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Teoreamachineの小説ブログ

「あなた」のいない日本語

葉集を読んでいて気づいたのだが、万葉集には「あなた」を指す「汝」という言葉が、「わたし」を指す「吾」と「我」に比べて異様に少ない。第1巻〜3巻で見ると、「我」が104、「吾」が92なのに対して、「汝」はたった5つしか登場しない。

 

日本には「自己」がないなどとよく言われるのだが、「吾」や「我」という言葉は古代から普通に使われている。むしろ、本当に日本に欠けているのは、「汝」つまり「あなた」という認識ではないだろうか。

 

「自己」というのは、自分自身というより、むしろ他人を認識することによって生まれてくる。「あなた」という言葉を使うとき、「わたし」は目の前の他人に差し出されざるを得ない。逃げ場は無く、他人と向き合うことを求められる。

 

「わたし」とかあるいは三人称で語る限り、自分は世界を安全な距離から眺めていられるのだ。しかし、「あなた」という言葉を使った瞬間、私は他人と対峙させられる。「あなた」という言葉は、自己完結した世界に亀裂を入れる。

 

日本語が堪能な外国人と会話をしているとき、「あなた」という言葉ではなく、"you"を使っていたのを思い出す。「あなた」という言葉は、日本語の中に置かれたとき、どうしようもない居心地の悪さを与えてくる。

 

"you"が当たり前に使われる英語と、「あなた」を忌避する日本語。この性質は、古代から現代に至るまで、ほとんど変わっていない。