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Re: Writing Machine

Teoreamachineの小説ブログ

物語のはじまるところ その6

 んの昼過ぎからパーティーが始まったせいで(ギャラリーの近隣との兼ね合いによるらしい)、夕方になる頃には、アリスがベロベロに酔っ払ってしまっていた。彼氏と別れたのが昨日の今日なので、晴らそうとしている憂さがだいぶ深いのか泣いたり笑ったり情緒不安定で手を焼かされた。ヘイリーになだめすかされ、帰る方向が一緒のジェイムズに引き取られて、ようやくアリスは会場を後にする。

 結果的に、僕はヘイリーと一緒に帰ることになった。外はまだ明るく、ぶらぶらするのにもちょうど良い気候だった。二人並んで街中を歩いていると、やたらと通行人の視線がこちらに向けられるのを感じた、ヘイリー自身がそもそも目立つのだが、日本人の男性が外国人の女性と連れ立って二人で歩いているということが、よけい人々の注目を集めてしまっているらしい。まあ、そりゃそうだろうな、と僕は思いながらも、他人からジロジロ見られるのは決して良い気分ではなかった、ただ、ヘイリーやジェイムズにとって、こんなふうに道行く人々から無遠慮な視線を浴びるというのは日常的な体験なのだということを、僕は想像させられる。

 僕とヘイリーは、ぽつぽつと言葉を交わしながら、ゆっくりと歩いていく。お互いの普段の生活のことから始まって、互いの国の社会や文化について面白かったり変だったり思うこととか、そんなことを喋っていた、ヘイリーは頭の良い人だったので話をするのは楽しかったし、けっこう深い内容についても意見を交換したりできたのだが、いかんせん会ったばかりの二人だったので、一瞬会話が途切れたりすると、妙にぎこちない雰囲気が漂い、僕もヘイリーもそれをごまかすように会話の糸口を探すことになった。ただ、その合間の沈黙には、お互いがその距離を測っているような感じがあり、決して居心地の悪いものではない。

 「ちょっと、あの公園寄っていかない?」

 このまま歩いて行くと、すぐに駅に着いてしまって別れなければいけなくなるので、思い切って僕はヘイリーを誘ってみる。今までから、ヘイリーが僕なんかに興味を持つなんてことはないんじゃないかと勝手に考えてしまっていたので、こんなことをするのにはだいぶ勇気が要った、たぶんアリスがあんなことを言ってくれていなければ、このまま僕はヘイリーを見送ったことだろう。

 「桜がきれいなんだ」

 唐突に提案した僕をふっと見上げたヘイリーの視線に何だか焦ってしまい、僕は慌てて付け加える、そういえば桜の咲く季節だったなんてことを思い出しながら。僕の緊張した様子が伝わったのか、ヘイリーはそれを解きほぐすようにくすりと笑いながら、「うん」とうなずきを返す。

 僕とヘイリーはそのまま連れ立って公園へと足を踏み入れる。いくらかの花見客が桜並木の下を陣取っていて、期待したよりは賑やかな光景だった、もうちょっと静かな方が二人で歩くにはよかったなと思いつつ、あんまり静かすぎるくらいなら、まあこんな感じも悪くないかと考え直す。

 「楽しそうだね」

 ヘイリーが花見客たちを見ながら言う。

 「風情は台無しだけど」

 「桜のきれいさのほうが、大事?」

 「別にそういうことでもない」

 「日本人が宴会するときは、なんだかみんなの顔が見えるような気がして、面白い」

 「顔?」

 「たぶん自分に素直になるのね、普段はみんなどうしても集団に合わせて控えめにするから同じようなことを喋ってしまって、誰と話してもその集団の標本みたいだけど、ああいうときはちょっとだけそれぞれ自分勝手なことを言うから」

 「まあ、そういうもんかな」

 本当のことを言えば、僕は特に桜にも花見客にも興味があるわけではなくて、ヘイリーと少しでも長く時間を過ごせる口実があればそれで良かっただけだった。

 "Oh, that's pretty."

 ひときわ見事な木が公園の中心のあたりに植わっていて、満開の花を見てヘイリーがつぶやく。つられて、僕もその木を見上げる、ただ、僕はむしろ、もっと遠くにある空を見ていた。綿毛のような小さい白雲が浮かぶ空は、とても高く、澄んで青い。僕はストールのことを思い出す、こんな美しい日よりの中にいるヘイリーがそのストールを身につけていたら、どんなに鮮やかだっただろうと感じながら。なぜだか、目の前のヘイリーが、本当の姿をしていないような気がした、僕がカバンの中に隠したストールを身につけていなければ、彼女の本当の姿を見ることができないような気がした。

 "kawaii."

 たぶんわざとだろうけども、英語訛りで「可愛い」と言いながら、ヘイリーはスマホで桜の写真を撮っていた、健康的なピンク色の唇の間から真っ白い歯をのぞかせて微笑み、けっこう楽しそうにしているヘイリーを見て、僕はとても幸せな気分になる。ヘイリーは、自分のために笑う人だった、誰かに自分を良く見せたりするために、その笑顔を浪費したりはしない、自分が楽しいときだけいつも、その自然な笑顔が口元からこぼれて、僕をはっとさせる。その笑顔のたびに、僕はヘイリーに惹き込まれていく。

 ふと、その公園の広場の隅から、こちらを見つめている視線に僕は気づいた。ずっとそこにいたのだろうか、歳は七十くらいの老人が、ぽつんとベンチに腰掛けている。老人は一人だけのようだった、缶ビールをすすっているが、他のどの花見客のグループにも属していない雰囲気で、仲間たちと浮かれ騒ぐ他の人々とは全く違って楽しそうではない、顔はこわばり、どこか寂しそうで、暗い底へ光が沈んだ薄闇のような目をしている。灰色のジャケットを羽織り、禿げた頭を隠すように紺色のキャップをかぶっているが、襟足から、ほつれた糸のような白い髪の毛がはみ出していた。ほぼ同時に、ヘイリーも老人に気づいてそちらを見る、老人は僕というよりヘイリーを見ていたせいで、二人の目が合ったようだった。するとおもむろに老人は立ち上がり、ふらふらとおぼつかない足取りでこちらへ向かってきた。僕は嫌な予感がして、気持ち二人の間に入るようなかたちで、ヘイリーの前に立つ。

 「おい」

 老人は僕にともヘイリーにともつかないような感じで声をかけてくる。舌のもつれたもごもごとした声で、その目は僕らに焦点を合わせるのをあえて避けるように泳いでいた。老人は僕を挟んでヘイリーの前に立つ。

 「こんなところで、ガイジンが何をやっとる」

 半ば独り言のような感じだったが、しかし同時に、それは間違いなくヘイリーに向けられた言葉だった。

 「桜が、きれいだったので、見てたんです」

 ヘイリーが答える、できるだけ落ち着いた態度でいようとしているのが僕には分かった。

 「何でオマエにそんなんが分かるんや」

 不自然なタイミングで、老人の言葉は怒りをにじませた強い口調になる。

 「何でって……」

 ヘイリーは驚くと同時にあきれたような感じで、言葉に詰まる。

 「桜の美っちゅうんは、ガイジンなんかに分かるもんじゃない」

 「……そうなんですか」

 ただただ困った様子のヘイリーは、老人に何と返していいのか分からないようだった。

 「そうなんですかやないわ。これは日本人のもんや。オマエがこんなところで何をやっとる。ガイジンは国に帰れ! これは俺たちのもんや、帰れ帰れ!」

 いきなり本当に怒り出した老人に、僕は唖然としてしまった。腹の底でこういう感情を抱いている人間が多少でも存在している事実を知らないわけではなかったが、しかしそれをを露骨に口に出すなんていう行為を目の当たりにすることがあるとは、夢にも思っていなかった。せいぜい家の中でそれを愚痴のようにぼやいているか、もっと若い世代ならばネットに書き込んで憂さをはらすくらいのことはあっても、生身の人間に対して直接それを言う人間がいるなんてことは、全く僕の想像の埒外にあったのだ。

 「帰れ!」

 老人は一歩前に踏み出して、ヘイリーにその言葉を投げつけた、たぶんもっと近くからヘイリーの顔をのぞきこもうとしただけだったのだろう、だが、その瞬間、老人がヘイリーに危害を加えようとしたのだと僕は思ってしまう。考えるより早く、僕は老人の正面へと割って入り、反射的にその肩をつかんで、勢いよく突き飛ばしてしまった。

 「あっ」

 短く声を上げて、老人はその場で尻もちをついて倒れてしまった、その威勢が嘘のように、あまりにもろく老人は崩れ落ちたのだ。持っていた缶ビールが転げ落ちて、どぼどぼとこぼれた中身が地面を濡らし、砂の中へと吸い込まれていった、ビールの嫌な臭いが、かすかに僕の鼻を刺激する。倒れた老人を見て、自分たちに敵対してきたものがここまで弱い存在でしかなかったことに僕は拍子抜けすると同時に、やりすぎたのかもしれないと思いながら、様子をうかがう。ヘイリーは、驚きとショックのせいか、青ざめた表情で唇をふるわせていた。老人はうめき声を漏らしながら、すぐに体を起こす。さいわい、どこも怪我したりはしていないようだった。

 「大丈夫ですか、すいません。つい、とっさに……」

 僕は駆け寄って、老人を助け起こす。老人は僕に引っ張られるままに立ち上がった。

 「くそ、くそ、くそ」

 老人はぶつぶつと言っていたが、もはや僕らに聞かせようという意思はないらしく、視線をふせたままひざのあたりの砂を払う。僕は変に刺激しないほうがいいだろうと思って、黙ったまま何もせずその姿を見ていた。老人はしばらくそんなふうにして、何かを考え込むように幾度となく目を細めたり見開いたりしていたが、すっかり戦意を失ったようで、それ以上何も言ってこなかった。終戦の前後の生まれでもおかしくはないこの老人の人生には、もしかしたら外国人に恨みや鬱屈した感情を持つような体験もあったのかもしれないが、だからといってこういう行為を許せるわけでもない、と思い、僕もそれ以上謝ることも助けることもしなかった。結局、老人は一度だけ恨みがましく舌打ちをすると、そのまま僕らには一瞥もくれず、ゆっくりと公園の外まで歩いて行ってしまった。

 そして再び広場には、僕とヘイリーの二人だけになる。おそるおそる、僕はヘイリーの顔を見る、いつも屈託ないヘイリーも、さすがに苦しそうな顔をしていた。あたりまえだ、あんなことを言われて、傷つかない人間がいるわけがない、ヘイリーは別に、僕らと異質な精神を持った存在ではない、僕らと全く同じように、悲しみ、喜び、怒り、他人を思いやるような、そういう存在、それ以上でも以下でもないのだ。しかし外国人、あるいはガイジンという認識が、あの老人のような人々に、それを忘れさせてしまう。

 「ーーーー」

 僕はなんとかヘイリーに声をかけようとしたが、できなかった。ヘイリーの表情には、今にもあふれんばかりの悲しみが往来し、その感情の膜を破って、涙がこぼれそうになっているように見えた。しかしなぜあそこまであの老人は他人に鈍感になれるのかと思い、僕は再び腹が立ってくる。たぶん、あの老人にはあの老人なりの鬱屈や怒りや理由があって、酔っていたせいで自制が効かなかったのかもしれないが、僕にはとうていそれを受け入れられそうにない。

 「あーあ」

 急に我に返ったように、ヘイリーがため息をつき、肩をすくめて、僕に笑いかけた。自分は大丈夫だというふうに見せたかったのだろうが、口元がこわばってしまっている。その顔を見て、僕は本当にたまらない気持ちになってしまう。なんでこんなに優しくて、しかも日本に対する理解を持っている人が、ぶしつけにこんな言葉を投げつけられなければいけないのか分からなかった、まるでヘイリーの悲しみを吸収してしまったかのように、僕までが心に痛痒を感じていた。老人に対する怒りというよりも、その理不尽に対して湧いてくる名付けようのない感情のかたまりに、僕は喉を塞がれる。

 「せっかく楽しい気分だったのに、ね」

 何も言わずに唇を噛む僕をなだめるように、ヘイリーがもう一度笑いかける。さっきよりは、自然な笑顔だった。

 「……うん」

 本当は僕がヘイリーを慰めないといけないのに、と思いながらも、僕は上手く感情を制御できず、手短な返事だけをする。

 「前にも、一回だけ、こういうことあったかな」

 「……そっか」

 そのもう一回の出来事について、僕は何も質問しなかった、というか、できなかった。

 「ごめんね」

 「え?」

 「なんか、私のせいで、イヤな思い、させてしまったから」

 「そんな……」

 何と言っていいのか分からず、僕はただ首を横に振った。

 「怒ってる?」

 知らず知らずのうちに、僕もまたそういう顔をしていたのだろうかと思い、複雑な感情で固まった表情をなんとか解きほぐそうとする。

 「いや、そうじゃないんだ。なんで君が、こんなこと言われなきゃいけないんだって、そう思って……」

 絞り出した僕の声は、感情で震えていた、もしかしたら動揺したのは、ヘイリーよりも僕のほうだったのかもしれない。

 "Oh, no, no, it's okay."

 僕が泣きそうになったと思ったのだろうか、慌てたようにヘイリーは近づいてきて、僕をそのままハグしてくれる。その優しさに、よけい悲しくなってしまい、なんとかヘイリーを慰めたい一心で、僕はヘイリーを抱きしめ返す。しばらく、二人とも黙ったままだった、僕はヘイリーのあたたかい体を通して伝わる、その呼吸の音と、心臓の鼓動に耳をすましていた。

 "I'm very sorry..."

 思わず、僕の口から漏れた言葉は、全く慣れない英語だった。どうしても、ヘイリーに今の思いを、一番良い言葉で伝えたいと思っただけだった。

 "It's okay."

 ヘイリーの声はうわずって、かすれたように響く。

 「うん」

 僕はヘイリーを抱きしめたまま、その背中をできるだけ優しく撫でていた、僕の耳元の、ささやきのようなヘイリーの呼吸が、だんだんと落ち着いていくのが分かった。僕がそこで僕が望んでいたのは、ヘイリーの痛みを感じ、そしてそれをどうにかして取り除いてあげたいという、ただそのことだけだった。

 

 

 

物語のはじまるところ その7へつづくーー