだけの話、でしょ」

 「まあ、言ってしまえば、ね」

 「私ね、あなた以外の人とは喋れなくなったって言ったでしょ?」

 「うん」

 「前にも一度、似たような症状になったことがあって」

 「へえ」

 「それが、母親から離れて施設に入ったときなの」

 「今回の症状は、そのことと何か関係があるってことなのか」

 「それは分からないけど。母親に会ったからといって、私が喋れるようになるとは限らない、でも、やっぱり整理は付けておかなきゃいけないんだろうなって」

 「まあ、一般に問題というのは、目を背ければ背けるほど、しつこくそこに居座るものだけど」

 「そうね。そこに原因を求めるつもりはないんだけど、やっぱり避けてるかぎり、離れられないのは確か。私の言葉が戻ろうと戻るまいと、とりあえず会うことにしたの」

 「それで、僕も一緒に行くっていうのか」

 「大丈夫。母親があなたにどうこう言う可能性はほとんどないと思うわ。もう、母親にはなにがなんだか分かりゃしない。だから、今はあんなとこに住んでるんだし」

 「あんなとこ?」

 僕と「彼女」の目が合う、たっぷり間を開けて、ゆっくり動いた「彼女」の唇は、とても重そうだった。

 「……精神病院」

 

 

君の代わりに その12へつづく――