Re: Writing Machine

Teoreamachineの小説ブログ

僕らが何者でもなくなるように その3

 

 「ソウスケ!」

 パーティー会場に現れた僕を、タカユキは目ざとくも一瞬で見つけて名前を呼び、肩を抱いてきた。

 「久しぶり」

 そう返した僕のあいさつは、どこかぎこちない。タカユキに会うのが久しぶりすぎて、なんだか初対面の相手に人見知りするような感じになってしまう。パーティーの雰囲気に対する気後れもあった、カジュアルな服装の人々が飲み物片手に談笑しているくらいで、だいぶ砕けた感じだったが、それでも、こういうのに僕は馴染まない性質だ。対して、タカユキは堂々とかつ自然に振舞っている。昔のタカユキだって別にこういうのが好きなタイプではなかったはずだが、会社をやりながら場数を踏んだのだろうと想像する。

 「何だ、陰気な感じだな。アメリカのパーティーアニマルですら、見るだけでうつ病になりそうな顔してるぞ」

 「そこまでひどい顔してないだろ、さすがに」

 それを聞いて、タカユキは大きな声で笑った。冗談のセンスは昔と変わらない感じだった、けれども、笑い方は昔とは違った。タカユキは昔より体格も声も大きくなっていた、たぶん彼の仕事がそうさせたのだろう。僕はそう思いながら、改めてタカユキを見る。むろん、タカユキはタカユキだった、そういった変化を除けば、昔と同じ親友がそこにいる。 

 「どうだ。楽しめそうか?」

 タカユキはパーティー会場を片手を挙げて指し示す。会場は、タカユキの会社の新しい支社オフィスの向かいにある、レストランを貸し切ったものだった。

 「いや……どうかな」

 僕はちらりとタカユキが示したほうを見る。当たり前だがタカユキのビジネス関係者がメインのようで、快活そうな人々がなにやら僕にはあまり分からない業界のことを喋っている。

 「そうだろ」

 ははは、と声を出してタカユキは笑った。続けて聞くと、僕はその笑い方に違和感をおぼえた、そして、正直あまり好きではないと思った。昔のそれと違う笑い方は、もしかしたらタカユキが昔と違う人間になろうと無理した代償なのではないかという気がしたのだ。別に暗いやつではなかったが、こんなふうに人前にしゃしゃり出たり、集団や組織の先頭に立つような性質ではなかった。

 「そうだろって。お前が呼んだんじゃないか」

 「まあまあちょっと待てよ。アヤカとかノリマサとかも呼んであるんだ。そのうち来るだろう」

 「ノリマサも?」

 「ああ」

 そう答えたタカユキの態度は平然としたものだった、平然としすぎていた、つまり、何かをごまかしていた。アヤカを呼ぶのは自然な話だったが、ノリマサに、いまさらタカユキが会いたいとも思えない。それに、ノリマサとアヤカが会えば、そこに何らかの気まずさが漂うはずだ。それなのに、タカユキはあえてノリマサを呼んでしまった。

 「来るのか? ノリマサは」

 「……まあ、来ないかな」タカユキの態度は、結果には頓着していないといった調子だった。「けど、呼ばないのもどうかなって話だろ」

 「そりゃそうも言えるだろうけど……」

 僕は、それ以上追求しないことにした。どのみち、タカユキの真意は分かりそうにない。

 「どうだ、最近は。相変わらず金にならなそうなことをやってるのか?」

 タカユキは、僕が小説を書いたりしていることについて尋ねていた。僕は英語が得意なので翻訳の仕事などで生活費を稼ぎながら、出版するあてもない小説を書き続けている。

 「金が目的ならもっと別のことをやってるよ」

 「そんなら何が欲しくてやってるんだ」

 「そりゃあ……」

 言葉に詰まる。何が目的かということが、僕の場合はっきりとはしていなかった。地位にしろ名誉にしろ金にしろ、ちゃんと何かを欲しいと思っている方が結果は出やすいのだろうが、僕の動機はその点不明確だった。初めは、自分は会社などから与えられる仕事にやる気を見出せる人間ではなくて、創作的なことにしか情熱を持てまい、という気持ちでやりだしたことだったが、今では何かもう、意地でやっているような気もする。

 「まあ何でもいいや。意志を持って何かやろうというだけで立派だよ。そういう人間が希少な時代だからな」

 何も言えなくなった僕にタカユキは助け舟を出す。僕はどう答えても居心地悪いように感じて、とっさに話題をすり替える。

 「立派といえばタカユキのほうじゃないか。東京に行って十年、いつのまにか会社を起ち上げたと思ったら、今やこんなに成功してる」

 「まあな」

 「だいぶ世の中に貢献してるよ」

 タカユキはあまり、というか全く、誇らしげな様子を見せず、ただ生返事だけをする。いささか妙なリアクションだった、褒められるのが嫌というより、後ろめたいことを探られているかのように、タカユキは視線をそらして首をかしげた。

 「世の中に貢献? どうかな。俺は流行りの経営者みたいに会社を大きくすることが”日本を元気にする”ことにつながると主張するみたいな趣味はなくて、その点、極めて個人的な目的でやってる」

 「個人的?」

 タカユキはさっきまでの快活な調子ではなく、ずいぶん冷めた調子で話していた。それを見て、他のビジネス関係者と話していた時や、僕に最初に応対していたときのタカユキには、いくらか作った部分があるのだと僕は確信する。

 「まあ、なんていうかな……」

 その時、僕とタカユキは同時に、こちらへ近づいてくる一組の男女の姿に気付いた。

 「元気してた?」

 そう言って、女性のほう、アヤカは僕の肩をぽんとたたく。その様子を、タカユキは少し目を細めて見ていた。

 「まあ、相変わらずさ」

 「だよね。そういう顔してた」

 そう言ってアヤカは微笑んだ。その自然なやりとりの感じに、僕は安堵する、タカユキと違って、アヤカは昔と何も変わっていないようだった。

 「タカユキも、元気?」

 アヤカはタカユキに手を振る、その仕草も、昔のままだった。

 「ああ」

 タカユキは笑顔を作って答える。ただ、そこには僕に応対したときとは違うぎこちなさがあった、それはタカユキだけじゃなくて、むしろアヤカとタカユキ、その二人の間にあるぎこちなさだった。

 「えっと、二人に紹介しとかないとねーー」

 そう言いながら、アヤカは後ろを振り返った。僕とタカユキの視線は、おのずとそこにいた男性のほうへと向く。

 「これ、私の夫」

 アヤカの紹介を受けて、その白人男性は「はじめまして」と言って、僕らに微笑みかける。体格は良く、華奢なアヤカと並ぶとなおのこと大きく見える。人懐こい笑顔だったが、その目には思慮深い雰囲気が漂っていた。

 「ブライアンと申します。よろしく」

 少々うやうやしい感じだが、その言い方から、かなり日本語が流暢なのが窺えた。ブライアンはこちらに手を差し出し、僕らはその求めに応じて握手をする。タカユキは、ブライアンを観察するように、二度ないし三度くらい、その顔をちらちらと見ていた。アヤカは大学で留学したり日本でも外国人の友達を作ったり、活発に動きながら英語を熱心にやっていたようだが、今はアメリカ人男性と結婚して生活している。

 「うわさには聞いてたけど、ーー結婚したんだね」

 一瞬、「外国人と」という言葉を付け足しそうになって、僕はそれを飲み込んだ。ブライアンのいる前でそれを言うのは、失礼にあたる気がした。

 「結婚なんかできない女だって思ってた?」

 「そうだね」

 「正直じゃない」

 アヤカは口を開けて笑う。

 「いや、もちろん冗談だけど」

 「だけど?」

 「まあ、自分の考えとかをはっきり言うタイプだから」

 もう一度アヤカは声を出して笑った。

 「そうね。なかなかそれを受け止められる男はいないよね。それができるのはこのブライアンくらい」

 言いながら、アヤカはブライアンの腕をなでる。どこか誇らしげで見せびらかすかのような態度は、外国人と結婚した日本人女性の典型のように見え、僕はそのことに違和感をおぼえた。アヤカは基本、自分らしさをはっきり持っていて、何かの威を借るようなタイプではないはずだった。けれども、何か自分を、実際とは違う、または実際以上の人間に見せようとする、そういう違和感がそこにはあった。

 「そのおかげで、アヤカといると退屈しないよ」

 ブライアンは柔和な笑顔でそれに応じ、アヤカをそっと抱くように肩に手を置く。

 「幸せそうじゃないか」

 タカユキが二人の間に割って入るようなタイミングで声をかける。表情は優しげだが、その言い方には相手を突き放すような響きがあった。

 「タカユキだって、私なんかよりずっと見事にやってるじゃない」

 微妙な冷笑の雰囲気を感じ取ったのだろう、アヤカはタカユキの言葉に正面から応じるよりも、相手の話題にすり替えることを選んだ。

 「そう見えるか?」

 「そりゃあ……そう見えない方が不自然だけど」

 「表面的にはな。実際にはいいことばかりじゃない。華やかな部分以外はだいたいみんな隠そうとするし、あえてそうしなくても隠れてるもんだ。不思議なもので、華やかな部分は人々の意識の表にあらわれ、そうでない部分は意識の底に沈む。意図せずとも、自然とそうなってしまうのさ」

 タカユキは視線をそらし、会場を埋めるパーティーの参加者達を眺める。その冷淡な表情は、意識の底の何かの存在を覆い、同時にそれ以上その話題を続けることを拒んでいた。

 「まあ、何はともあれ、順調そうでよかった」

 「ああ」

 そっけない返事だった。タカユキは、自らの成功と躍進を祝うイベントを開催していながら、直接その話題に触れることを嫌がっているようだった。それなら、なぜ、僕やアヤカを呼んだのか、タカユキは、それについて語って欲しいのではなく、ただその成功を見て欲しいだけだったのだろうか。それは、決してわかりやすい感覚ではない。

 「何よ。ずいぶん陰気じゃない」

 その態度に苛立ったのか、アヤカが急にストレートな物言いをする。それを聞いたタカユキは、一瞬はっとしとたようになり、急にそれまでとはうって変わって、鷹揚な笑いをもらした。余裕のある表情に戻り、その顔をアヤカに向ける。

 「いや、悪かったな。普段から、他人にはあまり順風満帆みたいな顔をしないようにしてる。無用な嫉妬を招きやすいんだ、こういう仕事をやってるとな。まあ、一種の癖みたいになってる」

 「別に嫉妬なんかしないよ。昔の友達の成功くらい、素直に喜べるって」

 「ついついそうなるんだ。そういう意味じゃない、つまり悪気はない」

 タカユキはずっと同じ表情で微笑みかけ、アヤカは腑に落ちない感じを見せつつも、その言葉にうなずきを返した。タカユキの態度には、どこかうさんくさい感じがあった。少なくとも、さっきのネガティヴな物言いのときのほうが、嘘がないように見える。

 「タカユキ」

 「ん?」

 「ちょっと、昔とは変わっちゃったね」

 タカユキが、一瞬、言葉に詰まっているのが僕にはわかった。目を細めて、アヤカを見つめる。アヤカには、何気ない物言いの中で、鋭く本質を突くような、独特の才覚があった。その一言は、彼女の感情のトーンや抑揚によって、特別な重みを帯びていた。タカユキは、平静を装う表情の裏で、かすかに動揺していた。何か自分が昔とは違うことを、いくらかは感じてはいたのだろう。でも、具体的に、何が、どう違うのだろう? それを、アヤカの直感も、僕の思考も、タカユキの自覚も、とらえきれていなかったのではないだろうか、と僕は思う。タカユキは言葉を探していた、その姿は、ひどく孤独なものに見える。

 「俺はーー」

 ようやく、タカユキの唇が動き、言葉を発しようとする。けれどもその瞬間、僕ら全員の耳に聞こえてきたのは、会場の入り口で、ガラスのコップが床に落ちて砕け散る音だった。

 

 会場の話し声がいっせいに止み、全員が物陰から様子をうかがう小動物のように、視線を音が聞こえたほうに向ける。そこには、一人の男が立っていた。鼻梁の通った作りの良い顔だが、やや頰がこけすぎている。顔は紅潮して、目はかすかに充血している。男は、たぶん酔っている、会場の多くの人が、彼の顔からそれを読み取った。

 「ーーノリマサ?」

 声を発したのは、僕だけだった。アヤカもタカユキもそれがノリマサであると気づいていたはずだった、それなのに、何も言おうとはしない。いや、僕にはもちろん分かっている、二人とも、強い驚きのせいで、身がすくんでしまっていたのだ。よもや、僕はこの三人の再会が実現することがあろうなどとは思っていなかった。タカユキはどうせ来ないだろうと思ってノリマサを招待したのだろうし、アヤカも、彼が来ると思っていたら、ここへ出席していたかどうか怪しい。ノリマサは、名目上の招待客であり、実質上の招かれざる客だったのだ。

 「おっと。すまんすまん」

 悪びれもせず、シニカルな笑いを唇に浮かべながら、ノリマサはすぐ隣にいた参加者にぶしつけな態度でわびる。自分が落としたコップの破片を片付けようとするそぶりすら見せない。一目見ただけで、様子がおかしいのが分かった。

 「タカユキ!」

 遠くからタカユキを見つけたノリマサが、品の悪い大きな声で呼ぶ。

 「……完全に失敗だったみたいだな、あいつを呼んだのは」

 嫌な空気を感じ取ったタカユキがぼそりとつぶやいて舌打ちし、足早にノリマサへと近づいていく。だが、タカユキがノリマサの正面に来た瞬間、ノリマサはいきなりタカユキの胸ぐらをつかみ、血走った目でにらみつけた。全くおかしなノリマサの行動にやばさを感じた僕は、急いでタカユキの後を追う。ここ何年かのノリマサの素行について悪い噂だけは聞いていたが、どうも想像していたよりひどい状態のようだった。

 「冗談だよ、冗談。びびんなよ」

 突然ノリマサは笑い出し、タカユキの胸ぐらから手を離す。異様なノリマサの行動に緊迫した会場の中で、その笑い声が気味の悪いくらいによく響く。

 「どうした。いったいどういうつもりだ?」

 落ち着いたトーンだったが、タカユキは苛立ちを隠そうとはしていなかった。

 「どういうつもり? いやいや、てっきり社長様が俺みたいな落ちぶれ者を呼びつけて、見下してらっしゃるのかと思ってよお」

 ノリマサは卑屈な笑いをもらして、へりくだるように頭を下げて上目遣いでタカユキを見上げる。

 「別にそんなつもりはない」

 「へえ! そうじゃなけりゃ、純粋に俺を招待してくれたってのか? 昔の同級生だから? 俺に会いたいから? おいおい、とんだ嘘つきだな。本当は見せつけたかったんだろ? 今のお前の成功を、見せつけて、憎い憎いこの俺をはいつくばらせたかったんだろ?」

 「落ち着けよ。酔ってるのか?」

 「確かに酔ってる。ここに来る前にしこたま飲んできたからな。けど、俺は落ち着いてるよ。俺は自分が何を言ってるのか分かってる。なあタカユキ、お前、俺に復讐に来たんだろ? じゃなきゃ、今さら帰ってこないだろうしな。でもな、そんな必要はないんだ。俺はとっくに、底辺の人間だ! これ以上みじめにはなりっこない」

 この場にいる全員が、唖然としてノリマサを見ていた。いきなり現れて、聞く耳を持たず、個人的なことを大きな声で一方的にまくしたてる姿に、僕ですらどうしていいのか分からず困惑してしまっている。

 「少し静かにしてくれ。ノリマサ、俺は別に復讐とか、そんなこと考えてない」

 「考えてない? おいおい、じゃあ、お前は、俺をお友達だと思ってここへ呼んだのか?」

 タカユキは、じっと、ノリマサを見ていた。何も言葉を発しない。タカユキは、答えを探しているよいうよりも、答えを回避しようとしているように見えた。そのタカユキに、ノリマサが笑い声をあびせる。

 「やっぱり図星じゃねえか」

 皮肉たっぷりのいやらしい言い方だった、タカユキを追い詰めてやろうという意図が、はっきりと表れていた。このままだと不毛なやりとりが続くだけだった、だから、僕はいちかばちかで、タカユキとノリマサの間に割って入ろうと前に出る。

 「ノリマサ」

 間合いを測るような意図で、僕はノリマサの名前を呼んだ。

 「おう、ソウスケじゃねえか。相変わらず勉強ばっかしてんのか?」

 酒臭い息を吐きながら、ノリマサが言う。中学時代にやたら成績の良かった僕を、ノリマサはからかっていた。

 「ずいぶんな勢いじゃないか。まるで、この場にいる全員が敵みたいな態度だな」

 ノリマサの言葉から、多少は余裕のありそうな気配を感じ取った僕は、冗談めかして言ってみる。

 「そりゃそうさ。だってこの連中は、どうせタカユキの取り巻きみたいなもんだろ」

 「タカユキの仲間だからって、お前の敵ってわけじゃない。少なくとも僕は、ノリマサの仲間でもある」

 「ははは! お前も俺のせいでひどい目に遭ったってのに? お前はヒトがいいから、バランスを取ろうとするんだな。疲れる生き方だろう」

 「僕は僕でしかないから、他の生き方は知らない」

 僕はおどけたように肩をすくめる。ノリマサの表情はいくらか崩れ始めていた。少なくとも、さっきまでタカユキを攻撃していたときとは違う顔をしている。

 僕はその後もノリマサと会話を続け、どうにか彼を外へ連れ出すことにした。会場から出るとき、僕は一瞬アヤカのほうを見る、アヤカはブライアンの陰に隠れるように立って、こちらを遠慮がちにのぞいていた。きっと、ノリマサに見つかりたくはなかったのだろう、それを察した僕は、そっとノリマサからの視線を遮るような位置を歩いて、ノリマサを外へ誘導していった。

 せっかくの同窓会だったけれども、完全に興が冷めてしまった。何もかもが消化不良で、何もかもが混乱してしまっていた。そこには、そのままにしておけない何かがあるように思えた、僕らそれぞれの間に、それぞれの中に。そして、この再会は、決してこれで終わることはなかった、僕らの関わりはもっと複雑に絡み合い、僕ら全員を、後戻りできない場所まで、押し流してしまうことになったのだ。

 

 

 

僕らが何者でもなくなるように その4へつづく__