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Re: Writing Machine

Teoreamachineの小説ブログ

君の代わりに その20

 

 は、くらげのようにこの一週間を漂っていた、何だかよく分からない感情を、どうにも扱いきれなかったのだ。嫉妬でもなければ絶望でもない、後悔でもなければ悲しみでもない、そういう感情の燃えかすみたいなものが、僕の奥底に転がっていた。未練からも失望からも、はるかに遠くなる、ユミへの思い。ユミを彼から取り戻そうなんていう気はさらさらない、ハッキリ言って、それは祝福すべきことだ。それでも後ろ髪を引かれるような感覚がわずかでも存在していたのは、きっと、僕が置いてきてしまった今までの人生がそこに凝縮されていたからだろう。戻れなくなってしまった、戻ろうという期待をしていたわけではないのに、いざ失うと、ひどく鬱々とした気分になる、ユミについても、僕が置き去りにした人生についても。自分がどうしてこんなに中途半端なのか、分からず、自己嫌悪に陥りそうにすらなる。馬鹿げている、そうと知っていても、僕の理性は、感情に負け続けてしまう。

 ただ、僕がやることは決まっていた、つまり、書くしかないのだ。ユミへ向けて、彼の代わりに、愛のメッセージを書かなければならない。こういうふうにして、君は幸せになるんだ、そういう物語を、ユミに対して示そうじゃないか。

 僕はICレコーダーに録音したヒアリングの音声を何度も再生する、メモをめくりながら、書き足したり、線を引いて削除をしたり、積み上げるように、織り上げるように、クライアントの言葉を完成に近づける。それが僕の、いつもの作業だ。

 やがて、僕の中にクライアントが乗り移ったかのように、僕はクライアントの言葉をはき出していく。そうやって、僕は誰かの代わりになりきるのだ。

 だけど、やっぱり、今回はそうそう上手くいかない、彼の代わりになろうとしているのに、ユミに向けて書いていると、そこに「僕」が表れてきてしまうのだ。彼になろうとして、僕はひどく分裂していた、もはや、誰が書こうとしているのか、定かではない、僕と彼の間の裂け目のようなものが、オートマティックなマシンのように、言葉を吐き出そうとしている。これは、いったい誰なんだ、と僕は思う、誰でもない、グロテスクな、僕と彼の幻。

 僕はひどく落ち込み始める、夜道を散歩したり、酒をぐいぐいあおってみたりするが、結果は同じだった。いつも僕は分裂して、彼はどこかへ遠ざかる、ぼろぼろと落ちる赤錆のように、原稿に言葉の影が堆積していく、僕は思わず叫ぶ、お前はいったい、誰なのだと。

 

 僕が苦しんでいることなどおかまいなしに、日は昇り、また沈み、彼とユミの結婚式の日は近づいてくる。もはや、躊躇している時間はない、僕は、勝算などゼロのまま、やぶれかぶれで、原稿を書き始めるしかなかった。

 

 君の代わりに その21へつづく――