Re: Writing Machine

Teoreamachineの小説ブログ

君の代わりに その12

 

 月、二十七日

 

 観光客でいることにも疲れてきて、「彼」とバーに行ってみる。雰囲気はとてもよくて、カクテルも美味しい。

 知らない土地で、こういう、観光客がいない所に行くと、本当に誰でもない人間に近づける気がする。観光客である間は、観光客というアイデンティティを与えられて、その衣に保護してもらうことができるけど、こういう所にいると、私と「彼」は、収まりどころの無い、ふわふわとした、不自然、な存在になる。その不自然さが、「彼」を落ち着かない気分にさせたようだけど、私はこういうのが好きだったりする。私は、「誰か」でいたくないのかもしれない、たぶん昔からそうだった、「誰か」でない瞬間こそが、私にとっては自然体なのかもしれない。

 「彼」と半ばケンカのようなことをするハメになる、というか、「彼」がへそをまげてしまったのだけれど。私が、元カノへの未練について突っつきまわして、ちょっとイジメてしまったのが原因だ。正直、「彼」が怒るのはよく分からない、もともと自分がまいた種なんだし、そこはあきらめも付けやすいはずだし。未練があるならヨリを戻すように努力すべきだし、それをしない優柔不断さは、何なんだろう。別にこれは「彼」の問題なんだし、私が考えるようなことじゃないけど。

 仲直りした「彼」に、子供の頃、母親と離れて、言葉を失ったことを話した。「彼」は深刻そうに聞いていたし、私も深刻そうな顔をしていたかもしれない、けど、あれは本当に、不幸な出来事だったんだろうか。声を失ったとき、私は、この不自然さの中にいた。確かに、私はそれに恐怖して、とまどい、震えていた、けど、妙な安心感の中にいた、というのも、また事実だったのだ。その静寂、沈黙は、ある種の、ようやく見出された、私の故郷だった。

 母親に会いに行く。

 それで何かが解決するのだろうか、何も変わらない、という気がしている。心の傷の回復、という物語を求めてはいない、そんな単純なヒロインを演じて、自分が何かを取り戻したという、そんな振る舞いをして、私は息苦しい隘路に収まりたくはない。だからこそ、あえて母親に会うようなことはしてこなかった。けど、今は逆に、それを避けていることは、結局それにこだわっているのと同じことになるんじゃないか、と考えるようになってきた。一度ニュートラルにならきゃいけない、だったら、あれこれ考えずに会ってみるべきなんだろう。

 かといって、母親に一人で会うことも考えられなかった、私は、今、誰とも喋れないのだ。母親と会ったら喋れるようになるんじゃないか、あるいはそういう可能性はあるかもしれない、けど、私には、全くそんな予感がない、私は物語じゃなくて、現実を生きているのだ。だから、「彼」に付いて来てもらうことにした。

 私は不自然さの中にいる、その安心感の中にいる、それは、私にとって良いことなのだろうか、あるいは、反対に、言葉を取り戻すことは、私にとって良いことなのだろうか。私は、まるで言葉の荒野の上でひとりぼっち、置き去りにされて、白く燃える太陽と、刺々しい黄金の砂に焼かれているよう、納得のいく言葉は一つも持っていない、全てが借り物で、言葉を発した瞬間に、私は嘘つきになる、たった一滴の碧水のように、私の心の中から、たった一つの言葉を、私は取り出すことができるのだろうか、私が、本当に、発するに値する言葉を。

 「彼」が日記を書いている、「彼」を通して、私が語る、あるいは、「私」を通して、彼が語る。「私」が私として書くということ、「彼」が私として書くということ、その二つには、いったいどれほどの差があるのだろう。

 

 私の言葉はいったいどこから来るのだろう。私の母の子宮から? 私の母の産道から? 私の母の膣口から? だとすれば、その言葉は、きっと血と羊水のような人間の業と醜さに、まみれていることだろう。

 

 

君の代わりに その13へつづく――