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Teoreamachineの小説ブログ

僕らが何者でもなくなるように その14

 

 「何の用だ。いきなり」

 最初に鋭い口調で言葉を投げつけたのは、タカユキのほうだった。ノリマサのあまりにぶしつけな登場に、あきらかに怒りを感じているようだった。僕とアヤカは、何が起こっているのか状況がつかめず、横でじっと見ていることしかできない。

 「何の用? 大事な用さ」

 「誰に?」

 「お前だよ、もちろん」

 「俺のほうは、もうお前に会う必要なんかないと思っていたが。だいたい、何でここにいることが分かったんだ」

 ノリマサは動じず、むしろ余裕すら感じさせるくらいに、大きな声を出して笑う。

 「ソウスケの後をつけさせてもらっただけだ。残念だが、こっちは用があるんだよ。お前もそんなに冷静にかまえていられないぞ、きっと」

 「何が言いたいんだ。用があるなら早くしろよ」

 「まあ待てよ。まずは、紹介だけさせてくれ」

 そう言って、ノリマサはフジオカのほうを向く。フジオカは、すでにノリマサの横に立って、頭を垂れたまま、下から舐めるようにタカユキの顔を見つめていた。

 「いやいや、どうも、タカユキさん。私に、心当たりとかはありますかね」

 タカユキはじっとフジオカを観察してから、怪訝な顔をして、首をかしげる

 「失礼ですが、お会いしたことが?」

 その反応が予想通りだとでもいうように、フジオカが含み笑いとともにうなずく。

 「直接はありません。たぶん、私のフジオカという名前にも、ピンとは来ないでしょう」

 「直接はない、とは?」

 「言葉のとおりです」

 「もっとはっきり、言ってもらえないか」

 「仕事上の付き合い、ってことですよ。ビジネスをやったことがあるんです、あなたの会社と私の会社の間で」

 「うちの会社で、アプリの制作をさせていただいたことが?」

 「そうです」

 タカユキは相手の正体がつかめず、フジオカに合わせるように、妙にかしこまった口調になっていた。しかしそれでも、互いの間には、異様な緊張感がはりつめている。

 「つまり、そのことで、何か?」

 「そうです。その通り」

 「よく分からないな。私どもとビジネスをしたことのある方が、どうしてノリマサと一緒に、私に会いに来るんでしょうか」

 「そうでしょうね。それならまずーー」喋りながらフジオカは、空いていた椅子を持ってきたかと思うと、僕とタカユキの間に割り込ませるようにそれを置いて、そこに座ってしまう。「いったい、何の仕事をお願いしたか、それを分かっていただくところから始めましょう」

 「仕事……」

 そこでバーのスタッフが注文を取りに来たが、フジオカは「すぐに出るつもりなので結構です」と断る。さほど長居をするつもりはない、ということなのか。けれども、僕には、そんなにさっさと終わる用件にも思えない。

 「あまりやきもきさせてもしょうがない、単刀直入に言いましょう。つまり、タカユキさん、あなたのやっている会社には、表のビジネスと、裏のビジネスがあるでしょう」

 フジオカは、急に目を見開いて、タカユキの顔をのぞきむ。狡猾で冷酷な、恐ろしい目だった。タカユキは平静を保とうとしていたが、その唇の端がぴくりと動いたのを、僕は見逃すことができなかった。

 「裏、というと?」

 落ち着いた口調だった、けれども、タカユキは、その表情から苦々しさを隠しきれていない。

 「裏、ですよ。まさか、はっきりと申し上げた方がよろしいとでも? お友達もいる前で?」

 「いったい、私どもの会社の仕事の何を知っているというんでしょうか」

 「ははあ、なるほど。ばれているわけはない、というお考えですね。それもそうかもしれません、だって、あの仕事の依頼を受けるとき、実際の会社名を出すことは決してありませんでしたからね。たとえ仕事を発注した側とはいえ、どこのどんな会社が、それを請け負っているか、知ることはない」

 「どこか、よその会社のことを言っているのではないでしょうかね? 心当たりが、ないんですが」

 「いいでしょう。それならば、マツヤマ、という男をご存じでしょう」

 「マツヤマ? 私の知り合いの中にはいるのかもしれませんが、誰のことなのか」

 タカユキの態度は変わらなかった、それは、会社を経営する中で必然的に身につけたポーカーフェイスなのかもしれない。だが、その落ち着きが、かえって妙な感じがした。会話が進めば進むほど、僕は嫌な予感を募らせていく。たぶん、全く無駄な抵抗だった、ノリマサとフジオカが僕に言ったことを思い返してみれば、この二人が、何かタカユキを決定的に追い詰めるネタを持っていることは、疑いようもない。

 「マツヤタツロウです。営業のマツヤマ、あなたの会社で、つい先月まで働いていた男でしょう」

 「……ああ、弊社のマツヤマですか。ご存じで?」

 「ええ。だって、仕事の依頼をするとき、直接やり取りしましたから」

 聞きながら、タカユキは目を閉じていた。そこには、静かなあきらめと観念あった。

 「マツヤマから、何か聞いた、ということですか?」

 「そのとおりです。マツヤマが退職するという話を聞いて、私は彼に接触し、そして、彼がいったい誰のために働いていたのかを聞き出したんですよ」

 「それが、私だということですか」

 「そうです。もはや隠してもしょうがないでしょう、タカユキさん。マツヤマは遠慮なく喋りましたよ。彼も、仕事を失っていろいろ入り用だったんでしょう。だって、私は彼に情報料をたっぷりとはずんであげたんですから」

 タカユキはうつむいて、長く弱々しいため息をつく。その姿は、タカユキがフジオカに屈してしまったのだということを、僕とアヤカに知らしめるには十分なものだった。

 「それで、今度は俺から、口止め料をふんだくろうっていう寸法か」

 そのとき、ずっと立ったまま話の成り行きを見守っていたノリマサが、タカユキの真正面に立って、身を乗り出してきた。

 「口止め料! 違うぞタカユキ、俺たちは脅迫に来たんじゃない、交渉に来たんだ」

 ずいぶん高揚した様子で言葉を発したノリマサを、タカユキは迎え撃とうとするかのように、椅子に座ったまま睨みつけている。

 「交渉、とは何だ」

 「タカユキ、お前には、いくらか出資をしてもらいたいんだ」

 「出資?」

 「そう、このフジオカさんは、お前のところにいたマツヤマという男がやっていたことを、もっと巧妙で儲かる事業としてやろうとしてるんだ。だから、そのための資金を、お前に提供してもらいたい」

 「お前も一緒にやるつもりなのか?」

 「いや、俺は俺で、別のことをやろうと思ってる」

 「別のこと、とは?」

 「俺は、政治団体を立ち上げるんだ。今、この国のほとんどの人間たちは、大義を見失って生きている。そして俺と同年代か、さらに若い世代の人間たちは、不遇に苦しんでいる。そういうやつらを結集して、国のため、天皇陛下のために尽くす団体を設立する。私利私欲を超えた、公への奉仕の道を開いてやるんだ。お前には、そのための資金を提供してほしい」

 タカユキは何も答えなかった。ただ、あきれたように首を振る。

 「ねえ、ちょっと待ってよ」

 すっかり置き去りにされたまま、タカユキが追い詰められていることに耐えかねたのか、二人の間にアヤカが割って入る。

 「どうした」

 いらだつように、ノリマサがアヤカを見下ろした。目が合った瞬間、アヤカの顔に緊張が浮かんだ。僕には、どこか彼女がおびえているようにすら見える。

 「説明して。いったい、タカユキが何をやったっていうの?」

 「アヤカが説明してほしいそうだ、タカユキ」

 言葉とともに、ノリマサが嘲笑を投げつける。

 「タカユキ?」

 黙っているタカユキをうながすように、アヤカが尋ねる。けれども、タカユキは何も言わない。その沈黙が長くなるほど、アヤカの目にはひどい恐れが浮かび上がってくる。

 「説明してやらないのか?」

 ノリマサが、意地悪くタカユキを追い詰める。それでも、タカユキはじっとテーブルの上に視線を落としたまま、唇をかんでいた。

 「ねえ、何か、そんな脅しを受けるような、まずいことをやったの?」

 アヤカは、半ば哀願するような口調になっていた。僕もアヤカも、タカユキの態度から、いちいちそれを確認するまでもないことは分かっていた。だから、アヤカの姿には、どこか悲痛な感じすら呼び起すものがある。

 「ふん。まあ、お前は言いたくないだろうな。けど、この二人は別に知る必要もないことだ。俺も、お前が交渉に応じてくれれば、あれこれ喋るつもりもない」

 「それは、交渉じゃない。脅迫だ」

 耐えかねて、僕も割って入る。タカユキが何をやっていたとしても、ノリマサの要求に応じる必要はない、僕はそう考えていた。

 「黙ってろ、ソウスケ。どんなふうに受け取ろうが、関係ない。結局、金を出すか出さないか、それだけの話だ」

 全員の視線を受けながら、タカユキは黙っていた。動じた様子はなかった、むしろそれは、腹をくくるために、ほんの二つか三つ、呼吸を必要としているだけのような感じだった。

 「断る。金は、出さない」

 「何?」

 「はっきりと言っただろ。お前らの脅しに、屈するつもりはない」

 それを聞いたフジオカは、全くの予想外だったとでもいうように、目を泳がせる。ノリマサの表情はこわばり、紅潮して、熱い憎悪を浮かび上がらせる。

 「お前がやっていたことを、世の中にばらされてもかまわないってことか? いや、お前、警察に逮捕されるぞ。何もかも失う、それでもいいのか」

 「それでもかまわない。正直、俺はもう、やめようと思ってたんだ。今まで意地を張ってやってきたことを、もう、終わらせるつもりだ。この道の先には、行き止まりしかない」

 「馬鹿な!」

 ノリマサの顔に、見たこともない動揺が表れたことに、僕は驚いた。まるで、今まで拮抗する力によって自分を支えていたものが、それを失って崩落するように、ノリマサは勢いを失う。

 「お前がどんなにあがいても、もはや、俺から何も奪うことなんかできやしない」

 「ーーふざけるな! お前が俺に、何かを偉そうに言うことなんかできやしない。お前はな、そのマツヤマを間にはさんで素性がばれないようにしつつ、怪しいアダルトサイトを経営する男と知り合いのフジオカさんに接触し、架空請求を行うためのアプリを提供したんだ。それをダウンロードしたやつのスマホに、名前と電話番号を表示させて脅迫し、金を振り込ませることのできるアプリをな。マツヤマは、決して少なくはない数の業者とその種のアプリやウイルスのやりとりがあったことを証言してる。昔は正義感を振りかざしてたお前が、今はこの有様だ!」

 僕もアヤカも、言葉も出ないほど驚いてしまい、タカユキを見た。けれどもタカユキは、僕らに向かって肯定のしぐさも否定のしぐさも示さず、ただ、真正面からノリマサの言葉を受け止めている。

 「だから、俺はもう、それを終わらせると言っている。馬鹿なことをしたと思ってるよ。俺はただ盲目に、ありとあらゆる手段を使って、稼げるだけの金を稼いでいた。俺はひたすらに、金を求め、金が与えてくれる力を求めてきた。けれど、俺は今、急にそれを止めようという気になったところさ。俺の救われなさと、お前の救われなさは、ひどく似ているような気がする」

 「何なのそれ。タカユキ、ノリマサが言ってることは、本当なの?」

 か細い悲鳴のような声で、アヤカが尋ねる。

 「ああ」

 無表情であしらうように、タカユキが肯く。それを聞いたアヤカは「何てことなの!」と叫び、顔を両手で覆う。

 「どうしても金を出さないつもりか?」

 「何度も言わせるな。お前の馬鹿げた計画には、いっさい協力しない」

 それを聞いた瞬間、ノリマサの顔に強烈な憎悪が浮かび、激昂して声を荒げはじめる。タカユキの言葉が、追い詰められたノリマサの逆鱗に触れてしまったのだ。

 「馬鹿げた、だと? 俺の考えをまともに受け止めて考えようともせず、偏見で見下しているだけのお前に、いったい何が分かる! お前は結局、自分のことしか考えていない拝金主義者にすぎない。中国人と一緒だ! 日本という共同体に帰属することを受け入れたくないんだろう? 嫌なら出ていけばいい、お前が本当に日本人かどうかすら、怪しく思えてくる。姑息な手段で商売をやって、金を稼ぎやがって。まっとうな日本人なら、絶対に手を染めないことだ。お前の商売のやりかたは、まるで在日と一緒だ。お前のような奴に、日本人の資格はない。本当の国籍があるならさっさと白状しろ! それ嫌なら、さっさとお前と相性のいい国へ出て行ってしまえ! 俺の前から消えろこのゴミクズが!」

 「いいかげんにして!」

 突然、大声とともにアヤカが立ち上がり、ノリマサを睨みつける。アヤカの表情には、僕が見たことのないような、勇ましく、怒りに満ちた感情が表れている。明るいように見えて、いつもノリマサが象徴するような暴力や権威に怯えてきたアヤカが、まるで己の激情に支配されて、恐怖を忘れてしまったかのようだった。

 「口をはさむんじゃねえよ」

 ノリマサが凄んだが、アヤカはまるで退く様子を見せない。

 「ここにいるわよ」

 「はあ?」

 「だから、ここにいるって言ってんだよ!」

 アヤカが叫ぶ。ノリマサは意味がわからず、苛立った顔を向けているだけだ。

 「何なんだよ」

 「あんたがそれだけ憎んでる、「在日」とやらが、ここにいるんだよ」

 「どういう意味だ?」

 「言葉の通り。私は、在日の血を引く人間なの。私の母親は日本人だけど、父親は在日の三世だから」

 ノリマサは絶句して、アヤカを見つめた。アヤカは氷のように冷たい目で、その視線をはねつける。その瞬間、僕はようやく、アヤカが本当に抱えていたものを理解した。彼女の、アイデンティティというものについての、普通の日本人が持っていないような独特の感覚が、どういうところから来ていたのか、僕はやっと分かったのだ。みんなと馴染んでいるように見えて、いつもどこか孤独にとらわれていた彼女の姿を、僕は記憶の中に思い返す。

 「別に、秘密にしてたわけじゃないけど、別にあえて言うことでもないって思ってた。それが支障なく受け入れられるような社会でもないからね」

 「お前、中学のときに、それを隠して俺と付き合ってたのか」

 「そうね。あんたにそれが受け入れられるなんて、思ってなかったから。私があんたと付き合ってたのは、愛情からじゃなく、恐れから。ふん、笑えるわね。あんたがもしあのまま私と付き合って、子供でも作ってたら、今頃、あんたは自分がそんなに憎んでいる、在日の血を引く子供の父親になってたんだから」

 「黙れ!」

 ノリマサは怒声を飛ばしたかと思うと、ポケットからナイフを取り出し、刃の先をテーブルに突き立てる。全く予想していなかった事実に混乱し、目は見開き、唇は震えている。だが、やはり激しい怒りをむきだしにしたアヤカも、それに怯える様子を見せない。

 「何よそれは? 私のことを殺そうっての? あんたが排除したがってる、在日の私の血を、この場で奪い取ろうってこと? 馬鹿ね、あんたは救いようのない馬鹿だよ! ひとつ言ってやるけど、この日本のどこにも、あんたが信じてる「純粋」な日本人の血なんて存在してない。はるか起源から今に至るまで、この日本には様々なところから海を渡ってきた人たちの、いろんな血が混じり続けているんだ。殺すなら殺せばいい、あんたが憎んでる在日も、混血の人たちも、「純粋」でない日本人たちを探し出して、殺し続ければいい。だけど、それは終わりのない作業になるだろう、なぜなら、この日本にいる全ての人の血の中に、「純粋」でない血が混じっているから。あんたは最後の一人になったとき、ようやくそれを悟るんだ。その「純粋」さを守るためには、自分自身をも殺さなければならないってことをね!」

 ありったけの力を振り絞るように叫びながら、アヤカはテーブルの上のグラスをつかみ、中身をノリマサに向かってぶちまける。そしてグラスを置くと同時に、店から走って出ていってしまう。その場にいる全員と同じように、呆然としていたノリマサだったが、すぐにナイフを握りしめたかと思うと、アヤカの後を追って走りだす。

 「待て!」

 僕は叫んだが、ノリマサがそれを聞くはずもなかった。

 「やばいぞ」

 その言葉を残して、タカユキも店を出て行く。一瞬遅れて、僕も動こうとしたが、目の前に店のスタッフが立ちはだかる。

 「通してください、緊急事態なんです」

 「いや、お客さん、お金はちゃんと払ってくださいよ」

 スタッフはにべもなく、僕の頼みを突っぱねる。もっともなことではあるが、今はそんなときではない。フジオカに頼もうかと思ったが、彼は肩をすくめてみせたかと思うと、こそこそと現場から逃げていく。

 「それなら払う、これでいいだろ!」

 僕は苛立ち、そう叫ぶや否や、一万円札を叩きつけ、釣りももらわずに店を飛び出していく。

 

 

僕らが何者でもなくなるように その15へつづく__