Re: Writing Machine

Teoreamachineの小説ブログ

マルコムX 『投票か闘争か(The Ballot or The Bullet)』 その1

 

f:id:teoreamachine:20131125021704j:plain

健主義者諸君、ロマックスを始めとする我が兄弟姉妹のみんな、友人たち、そして敵であるあなた方へ。

ここにいるみんなが友人だとは信じられないが、しかし誰一人として追い出したいとは思わない。今夜お話しすべきは、「黒人による反乱について、そして私たちはここからどこへ向かおうとしているのか、または次に何をすべきか?」ということだと私は考えている。僭越ながら私が思うに、それは投票か闘争かという問題に目を向けることによって理解できるだろう。

 

投票か闘争かということが何を意味するのかを説明しようとする前に、私自身について、はっきりとさせておきたいことがある。私は今なおイスラム教徒で、イスラム教こそが私の宗教だ。それが私の個人的な信仰だ。アダム・クレイトン・ポウエルはニューヨークにあるアビシニアン・バプティスト教会の代表を勤めるキリスト教伝道師であるが、しかし同時にこの国の黒人の権利獲得に挑み、それをもたらすための政治闘争に参加する人物でもある。マーティン・ルーサー・キング博士は下ってアトランタ、ジョージアのキリスト教伝道師で、この国の黒人の公民権のために闘うもう一つの組織を率いている。そして尊師ガラミソンは、あなた方も聞いたことがあるだろうが、もう一人のニューヨークのキリスト教伝道師で、分離教育を無くすための学校ボイコットに深く関わっていた。そして、私も伝道師で、キリスト教伝道師ではないが、しかしイスラム教の伝道師なのだ。私が信じているのは、全ての戦線においてあらゆる手段を用いて行動を起こすことだ。

 

私が今なおイスラム教徒であるからといって、今夜私がここへ来たのは私の宗教について議論するためではない。私がここへ来たのはあなた方に働きかけ改宗をさせるためではない。私がここへ来たのは我々の違いについて議論し意見を闘わせるためではない。なぜなら、今こそ我々は互いの相違点を脇へ沈めておいて、何よりもまず我々が同じ問題、共通の問題、バプティストであれ、メソジストであれ、イスラム教徒であれ、愛国者であれ、あなた方を非難の的にしてしまうその問題を抱えているということに眼を向けるのが最善なのだと悟るときだからだ。あなた方が教育を受けているにしろ文盲であるにしろ、大通りに住んでいるにしろ路地に住んでいるにしろ、あなた方はちょうど私と同じように非難の的になるだろう。我々はみな同じ船の上に乗っており、同じ相手から同じ非難を浴びせられるのだ。そしてその相手が偶然にも白人だったということなのだ。我々みながここで苦しんでいる。この国において、白人の手により政治的抑圧を受け、白人の手により経済的搾取を受け、白人の手により社会的汚名を着せられているのだ。

 

こんなことを言っているからといって、我々が反白人主義だということはない。そうではなく、我々は反搾取主義、反蔑視主義、反抑圧主義なのだ。白人たちが我々に敵対心を持って欲しくないのなら、抑圧と搾取と蔑視を止めるようにすればいい。ここにいる人々がキリスト教徒であれ、イスラム教徒であれ、ナショナリストであれ、不可知論者であれ、無神論者であれ、何よりもまず我々はその違いを忘れなければならない。我々の中にそういった違いがあるなら、クローゼットの中へ仕舞っておこう。ひとたび前線に立てば、白人たちとの議論を終えるまでは余計なことは背負いこまないようにすべきだ。今は亡きケネディ大統領がフルシチョフと会合していくらかの小麦を取引できたのだから、我々にはその二人のそれよりも、もっと強い連帯が可能なはずだ。

 

実際に取るべき手段が見当たらないのなら、投票か闘争かという選択肢を迫られるということを受け入れていただきたい。1964年の今において、これは我々の手にあるたった二つの選択肢なのだ。時間切れになりつつあるのではない、――もうすでに時間切れなのだ!

 

1964年はアメリカがかつて見た中でもっとも激動の一年になるおそれがある。激動の一年。それはなぜか? あるいは政治の一年でもある。今年は白人政治家たちがいわゆる黒人コミュニティへと戻ってきて、あなたや私の票を獲得しようとたわごとを言うだろう。今年は白人詐欺師たちがまさにあなたと私のコミュニティへと嘘まみれの約束を引っさげて戻ってきて、崩れ去るだけの希望を打ち建てる。巧みな言葉と、裏切りと、守る気もない嘘まみれの約束にまみれた希望だ。連中がこういう不満を育てるほど、それはたった一つのこと、つまり爆発へと導かれる。我らが兄弟であるロマックスには申し訳ないが、今のアメリカの状況における黒人たる我々は、もはや打たれた頬と反対のそれを差し出そうなどという気にはならない。

 

いかなる勝算も我々には残されていないなどと、誰にも言わせてはならない。徴兵でもされようものなら、あなたは韓国へ送られ、8億の中国人とにらみ合いをさせられることになる。そんなことをする度胸を向こうで発揮できるなら、今ここでそれを発揮すべきだ。向こうでの戦いについての勝算は、こちらでの戦いについての勝算ほど高くはない。それにここで戦うならば、少なくとも何のために戦うのかを見失うことはない。

 

私は政治家ではないし、政治を学んだことすらない。実際のところ、私はまともな教育を受けたことがないのだ。私は民主党支持者ではない。私は共和党支持者ではない。さらには、自分がアメリカ人であるとすら思えない。あなたや私がアメリカ人だというなら、何の問題も起きていないはずなのだ。真っ白いケツを渡米船から降ろした連中は、そのときすでにアメリカ人だった。ポーランド人の連中はそのときすでにアメリカ人だった。イタリア難民はそのときすでにアメリカ人だった。ヨーロッパから渡って来た、青い目をした連中は誰もがそのときすでにアメリカ人だったのだ。それなのにあなたや私は、ずっとこの国で生きてきたというのにアメリカ人とは見なされないのだ。

 

自分が思い違いをしているなどとは考えられない。食卓について他人が食事をしているのを見ながら、しかし私の皿にはなんの料理も乗せられていないというのに、自分が夕食を取っているなどとは言えない。食卓につくだけでは夕食を取ったことにはならない、皿の上にある料理を食べない限りは。ここアメリカにいるだけでは、あなたはアメリカ人にはなれないのだ。ここアメリカで生まれたというだけでは、あなたはアメリカ人にはなれないのだ。いったいなぜ、アメリカで生まれた人間がアメリカ人になるために立法行為が必要になるのか。憲法の改正を要するようなことではない。ワシントンDCで公民権がただちに議事妨害の種になるような事態に直面する必然性もない。ポーランド連中をアメリカ人にするのに公民権法の可決など必要ないはずだ。

 

違う、私はアメリカ人ではない。私は2200万にも上る、アメリカ主義の犠牲になった黒人の一人だ。2200万にも上る、見せかけの偽善でしかない民主主義の犠牲になった黒人の一人だ。ここに私が立ってあなた方に語りかけているのは、アメリカ人としてでもなく、愛国者としてでもなく、国旗に敬礼する者としてでもなく、国旗を掲げる者としてでもない。違う、私はそういう人物ではない。私はアメリカというシステムの犠牲者として語りかけている。私は犠牲者の目を通してアメリカを見ている。私には普通のアメリカン・ドリームを見ることができない。私に見えているのは、悪夢としてのアメリカン・ドリームだ。

 

2200万人の犠牲者たちが目を覚ます。その目を開いて、かつては視界にあっただけの物をじっくりと見るようになる。彼らの政治参加への機が熟し、西海岸から東海岸まで新たな政治の潮流が押し寄せていることを悟るのだ。その潮流が見えたなら、僅差での選挙争いがある度に(人種の差が埋まりつつある)、それは再集計されなければならないはずだということを理解できるだろう。僅差の争いだったマサチューセッツで再集計を行えば、誰が知事になるはずだったのか明らかになるはずだ。ロードアイランドミネソタ、そしてこの国の多くの場所で、全く同じようなことが起きている。ケネディニクソンの大統領選においてもまた同様だ。それは僅差で、始めから集計しなおすべきだった。これが何を意味しているかお分かりだろうか? つまり、白人たちが均一に分布する一方で、黒人たちは特定の選挙区に押し込まれているということだ。そうすることで、誰がホワイトハウスの椅子に座り、誰が犬小屋に詰め込まれるのかの決定権を白人たちの手に委ねることになるのだ。

 

現政権をワシントンDCに据えたのは黒人たちの票だ。そう、あなたの一票、あなたの間抜けな一票、あなたの無知による一票、あなたが無駄にした一票が、ワシントンDCに政権を据えてしまうのだ。その政権は思い描いていたような法案を通すことができるように見えたかもしれないが、あなたのことは一番後回しにしつつ、議事進行を妨げてやり過ごしてしまう。それなのにあなたや私が選んだリーダーたちは厚かましくも拍手をしながら走りまわり、我々の要求の実現について大きな前進を果たしたと吹聴する。何と素晴らしい大統領を我々は選んだのだろう。テキサスにおいて善政を敷かないのなら、ワシントンDCで善政を敷くことなどできるはずもない。テキサスとはリンチが起きてしまう州なのだ。それはミシシッピと全く変わらない状態だ。テキサスではテキサス訛りの人間があなたをリンチして、ミシシッピではミシシッピ訛りの人間があなたをリンチする、それだけの違いでしかない。こういった黒人のリーダーたちは厚かましくもホワイトハウスに出向いてテキサスの貧乏白人でしかない連中とコーヒーでも飲んでいる。そしてひょっこり出てきたかと思えば、あなたや私に対して、自分たちは南部出身であり南部の人間との交渉術を心得ているので、きっと良い結果をもたらしてあげられるなどと口走るのだ。いったいどんな理屈をこねているんだ? 同じ南部出身なのだからとイーストランド(ミシシッピ出身の反公民権運動政治家)に大統領をやらしてみれば、きっとジョンソンよりも上手く交渉をやってくれるというなんて話になってしまう。

 

下院においての議席配分は民主党が257議席、共和党が177議席であり、現政権はおよそ3分の2の議席を支配している。それなのに、いったいなぜあなたや私を救う何らかの法案を通過させることができないというのか? 上院においては民主党が67議席、共和党はたった33議席にすぎない。これはどうしたことだろう、民主党は政府を支配しており、あなたこそがそのお膳立てをしてやった人物だというのに。彼らがその見返りにいったい何をしてくれたというのか? 4年間を事務所で過ごし、そして今、公民権法への取り組みを上手くはぐらかしている。そして今、全てが終わってどこかへ行ってしまえば、椅子に腰を落ち着けて、ひと夏の間ずっと牛タン戦術を使った古典的一大ペテンを行いあなたを弄ぶ。全員がグルになっているのだ。皆さんは、公民権についての議事妨害を先導するジョージア出身のリチャード・ラッセルという男によって彼らがグルになっていると考えたことはないだろうか。ジョンソンが大統領になったとき、彼がワシントンDCに戻って最初に呼び寄せたのが「ディッキー」(リチャードの愛称)だった。彼らがどれほど密接な関係にあるかお分かりいただけるだろう。彼はジョンソンの仲間で友達で相棒なのだ。そうやって彼らはあなたを古典的ペテンにかける。一方がその気もないのにあなたの味方であるかのように振る舞い、一方が強硬にあなたの要求に対立することで、約束を守らずに済むように仕組むのだ。

 

1964年、今こそ目を覚ます時だ。連中がそんな悪企みをしていることが分かったら、あなたのその塞がっていた目が開かれたことを私に伝えて欲しい。そして連中にも、あなたがもう一つの可能性を大きく切り開いたことを知らしめるのだ。それはつまり、投票か闘争かという可能性である。投票か闘争か、こういった表現を使うことを恐れるのならば、あなたはこの国から出て行ったほうがいい。あるいは、綿花畑に帰りたまえ。あるいは、路地に帰りたまえ。連中は黒人全員の票を獲得し、そうなってしまえば後は黒人に何の見返りも与えなかった。ワシントンに行った連中がしたことといえば、ひと握りの有力な黒人に大きな仕事を与えたことくらいだ。有力な黒人は仕事に困っておらず、大きな仕事など必要ないはずなのに。隠蔽工作、ひっかけ、裏切り、まやかし、結局はそういうことだ。私は共和党のために民主党を打ち倒そうなどと考えているのではないが、しかしすぐにそうする形にはなるだろう。我々が民主党を最上位に据えても、民主党は我々を最下位に据えるのだから。

 

そのやり口を見てみるといい。アメリカ議会を支配するために連中はどんな手管を使っているだろうか。私が「さて、いつになったら約束は果たされるのかな?」と訊けば、どんなごまかしが返ってくるだろうか。連中はディキシークラットのせいにするだろう。ディキシークラットとは誰か? それは民主党議員のことだ。変装した民主党議員以外の何者でもない。民主党議員のトップならばディキシークラットのトップであるのと同じことであり、ディキシークラットは民主党の一部なのだ。民主党議員たちがディキシークラットを追いだそうとした試しはない。ディキシークラットが自ら離党したことはある、だが民主党議員たちの側から連中を追いだそうとすることはない。南部の分離主義者たちが北部の民主党議員たちをこき下ろしているのに、北部の民主党議員たちはディキシークラットをこき下ろさない、その背景に何があるのかを考えてみていただきたい。いや、そのやり口をひと目見てみるだけで結構だ。連中はペテン、それも政治的なペテンを続けているのであり、我々は騙されているその当人である。今こそ我々が目を覚まし、実際に起きていることを見つめ、理解しようと努め、そして真実を暴く時なのだ。

 

 

ワシントンDCのディキシークラットは政府を運営する鍵となっている委員会を支配している。ディキシークラットは年功序列で優位であるということだけで、その委員会を支配できているのだ。連中が長年議員でいられるのは、黒人が選挙から閉め出されている州から当選して来ているからだ。政府が民主主義を基盤としていないということがお分かりいただけるだろう。政府は人々の声を反映できていない。南部にいる黒人たちの半分は、投票することさえできないのだ。そのために、イーストランドのような奴がぬけぬけとワシントンに居座ってしまう。ワシントンにおいて重要なポストを占めている議員たちの半分は、違法であり違憲である選挙でそれを手にしている。

 

 

マルコムX 『投票か闘争か(The Ballot or The Bullet)』 その2へつづく――