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Re: Writing Machine

Teoreamachineの小説ブログ

つなぐ

 ――また、この手紙だ。

 タカヒロは呟いて、白い封筒を裏と表にくるくる回す。同じ宛先、同じ署名。差出人の住所はない、ただ、封筒の裏面に、Keikoとだけ名前が書いてある。配達のために宛先の住所まで行くと、確かに古い単身者用アパートの一室にたどり着く。だが、郵便受けはガムテープで塞がれていた――ここの住人は、いっさいの郵便物の受け取りを拒否しているのだ。これで何通の手紙をここまで持って来ただろう、律儀に通う自分もどうかしているが、届かない手紙を送り続ける送り主もどうかしている。


 配達不可……という赤いスタンプを押して、郵便局の奥にある保管庫にその手紙を投げ入れる。届かない言葉は雪のように積もり、誰にも触れられず暗い部屋の中でじっとしたまま、廃棄され、忘れられていくのだろう。
 アパートの住人を、タカヒロは一度だけ見たことがあった。高齢の、外国人の男性。冬の日に、人目を避けるように黒いコートの襟で顔を覆い、厳しい顔をしたまま、家の中へ入っていく姿が印象的だった。追いかけて呼び鈴を鳴らしてみるが、壊れていた。なんだって、こんな極東の街でひきこもっているんだろう、とタカヒロは思う。海の向こうからやって来たその男は、手紙も受け取らず、来訪者も拒んで、部屋の中に独りでいるのだ。
 ただ、タカヒロはその男の気持ちが少しくらいは分かるような気がした。タカヒロもまた孤独で、友達も恋人も家族もいない。父親の顔は見たことが無い。タカヒロはアル中の母親の、気まぐれな火遊びから生まれた子供だった。母親はタカヒロが10歳のとき、自動車事故で死んでしまった。酔っぱらって運転した車が、橋の下へ転落したのだ。孤独な人だった、難しい性格のせいで、一生まともな人間関係を作れなかった。タカヒロは、自分が世界で最もみじめな子供だという気がした。事故のあと、タカヒロに話しかける子はいなかった。誰も、タカヒロをどうあつかっていいのか分からなかったのだ。そして、タカヒロもまた、うかつに慰められることを拒んだ。自分の孤独や感情を、ありふれたものだと考える集団に飲み込まれたくなかった。それは、無視されているのと同じだ。


 それから10年経って、今は郵便配達員をしている。しかし、タカヒロは、あの孤独な少年のころから、何も変わっていない。街に紛れて目立たず、決まったコースで街中を巡り、郵便物を届けて回るだけの、単調な毎日。孤独がすり減るほど、単調な毎日。他の孤独な人々と同じようにオタクやウヨクになるわけでもなく、タカヒロは無機質な生を生きるだけだった。


 ある春の日、配達の途中で、ふとアパートの前に咲いたタンポポを見つけた。花に興味はない。だが、その花は、ある少女のことをタカヒロに思い出させた。母親が死んだ後、クラスで唯一タカヒロに話しかけてきた少女がいた。「元気だしてね」
とだけ言って、少女はタカヒロタンポポの花を手渡して去っていった。タカヒロは、ありがとうも言わず、黙ってそれを受け取った。その時は、その少女の行為をなんとも思わなかった、むしろ、うっとうしいくらいにしか思っていなかった。だが、その記憶は思ってもいなかったくらい鮮明に残り、今もなお、こうやって思い出してしまう。


 そして今日もまた、タカヒロは同じ手紙を握りしめていた。Keikoという差出人から、ひきこもった男性へ。
 ――いつまでも、こんなことを続けるのか?
 タカヒロは急に、理由の分からない腹立ちを覚える。この二人に何があったのかは知らない。ただ、いったいいつまで、届かない手紙を送り続けるのか、他人を拒絶し続けるのか。孤独、単調な毎日。この女性と、この男性、そして、自分。タカヒロは衝動的に、郵便受けのガムテープをはがし始めた。無理矢理にでも、手紙を突っ込んでやろうと思った。
 半分まではがしたとき、タカヒロはぴたりと手を止める。ふと、その外国人のことを考えてみた。その男の孤独は、その男だけのものだ。タカヒロは手紙をカバンにしまった、それと同時に、アパートの前で見つけたタンポポの花を思い出す。タカヒロはガムテープを元に戻しておいた、ただし、その切れ端で、ドアにタンポポの花をそっと貼り付けるというおまけつきで。金色のタンポポは、まるで薄汚れたドアから顔を出して咲いているかのように見えた。


 アパートから出た所で、ふと空を見上げる。宵の明星がきらめいていた。タカヒロは、何気なく指をかざすと、暗くなっていく空の中へ、一条の線を引いた――輝く金星と、夜の訪れとともに現れる、名も無い星との間に。”また明日”とタカヒロは言う、それが誰に対してなのかは知らずに。