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Re: Writing Machine

Teoreamachineの小説ブログ

ストーリーやキャラクターを表現する上で、小説は映画やアニメや漫画に劣るだろうか?

学ー小説は言語の問題に集中すべきだと人は言う。ストーリーやキャラクターを表現するには、映画やアニメや漫画のほうが分かりやすいし、それで十分だと。だが、小説がストーリーやキャラクターを表現することが、単に不便で劣った物にしかならないというのは本当だろうか?

 

小説は、「読む」という行為を要求する。それは、ストーリーとキャラクターを表現する言葉について、読者が常に「それをどう受容するか」という判断を求められているということだ。ページをめくる度に立ち止まり、その言葉について考えなければならない。

 

「読む」という行為は、常に思考と解釈、およびそれに基づく判断とセットであり、時に読者の中に、作者も読者も想像すらしていなかったようなアイデアの萌芽を植え付ける。「読む」という行為は、非常に刺激的で創造的な行為なのだ。

 

むろん、映画やアニメや漫画について解釈を創造することはできる。だが、あえてそれを主体的に行おうとすることは、そもそも鑑賞者に求められていない。イメージを提示するということは、すでにそれだけで説得的であり、解釈の余地は決して広くない。

 

文学ー小説が言語の問題だということには賛成する。だが、まさしく言語の問題であるが故に、小説がストーリーやキャラクターを語ることには、大きな意義があると言ってよい。

 

作者は説明や説得を試みるべきではない。思考と解釈こそを、読者に要求すべきなのだ。読者は他者である。説明や説得を読者に与えようという小説観は独我論的でしかない。私とは全く別の独立した存在が、私の書いたものを思考し解釈する。それこそが、私が文章を書くということなのだ。