Re: Writing Machine

Teoreamachineの小説ブログ

僕らが何者でもなくなるように その5

 

 んなふうにアヤカに連絡を取ろうかと僕は考えていた。僕とタカユキと三人で飲みに行こうと言えば、なんでだと理由を聞かれるかもしれないし、かといってタカユキが来ることを黙っているわけにもいかない。しばらくああだこうだと考えていたが、結局、ストレートに提案してみることにした、理由は特にいらない、僕がそうしたいと思ったとでも言えばいい。タカユキがそう言っていると言えば妙な感じだが、僕がそう言う方がまだ自然だ。

 ようやくそうと決めて、アヤカに連絡を取ろうと思った時、思わぬ横槍が入ることになった。突然、僕がちょうど手にしたスマホが鳴ったのだ。発信は公衆電話からで、首をかしげながら電話に出ると、なんだか疲れたような声のノリマサだった。

 「ちょっとさ、迎えに来てくんねえか」

 「迎え?」

 第一声で何を言い出すんだ。

 「いや、帰りの電車賃がなくってよ」

 いい大人がそんなことになるもんなのかと思ったが、少なくともノリマサはいい大人とは言えなさそうだ。

 「無一文なのか?」

 「まあ細かいことはあとで説明するし、とにかくこっち来てくれよ」

 あんまり会話を続けてもしかたなさそうなので、僕は迎えに行くことを承諾して場所を聞く。指定されたのは、警察署の前だった。

 

 「ったく。まいったぜ」

 待ち合わせの場所に立っていたノリマサは、特に悪びれる様子もなくそう言って僕を迎えた。

 「どうした?」

 「警察のやっかいになっちまったのさ」

 僕はあきれ顔になってノリマサを見る。状況は、聞いていた噂以上に悪いのだろうか。僕のその顔を見て、ノリマサは気分の悪くなるような皮肉な笑いを浮かべる。

 「いったい何をやったんだ」

 「くだらねえケンカだ。安い飲み屋で偉そうなオッサンに絡まれて、言い合いになって腹が立ったから、顔面ぶん殴ったら大げさに倒れやがってよ。そんで警察呼ばれて、暴行罪で連れて行かれちまった」

 「暴行罪って、逮捕されたのか?」

 「まあな。いちおう保釈はされたんだけど。それで身元引受人になった親父に迎えにきてもらったんだけどよ、なんか説教してきやがって、そんでケンカになって、挙げ句の果てに無一文の俺をほっぽり出して、テメエで勝手に帰れって話になっちまった」

 「それで、僕に電話してきたのか」

 「そゆこと」

 始めから終わりまで呆れてしまう話で、正直来なければよかったと思う。ノリマサに反省している様子はまったくなく、あっけらかんとしている。

 ともあれ、しかたがないので僕はノリマサと連れ立って帰ることになった。駅のホームに立って電車を待つ間、手持ち無沙汰なので缶コーヒーを買う。ノリマサの分も買って渡してやると、別に感謝の様子もなく当たり前のようにそれを受け取った。

 「しょっちゅう他人とケンカしてるのか?」

 実際ノリマサは、どんな生活をしているのかと思い、それとなく質問を切り出してみる。

 「たまに軽い言い合いくらいはするけどよ、さすがにぶん殴るのはまれだな。逮捕されたのは初めてだし」

 ノリマサは愉快そうに笑う。僕は笑わなかった。

 「まあ、親父が身元引受人になってくれただけ不幸中の幸いだ。なんせ、電話するのは三年ぶりくらいだったからな」

 「親と連絡取ってないのか」

 「もはやほとんどアカの他人さ。俺の体たらくが許せねえらしい。口を開けば偉そうな物言いで批判ばかりだ。これでもいちおう仕事はしてるってのに。結局、俺の方から縁を切ってやった」

 「体たらく?」

 「俺が稼いだ金をほとんどパチンコに使っちまって、ぎりぎりの生活をしてるのが気に食わないんだ。まあ、しょせん工場のライン勤めじゃあ、どのみちろくな給料はもらってない。そもそも、教師みたいなカタい仕事をやってる親父からすれば、俺の仕事自体が見下げたもんらしい」

 「まあでも、いちおう自力でやっていけてるんだな」

 「その感覚はないな。すでに泥沼につかってる気がする。仕事なんか毎日毎日同じことの繰り返しだ。そこには自己実現もモチベーションの行き先もない。コンベアを流れてくる同じパーツを眺め続けてると、俺の足元にも見えないコンベアがあって、こっそり破綻へと運ばれてるように思えてくる。そりゃあパチンコにのめり込みたくもなるぜ」

 「何か明るい話はないのか?」

 何を言ってもネガティブな流れになるので、だんだん会話をするのが嫌になってきていた。

 「ねえなあ。だから俺は、いっそシナ人でも攻めて来ねえかなと思ってる。そしたら自衛隊に志願してよ、やつらを殺しまくって、俺は英雄になるぜ」

 僕は当惑した、いきなり出た差別的な物言いに驚いて、ノリマサを見る。

 「本気で言ってるのか?」

 「へへ。驚くなよ。まあ、お前は真面目だからな。サヨク脳になってもしょうがねえ。でもな、俺は本気さ。今俺たちに必要なのは、戦争だ。戦争は、国民のアイデンティティを亢進させる最高の方法だ。戦後個人主義のせいですっかり希薄になった日本国家への帰属意識を、一気に復活させる方法はそれしかない」

 「なんだよ急に。冷静になれよ」

 「俺は冷静さ。ソウスケ、お前は自分を、自立した個人主義者だと思ってないか? バカを言うな、個人なんてもろいもんだぞ。自分だけで作り上げた基盤なんて、ちょっとしたことで簡単に壊れる。だからな、人間には『帰属』が必要なんだ。それを可能にするのが国家であり、ナショナリズムだ」

 「それがお前の境遇を本当に救うことになるのか?」

 「なるよ。というより、それしかない。俺を見てみろ、俺は孤立した根無し草だ。受け皿になる家族も共同体もない。あるのは日本国という、すべての日本人に与えられた故郷だけだ。世の中を見てみろよ、俺みたいな人間はゴマンといる。お前は恵まれてるから気づかないんだ。俺たちみたいな人間を一度に救えるのは、戦争と、ナショナリズムの高揚だけだ。俺は戦いの中で大義を与えられ、そのために生き、そのために死ぬことができる。それは、今の生活ではまったく不可能なことだ。単純労働とパチンコ依存が絶望的なことくらい俺も分かってる。だから、俺には、俺たちにはそれが必要なのさ」

 ノリマサの目は爛々として輝き、妙な生気を宿していた。

 「それは『俺たち』以外の価値を認めない、利己的な理念じゃないのか」

 「ふん。ソウスケ、お前はちょっと頭がいいから、慢心してるんだ。追い詰められたり、救いようがなくなったりしてる人間は、お前が思ってるよりはるかに多い。だから、『俺たち全員』を救い上げる以外にない。そのために、天皇陛下が必要なんだ。全ての国民を、陛下に奉仕させる。他にも、例えば大企業が得た利益も全て陛下に捧げさせる。そして、陛下のご慈悲によって、民衆に施しを与える。天皇陛下による経世済民を行うのさ。そうすれば、俺のような人間でも、庇護と帰属と誇りによって生きていくことができる。そのためには、全ての国民の意識を、一つの意思へと統一させる必要がある。日本人は優れた民族で、それができる。韓国や朝鮮とは違うんだ。いずれ、全ての国民が気付くだろう」

 普段こういう思想を面と向かって他人に語る人間を僕はあまり見たことはなく、うまく言葉を返せない。ただ、抜け道のない生活に閉じ込められた人間がよりどころにできる思想に、バランスのとれたものがどれだけあるだろうか、と僕は考えていた。

 「それはそうと、ソウスケ」ひと通り話して満足したのか、ノリマサは自分から話題を変えた。「お前、金に余裕あるか?」

 「金? いや、正直、余裕なんてない。翻訳なんてそんなにもらえるもんじゃないし、そもそも執筆は一銭にもなってない」

 「まあそうだろうな」

 「生活が苦しいのか?」

 「へへ。まあ生活も苦しいんだけどよ、そうじゃなくて、ちょっと入り用なんだ」

 「入り用? 何に使うんだ」

 「使うっていうか、すでに使っちまったんだ」

 「借金か」

 「そう、保釈金が払えなくてな。いちおうちゃんとした団体に立替えしてもらえるんだが、早めに返さねえと、余分な手数料が取られちまう。ちょっとの金でも、俺には大事だ。親父も、身元引受人にはなったけど、俺のために金は出さないってきっぱり言いやがったからな」

 「それで、当てはあるのか」

 「正直、金のありそうな知り合いはいない。たった一人を除いては」

 「たった一人」

 「俺たちのよく知ってるあいつさ」

 「……タカユキのことを言ってるのか?」

 「そのとおり」

 ずいぶん無理な話だった、ついこの間、あんな場でケンカを売るという最悪のことをしたばかりのくせに。ノリマサの顔には、余裕とも嘲笑とも取れる笑みが浮かんでいる。ノリマサは、こういうときに悪びれたり気後れしたりしない神経をしているのだ。

 「どうやって頼むつもりなんだ?」

 「そこで、お前にお願いがあるんだよ」

 僕は薄々、ノリマサがわざわざ僕を呼んだ理由に感づいてきた。実を言えば、ここからノリマサの家まで、電車を使わず歩いて帰るのは無理な話ではなかった。

 「僕に仲介をしてくれってことか」

 「まあそういうことさ。ソウスケから頼んでくれれば、あいつもちょっとは話を聞くだろう。そこで俺も、昔のよしみってことで、金の無心をお願いするから」

 「うまくいくと思うか?」

 「俺にとっては大金でも、あいつからしたらたいした金じゃないだろ。ずいぶん儲かってるみたいだし」

 そういう問題じゃないと思った。ノリマサは少しずれている。正直、断ろうかと考えていたが、僕はふと、タカユキがノリマサとの対話を試みていたことを思い出した。

 「どうなるか分からない。けど、話はしてみるよ」

 僕は僕自身の判断をしなかった。タカユキが断れば、それでいい話なのだと思った。

 「悪いな」

 ノリマサはにやついていた。たぶん、本心では申し訳なさなど感じてはいないだろう、と僕は思う。

 ちょうどそのとき、僕らが待っていた電車がホームへ入ってくる。会話が途切れたことに安堵を感じながら、僕は車両の中の乗客たちの顔を見つめていた、彼らの誰もが、どこかしら不機嫌な顔をしている。

 

 

 

僕らが何者でもなくなるように その6へつづく__