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Re: Writing Machine

Teoreamachineの小説ブログ

物語のはじまるところ その4

 「ヘローヘロー」

 パーティー当日、カタカナ丸出しの英語であいさつしながら、吉岡がやって来た、ビールだとかワインだとか各種アルコールの入ったビニール袋を提げて、靴を脱ぎ僕の家にどたどたと上がりこむ。

 「ようこそ」

 ひとことだけ言って吉岡を招き入れると、その後ろからさらにぬうっと人影が現れる、僕はその姿に思わず驚いて、身構えるようにしてしまう。

 "Hi"

 目の前に立っていたのは、身長がたぶん185センチくらいはありそうな、白人の男性だった。英語で"Hi"と言われても、僕は何も言えずに彼を見上げたままでいる、もちろん同じように"Hi"と返せば良いだけの話なのだが、習慣として染み付いていないあいさつが、そんなにすっと出てくるものでもない。

 「僕はジェイムズ、よろしく」

 ジェイムズと名乗った彼が、僕に手を差し出す。僕が外国人に免疫が無いのをすぐに見抜いたのか、緊張を和らげようとするかのように笑みを浮かべていた。

 「よろしく」

 僕は自分の名前を名乗りながら、ジェイムズと握手をする。僕は割と背の高い方なので、普段は他人を見下ろしながら話すことのほうが多いのだけれど、ジェイムズに対してはその顔を見上げながら喋らないといけなかったので、変に新鮮な違和感を覚えた。

 「今日は場所を貸してくれてありがとう。たくさんの人でパーティーできるとこ、そんなにないからね」

 流暢な日本語で僕にお礼を言いながら、ジェイムズは吉岡の後ろに続いて僕の家に入る、その両脇には大きめのスーパーの袋を抱えていた、何やら食材が入っているらしい。

 「キッチンを借りてもいいかな」

 ジェイムズが僕に尋ねる、むろん僕はオーケーして、使えそうな鍋を出してやる。このまま料理を始めるのかと思ったが、キッチンに食材を並べ終えてから、ジェイムズはきょろきょろと周囲を伺い始めた。何か必要な道具でもあるのかと聞こうと思った時、ジェイムズが玄関のほうをのぞき込む。

 "ーーーー"

 ジェイムズが誰かの名前を呼んだようだったが、馴染みのない言葉なので、僕には聞き取れなかった。

 "I'm here"

 玄関からぞろぞろと入ってきていたパーティーの参加者の一人が応えて、手を挙げながらジェイムズのところに近寄っていった。金色の髪をした女性で、片手には僕が見たことのない店の袋(たぶん輸入食品店のやつ)を提げている。首には青色のストールを巻いていて、彼女の髪の色や立ち振る舞いだからこそ似合うその色彩の鮮やかさは、ひときわ印象的だった。すれ違う一瞬、彼女は僕と目が合い、笑みを浮かべるーー緑色の瞳が、こちらを見ていた。

 彼女は持っていた袋をキッチンに置くと、ジェイムズの横に並んで二人で料理を始める。英語でなにやら喋りながら、仲良さそうにしていた、ときおりジェイムズが彼女の肩に手を置いたりしていている。その様子は、ずいぶん親密に見えた。

 

 料理が出来上がる頃になると、まばらに来ていた参加者がそろい、いつの間にか僕の家のリビングは吉岡が言ったとおり十五人くらいの人で賑わっていた。ほとんどがジェイムズの友達で、例えばアメリカ人やドイツ人から、南アフリカ人や台湾人といった人たちが参加者の7割くらいを占め、そこで一同に会し飲んだり食べたりしながら談笑している。共通語は英語のようで、数人いた日本人も流暢な英語を喋って楽しそうにしていた。こういう人たちが世の中にいるなんてことについて、今まで特に考えたり気にしたこともなかった僕には、ずいぶんな非日常的光景で、ましてやこの家は普段一人だけで過ごしている場所なので、まるで現実感がない。こんなことが起こるなんていうのは、想像の埒外なのだ。全く英語が話せないのは僕と吉岡くらいのものだったが、吉岡はその持ち前のキャラクターでそんなことを負い目に感じる様子もなく、適当な単語を並べてコミュニケーションを図り、あるいは他の日本人に通訳させたりしながら、なんだかんだでフルにはしゃいでいる。

 そんな僕はといえば、もともと社交的でないタイプなうえに、全く未体験の雰囲気にどうして良いのかわからず、ろくに誰とも話さないまま一人ぽつんとカクテルの入ったコップ片手に壁を背にして、リビングを埋めるみんなの様子を観察しているだけだった。あとで知ったことだれども、僕みたいな状態になっている人のことをウォールフラワー、つまり壁の花というらしい、その場に馴染めない人間が、できるだけその姿を他人から見られる位置よりも、せめて他人を見る位置に身を置こうとするのは、わりかし文化を超えて共通しているらしい。

 そうはいっても、実際のところ、僕はそんなに退屈しているわけでもなかった、改めて言うのもなんだけど、パーティーに参加している人々の様子は、僕にとっては本当に物珍しかったからだ。見た目の面で単純に言っても、ジェイムズは赤色の髪をしているし、他にも茶髪黒髪金髪、黒人白人黄色人種、いろいろいた。彼らの様子は僕らが抱くステレオタイプに当てはまると言えば当てはまる、当てはまらないと言えば当てはまらない、僕らとさほど変わらないといえば変わらない、違うといえば違う、そんな感じだった。彼らは僕にはわからない言葉で喋り、僕にはなじみのないしぐさをしているけれども、僕らと同じように酒を飲み、同じように笑っている。

 「ここ、あなたの家なの?」

 急に話しかけられて、僕は驚く、もはや自分がパーティーの参加者だという意識はなくて、もの珍しいイベントの観客のような気分でいたので、話しかけられるというのは全く考えてもいなかった。おそるおそるそちらを見ると、さっきアンディと仲良くしていた金色の髪をした女性がそこに立っていた。緑色の瞳が、こちらを見ている。

 「あ、うん。そうだよ」

 女性はそれを聞いて、部屋を見回す。

 「一人で住んでるの?」

 「うん」

 「たくさんスペースがあって、いいね」

 両親が死んだことを話さないといけないかなという考えが僕の頭をよぎったが、彼女はそこに何らかの事情があると察したのか、それ以上何も聞こうとしなかった。その感受性に感謝しつつ質問が来ないことに何となく安堵した僕は、今さらながら彼女の日本語がかなり流暢であることに気づく。

 「日本語すごく上手いね、……いつも言われてるかもしれないけど」

 僕は彼女の日本語を褒めたつもりだったが、たぶん日本人なら誰もがそういうことを言うだろうと思い、ひと言付け加えた。

 「ありがと。まだまだ、ネイティブみたい話すのは無理だけど」

 彼女は気恥ずかしそうに笑う。外国人の照れた姿というのは、なんだか僕にはとても意外なものに思え、妙に親近感を覚える。

 「ねえ、あなたの名前は? 私はヘイリー」

 僕は自分の名前を答える、いったい何だって彼女、ヘイリーは僕に話しかけてきたんだろうと思いながら。

 「こういうの、全く初めてだから、慣れなくて」

 たぶん、ヘイリーはこの場に馴染めていない僕に気を遣ってくれたのかもしれないと考えて、僕は正直に言う。

 「私も、こういうのあまり得意じゃない」

 「え、そうなの?」

 僕は本当に意外だと思って、けっこう大きな声を出してしまったので、ヘイリーがそれを見て笑った。

 「そうなの。人に会うって大事なことだと思うから、こういう所に来るようにはしてるけど、もし初対面の人が多かったら、ちょっと疲れるし、馴染めないこともあるかもしれない」

 僕に配慮しているようでもありながら、正直なことを言っている感じだった。この場に来ている人たちはみんな外交的な雰囲気を持っていたし、とりわけ僕と話すヘイリーの態度はだいぶ落ち着いていて、僕が普段接するような女性達よりずっと大人びて見えたから、よもや彼女にそんなシャイな一面があるとは思ってもみなかった。

 「まあ、これでも楽しんでるけど」

 何だかいろいろ気を遣わせてしまっているように思えて、僕はあえて余裕ぶってみせる。

 「本当に? 退屈そうだなって思ったけど」

 「みんなの様子を見てるんだ。英語も喋れないし、間近でじっくりと外国人を観察したこともない、だから、本当に珍しい」

 「動物園に来た、という感じ?」

 「むしろ、僕が珍しい動物として檻に入れられた感じかな」

 それを聞いたヘイリーが、くすくすと笑ってくれた。

 「本、好きなの?」

 部屋の中を見回していたヘイリーが、本棚を見つけて指差す。

 「まあね。特に用事のないときは、だいたい本を読むか映画を観てる」

 実際、家のあちこちには棚があり、大量の本と映画のDVDが収められていた。それは、単純にそういうものが好きだということもあったし、加えて、この家に染み付いた孤独や静寂の重さに対抗する意味合いもあった。例えば友達を呼んでしょっちゅう騒ぐというやり方もあったのかもしれないが、僕が選んだやり方は、本や映画によって、よりその孤独の純度を高めて、深く潜っていくというものだった。浅く濁った孤独は人を奴隷にするが、深く澄んだ孤独は人を自由にする。

 「いろいろ読むんだね。古いのから新しいのまであるのかな……あ、夏目漱石の『草枕』、これは読んだことある。それと、あら、シルヴィア・プラスの『ベル・ジャー』とかまであるんだ。日本人でこれ読んだことある人に会ったの、初めて」

 本棚を覗き込みながら、ヘイリーは本のタイトルを物色していく。

 「本とか読むの?」

 「うーんとね、私は、小説よりも詩が好き」

 「読むのは日本語と英語、どっちが多い?」

 「つい英語で読んでしまうけど、いっぱい日本語で読むのをがんばってる」

 「どうしてそんなに日本語を勉強するの? ……いっつも聞かれてるかもしれないけど」

 「なんでかな、気が付いたら勉強してた。単純に面白いからかな」

 ヘイリーははっきりとそう言ったけれども、僕はなんとなく、彼女がもっと他の理由を隠しているような感じがした。

 「面白い?」

 「やっぱり英語とは違うし。特にね、ひらがなが好きなの」

 「ひらがなは女性が作ったって言われてるから、とか?」

 「それ聞いたことあるけど、私にとってはどうでも良いことかな。それよりも、なんだか見た目が面白い」

 「見た目?」

 「なんか動きがあるでしょ、ひらがなって。ユーモラスで、それぞれの表情がある感じがする」

 「そういうもんかな。そんなふうにひらがなを見たことなんてなかった」

 僕は本棚から適当に一冊本を取り出して、ぱらぱらとめくりながらそこに書かれているひらがなを眺めていく。

 「ほら、この”ん”とか、なんか飛び跳ねてるみたいじゃない?」

 ヘイリーがページの中でみつけたひらがなを指差して言う。

 「まあ、言われてみたら楽しそうに見えるかな」

 「でしょ」

 「この”す”なんていうのは、怠け者みたいな感じがする」

 そういう視点でひらがなを観察すると、なんだかそれぞれが個性的な動物のように見えてきた。それぞれの毛並みに触れていくと、みんな独特の手触りがある。

 「ふふ。そういう感じ」

 「こっちの”む”は、ちょっと難しい顔をしてるね」

 「難しい顔って、どんな?」

 「こういう感じさ」

 僕は”む”をイメージした、変な顔をしてみせる。ヘイリーはそれを見て、明るい声で笑っていた。

 "You're weird"

 「え?」

 笑い終わってから一瞬、ヘイリーがじっと僕を見て、急に英語で呟く、僕は意味がわからなくて首をかしげた。

 「変わった人ってこと。もちろん、面白いっていう意味で言ってるよ」

 「まあ、変わってるっていうのは、確かにそうかもしれない」

 「面白いっていうだけじゃなくって……うまく言えないけど、どこにでもいる雰囲気じゃない。日本人の中では特に、あなたみたいな人は珍しい。"aloof"っていうか、はるか遠くから物事を見つめているみたい、でも嫌な感じじゃない」

 僕には確かに、少し世の中から遊離しているようなところがあった、例えば学校とか、そういう集団の中である程度周囲とうまくやっていくこともできる人間だったが、僕という人間の中核にあるのはむしろ深い孤独であって、それが絶対に、僕を周囲となじませることはなかった、僕はいつ誰とどこにいても、常に異物だった。僕はどこかに所属しているとか、所属することで無条件に他人と何かを共有できるとか、そういう感覚を、いっさい抱いたことはない。家族とか故郷とか、そういった最も根源的な場所に対してすら、僕はなんだかたまたま拾われてそこに放り込まれたにすぎないという、至極乾いた感覚しか持つことができない。

 「そういうもんかな」

 僕はなんだか欧米人がやるみたいに、肩をすくめてみせた。けれども、内心では、そういう指摘を受けたことに驚いていた、そんなことを僕に言ったのは、ヘイリーが初めてだったからだ、しかも肯定的なニュアンスで。今まで僕の周囲にいた人間たちは、口には出さなくても、僕のそういう在り方にどちらかといえば嫌悪とまではいかなくても否定的な感情を抱いている様子だったし、そんな僕と仲良くできるのは、細かいことはいっさい気にしない鈍感な性格の吉岡くらいのものだった。

 "Hailey~, I, I, I missed youuuu."

 その時いきなり、酔っ払ったアジア系の女の子が現れてヘイリーに抱きついた、酔っ払っているからなのかもともとこういう性格なのか、ネコの鳴き真似をしながらヘイリーに擦り寄っている。

 "Okay, okay, I missed you too, kitty."

 ヘイリーは苦笑いしながら、その女の子の頭をなでてやる。女の子は真っ黒いメイド服みたいなものを着ていて、いわゆるゴスロリみたいな、個性的なファッションをしていた。

 "I know, I know, you missed meeeeeow."

 「アリスはなんだか私にすごくなついてるの」

 苦笑いしたまま、ヘイリーが僕を見て説明する。

 「そうみたいだね」

 僕はその様がおかしくて、二人を見ながら笑う。

 「ああ、もう」

 アリスと呼ばれたその女の子はネコがそうするみたいに丸めた手で、ヘイリーがしていたストールをいじり始めた。ヘイリーはそれに触られたくないのか、首からほどいてアリスの届かないところに高く挙げる。

 「ちょっとここに置かせてね」

 そう言って、ヘイリーは僕の本棚の高いところにストールを置いた、綺麗な青色で、僕の頭上に広がったそれは、一瞬そこにふんわりとした青空が広がったかのような気にさせる。

 「お母さんが、私が日本に来る時にプレゼントしてくれた大事なストールなの。汚れたり傷ついたり、無くなったりしたら困るから」

 そう説明しながら、ヘイリーはなんとかアリスをあしらおうとしていたが、アリスは駄々っ子みたいにぐいぐいとヘイリーの腕を引っ張る。

 "So, so, sorry, but Hailey is..... mine! meow! meow!"

 アリスはヘイリーに抱きついたまま、僕を見てそう言った。幸い僕にも分かるくらいの英語だったので、調子を合わせて笑いながらうなずく。

 「ごめんね」

 結局ヘイリーはアリスに負けて、僕に謝りながら引っ張られていった。

 

 僕はまたウォールフラワーに戻って、部屋の雰囲気をうかがう。吉岡は楽しそうに適当な会話を続けていて、別に心配したようにDJをやりだしたりはしなかった。みんな別に騒ぎ立てる様子もなく、落ち着いた感じでただ単に談笑している感じで、馬鹿騒ぎといった雰囲気は微塵もない。

 できるだけまんべんなく参加者を観察するようにはしていたが、それでも僕は度々ヘイリーに目を留めてしまっていた。それは単純に彼女が美しかったからというだけじゃなくて、僕は初めて僕の正体を見透かした人間に出会ったような気がしていた、よくわからないまま他人から距離をとって生きてきた自分の、今ままで誰も踏み込まなかったような近さまで、ほんの最初の一歩で踏み込んできた、この外国人の女性に、なんだかこれまでにないような不思議な親近感を感じてしまっていた。ヘイリーはアリスとジェイムズと、他の二人くらいのグループで会話をしていた。英語で喋っているヘイリーは、心なしか日本語のときのわずかにシャイな雰囲気はなく、もっと堂々としているように見える。彼女はジェイムズとなんだか楽しそうに喋っていて、その横で酔って疲れた様子のアリスがソファに座って鼻歌を唄っている。最初に見た時そうしたように、ジェイムズはときおりヘイリーの肩に手を触れる、僕にはそれがどのくらいの親密さを表しているのか分からなかった、彼らにとっては普通のことなのかもしれない、でも、もしヘイリーが僕の彼女だったら、日本で生まれ育った僕にとってはちょっと嫌かもしれないな、とかそんなことを考えてしまう。

 僕は何気なく、スマホで時間をチェックする、パーティーが始まってから二時間くらい経っていた、もうすぐ終わりだろうか。もう一度、僕はヘイリーに目を遣る、このパーティーが終わったら、僕が再び彼女に会うチャンスなどあるのだろうか。もし彼女が日本人だったら、勇気を出して連絡先くらい聞いたのかもしれないが、初めて会った外国人の女性にそういうことをするのは、僕にとってあまりにリアリティがなかった。そんなことを考えて、僕は気分が落ち込みそうになる。

 僕はあきらめたように再び部屋の中を見回す、その時、ふと本棚に置かれたヘイリーのストールが目に入った。地味めのインテリアしかない部屋の中で、鮮やかな色に輝くそれは、まるで遥か遠い青空の切れはしを、ここへ持ってきたみたいだった。それを一目見るだけで、自分の魂がどこか遠いところへ運ばれてしまうような感じがした、僕は一瞬、そのストールの魔法にかけられたように、見入ってしまう。僕はそのとき確かに魔法にかけられてしまったのだと言ったら言い訳に過ぎないのだが、今でも信じられないような行動に出てしまった。僕はおもむろに、部屋の中の参加者が、誰一人僕のことを見ていないのを確認する。狡猾な邪心というより、子供の出来心と言ってしまったほうが正確だろう、それは計算でもなんでもなく、発作的にやってしまったことなのだ。僕は慎重に他人の視線から隠れるように手を伸ばし、そのストールを素早くポケットにしまい込む、そしてそのまま、そそくさと部屋を出て行ってしまった。僕は冷静ではなかった、だから自分のしていることの恥ずかしさを感じていても、自分の行動を止めることができなかった。僕はそのまま自分の寝室に滑り込むと、クローゼットの中に、そのストールを隠してしまった。全く理性的ではない自分の行動に、そのまま呆然としてしばらくじっとしていると、日本に来るときにお母さんがプレゼントしてくれたの、というヘイリーの言葉が頭をよぎる。徐々に冷静になってきて、自分がしているのは、子供じみた出来心というにはあまりある、ひどいことなのだというのが分かってきた。

 「すぐに返さないと」

 僕は呟いてストールを取り出そうとするが、どうしても動けなかった、なんだか自分のしたことの恥ずかしさを、上手く受け入れることができなかった。顔が熱くなると同時に冷や汗が出て、突っ立ったまま、自分がすべきことを行動に移せない。風のない日の重苦しい雨雲のように、ひどくゆっくりと、部屋の中を時間が横切っていく。

 しばらくじっとして、ようやく元の場所に返そうと決意した瞬間、ふいに、玄関からインターホンの音が聞こえた。びくっとして身を起こし、玄関の方に注意を向ける、遅れてやってきた参加者だろうかと思ったが、どうもそんな雰囲気ではない、一人や二人でなく、数人の人間が玄関にいるような物音と気配がしている。やっぱり様子がおかしいと思い、僕はとりあえずストールをしまったまま玄関の方へ行くことにした。

 「この家の住人の方ですか?」

 玄関先に現れた僕を見るなり、警察官がそう言った、そう、警察官だ。

 「そうですけど……」

 何だって警察なんかが僕の家に来たのかが分からず、ただただ困惑して彼らの様子をうかがう、警察官はなんと全部で七人もいて、狭い玄関から部屋の中をじろじろと見ていた。

 「ちょっと近隣の方から通報がありまして。その方が言うには、たくさんの人がこの家に集まって大騒ぎしているということなんですが」

 「大騒ぎ?」

 たくさんの人が集まっているのは事実だが、大騒ぎというのは全く当てはまらない。むしろみんな穏やかに会話を楽しんでいただけだし、まだそんなに遅い時間でもない。大学時代に友達がやってきて飲み会をやったこともあるし、その時の方がよっぽどひどかったが、注意されるほどのレベルじゃなかった。

 「いや、そんな近隣に迷惑をかけるほど騒いではないんですが……」

 「まあ、本人たちが思ってなくても、周囲からすると、うるさく思えることもありますから」

 警察官は別段高圧的ではなく、丁寧な物言いをするように努めている風だった。代表で僕と会話をしている警察官の背後にいた仲間の一人が、無線でなにやら会話をしている。一瞬、「相当数の外国人を確認」という言葉が聞こえてきた。そこで僕は初めて、この程度で警察を呼ばれてしまった原因に気づく。外国人がいること、それこそが、近隣の住人がわざわざ通報なんていうマネをした理由だったのだ。

 「いや、どう考えてもそんなにうるさくしてないし、それにどうしてこんなにたくさんの警察官が来てるんですか?」

 その事実に気づいた僕は苛立って、ついついそんな言い方をしてしまう。ふいに背後を見ると、ジェイムズやヘイリーが不安気にこっちを見ていた。

 「どんな感じの騒ぎか、通報からは分かりませんでしたし、万が一の時のためにです。怖がらせようとか、そういう意図はないですよ」

 万が一、という言葉に、彼らの過剰な警戒が読み取れる、外国人だからといって、そんなにすぐに暴れ出すものじゃないだろうに。

 「別に外国人がいるからって、危険だとかそんなことはないでしょう」

 暗にヘイリーやジェイムズが責められているような気がして、頭に来た僕は腹にあったことをはっきりと口に出した。

 「そういうつもりじゃないんですが、言葉が通じないと、あらぬ誤解を生むこともありますし。トラブルを避ける意味もあるんですよ」

 「いや、だけどーー」

 「すいません。ちょっと私たちも、うるさくしてしまったかもしれないです。気をつけます。ごめんなさい」

 僕の言葉を遮って、横から現れたヘイリーが、流暢な日本語と、まるで日本人みたいなしぐさで警察官に謝ってくれた。そのあまりに日本化された態度に、警察官たちは安堵したような表情を浮かべた。ここにいるのは、日本人のルールが通用する外国人だということに気づいて、安心したらしい。

 「いえ、私たちも通報を受けたので、やはり現場を確認する必要がありまして」

 僕はそこでひと呼吸おいて、冷静になる。外国人がいることで偏見を持たれたという事実に腹は立ったが、日本人のマジョリティが持つ外国人のイメージなんてそういうものかもしれないし、元々は僕もその一員であったことは否めないし、別にこの警察官たちが特別な悪意を持っているわけでもない。

 そのあとは適当にこの集まりの経緯や内容を説明して、近隣に迷惑をかけないよう気をつけるという約束を取り交わすと、警察官たちは軽く一礼して帰っていった。

 

 「ごめんね、ありがとう」

 警察官たちが帰ったあと、ヘイリーがそっと僕の肩に手を置いてそう言った。自分たちのために怒ってくれたことに感謝しているようだったが、ごめんねと言われたことや、その態度からヘイリーやジェイムズがこういう偏見に慣れてしまっている様子が読み取れたことで、僕はなんだかやるせない気分になった。場がしらけてしまったので、僕らは早々にパーティーをお開きにすることにして片付けを始めた。みんなこういうことに慣れているのか、手早くゴミを捨てたりしている。ヘイリーとジェイムズは、料理で使った鍋や皿を洗っていた。

 片付けが終わって、参加者がみんな帰ろうという雰囲気になったころ、僕は当然の帰結として、見たくないものを見なくてはならなかった。僕が本棚の方に目をやると、困った顔のヘイリーが、ぽつんとして、そこに立っていた。ストールがなくなってしまって、困っているのだ。大事な物だと言った彼女の言葉に嘘偽りはなかったようで、本当に悲しそうな顔をしている。ジェイムズやアリスと一緒になってそのあたりを探していたが、もちろん見つかるわけはない。そして僕にも、今この場でそれを返す勇気がなかった。

 「きっと、誰か間違えて持って帰ったのね」

 そんなに気にしてないという顔を作りながら、ヘイリーがみんなに聞こえるように言った。

 「もし見つかったら、連絡するよ」

 僕はしらじらしく、そんなことを言う。結局僕は僕の衝動的な感情が意図した通り、もう一度ヘイリーに会えるという望みをつなぐことになったのだった。良心の呵責で顔が真っ赤になりそうだったが、この次会った時には必ず返すんだからと自分に言い聞かせ、ヘイリーと連絡先を交換する。

 「もし見つかったら、ホントにうれしい」

 「うん」

 僕の目をまっすぐに見て頼んでくるヘイリーに対する僕の返事は、とても弱々しかった。僕はそのまま帰っていく三人を見送る、その去り際、ジェイムズが少しだけヘイリーを慰めるようなことを言って、それにヘイリーがうなずく。それを見た僕は、自分がとても場違いなところに足を踏み込んでしまったのだと思った。

 参加者が全員帰った後、僕は一人で部屋の椅子に座り、虚脱感でぼうっとしてしまう。普段僕が過ごしているのっぺりとして何も起こらない日常からすると、今日はあまりに非日常なことが起こりすぎた。誇張なく、本当に夢でも見ていたような気がする。僕はクローゼットを見る、盗んでしまったヘイリーの大事なストールがまだその中にあった。そこに閉じ込めてしまったストールの魔法が、僕の家よりずっと大きな、遥か遠くの青空を、その中で広げているような気がする。クローゼットに手をかけることはできなかった、その魔法を再び解き放った時、今日見た夢が全て、元の現実へと還ってしまうように思えた。

 

 

物語のはじまるところ その5へつづくーー