Re: Writing Machine

Teoreamachineの小説ブログ

僕らが何者でもなくなるように その15

 

 び、僕は夜の中へ転がり出る。アヤカとノリマサとタカユキを探して、必死で走り回った、なかなか三人を見つけられずに、もがくように手足を動かす。息は上がり、呼吸のたびに、暗闇が肺に沈殿していくようだった、何か、取り返しのつかない酷いことが起こってしまうかもしれない、その焦燥感が、僕をさらに息苦しくさせる。

 「アヤカ!」

 僕は声を張り上げて名前を呼ぶ。応えるものは何もない。道を往く人々の好奇の視線だけがこちらに向けられ、僕を突き放し、孤独にする。走り続ける僕を、恐怖の感覚が捕らえる、足元に裂け目が現れ、奈落へと体を飲み込むのではないかという気がして、何度も足を止めてうずくまりたい衝動に駆られる。全てが起こってしまった後で、うずくまっている僕に、誰かが事実を告げてくれるのが、傷ついたりショックを受けずに済む、一番の方法なのだから。それでも僕は探し続けた、そしてようやく三人を見つけた時、僕は、最悪の事態を目撃することになる。恐怖映画の画面を突き破って、悪霊が僕の眼前に現れるかのように、それは、僕の人生の平坦な日常を突き破って、僕の眼前に現れたのだ。記憶は必ずしもはっきりとはしていない、思い出すたび何度でも、心身が興奮状態にとらわれ、脈拍が急上昇し、心臓の鼓動が激しくなり、冷や汗をかき、体は反対に熱くなる。

 

 目の前の店のネオンの、赤い赤い光が、僕の目に飛び込んでくる。そこに、ひとりの男が立っている。こちらから見える横顔は、その光で赤く輝いている。手にはナイフを持ち、その場で石化したかのように動かない。その横では、ひとりの女が、地面に座り込んでいる。顔を覆ってうずくまり、聞いたこともないほど悲痛な声で、泣き叫んでいる。そして、もう一人、男が地面に横たわっている。男もまた、そこでじっとしたまま動かない。一面の赤い光の影になった、腹が真っ黒に染まっている。

 「タカユキ!」

 僕は、そこに立っている男の名前を呼ぶ。男はこちらへ振り向く。その両手とナイフは、やはり真っ黒に染まっている。男の顔を、僕はよく知っているが、少し違う、頰が腫れ、唇が切れている、誰かに何度も殴られたのだろう。男は僕を見て、安堵したような笑みを、口元に浮かべ、ゆっくりとうなずく。

 「どうした、ノリマサ?」

 そこに横たわっている男が誰なのかを理解して、僕は声をかける。けれども、腹を真っ黒に染めた男は、目を見開いたまま、何も言葉を発しない。

 「いったいどうなってるんだ。アヤカ、何があったっていうんだ」

 親から置き去りにされた幼子のように泣き叫んでいる女にも、僕は尋ねてみる。制御できない感情のままに涙を流し続ける幼子にそうするのが無駄であるのと同じように、女はやはり、僕に何も答えてはくれない。

 「ソウスケ」

 立っている男が、僕の名前を呼ぶ。僕が少年のころに知っていたのと全く変わらない、その男の声としぐさ。

 「タカユキ、いったいこれは、どうなってるんだ」

 「見てのとおりさ」

 男は、最悪の意味で、悟りきったような顔をして、僕にそう言う。

 「分からない。見ても何も分からないから、聞いてるんだ」

 男の目が、まっすぐに僕を見ている。何もかもが赤い光に沈んだ中で、その瞳だけが、浮かび上がってくる。

 「刺したんだ」

 男が言う。僕は、何も言えなくなる。

 「俺が、あいつを、刺したんだ」

 ナイフの先で、男が、もう一人の横たわって動かない男を指す。やはり、僕は何も言えない。その瞬間、赤い光が、一気に視界から引いていく。本当にそんなことが起こったのかどうかは分からない、でも、僕の目の前の、赤い光が消えて、周囲にある色彩が回復する。でもそこは、やはり同じように、一面が真っ赤だ。立っている男の両手とナイフ、寝ている男の腹が、おびただしい血液で、赤く赤く染まっている。

 「ソウスケ」

 もう一度、動けずにいる僕の名前を呼ぶ声が聞こえる。

 「救急車を呼んでくれ」

 僕は、その場に崩れ落ちないように、必死で耐えているだけ。

 「早く救急車を呼べ! ノリマサが、ノリマサが死んでしまう!」

 どんなにそうしようとしても、僕の身体は全く動こうとしない。そうすればするほど、身体は力を失っていき、とうとう、僕は地面に崩れ落ちる。救急車を呼ぶことなどできそうもない。結局、そこで遠巻きに見ていた人が、電話をかけ、救急車を呼んだらしい、気の遠くなるような時間の後に、夜の向こうから、サイレンが聞こえて来る。まぶたが、信じられないくらいに重たくなる。でも、僕はそれに必死で抵抗する。絶対に、目を閉じたくはない。動けない体で、せめて目の前の三人の姿を見失うまいと、僕は意識を絞り上げるように保つ。どんなに意識がぼやけていっても、僕は、目の前の三人のことを、自分の視界に収め続ける。

 

 

僕らが何者でもなくなるように 最終回へつづく__