松本人志の件に関する5つの神話
もう終わった話ではあるのだが、松本人志を擁護する側と批判する側の情報の掘り下げ具合に差があって、事の成り行きを静観してきたものの、このままなのもどうかと思ったのでここで吐き出して忘れたい。
1 記者会見をしなかったのは後ろめたいことがあるから
当初は裁判予定があり余計な事を言うリスクを避けるため、取り下げ後は文春との取り決めで制約があり満足な応答ができないため、会見をしなかった。一般大衆からすればスッキリしないものはあるが、松本側にとって会見にメリットはないというのも理解できる。
2 取り下げの際のコメントで、一方的に「物的証拠が無い」と発表した。
この手の「和解」で発表するコメントには、双方のチェックが入るのが通常ということを、元週刊朝日編集長の山口氏が証言している。
なお、この手の裁判の経験が豊富な嵩原弁護士などは、双方が自分が不利になる文言を避けたいはずのコメントに「物的証拠が無い」と書けるというのは、松本側が有利だったからなのではと見解を述べている。
3 物的証拠が無いというのは当たり前。文春には他の有力な証拠があった。
実際に裁判のために文春はいくつかの証拠を提出したが、その取材内容もLINEの記録も、性加害を明確に裏付けるほどのものは無かった。松本側が負けるとすれば、女性の証言が裁判官に与える心証にかかっていた。
4 松本側が、女性が証言できないよう妨害工作を行った。
この手の裁判で調査を行うのは普通のことだと探偵業者などが証言している。また、松本側の弁護士によると、女性の行動について匿名のタレコミがあり、念のため調査を行ったとコメントしている。
5 女性は刑事事件の時効後だったため文春にタレ込んだ。
女性が中村弁護士を介して文春にタレ込んだ時点では時効前だった。文春がそれを記事化したのはその3年後。
個人的には近年のテレビでの松本人志には往年の輝きはなかったと思うし、むしろネットで好きな事をやる方が面白いものができるだろうから、テレビに出て退屈な大御所になるよりは、別にこの形で良かったのでは。
本人は納得してないだろうが、塞翁が馬というか。
第一回「人類愛と反新自由主義のための全世界大陸会合」におけるEZLN総司令部開会所信表明

第一回「人類愛と反新自由主義のための全世界大陸会合」におけるEZLN総司令部開会所信表明
1996年7月27日
サン・アンドレアス・サカムチェン・デ・ロス・ポブレス
オヴェンティック アグアスカリエンテス第二区
アジア、アフリカ、オセアニア、ヨーロッパ、アメリカの兄弟姉妹の皆さん、
メキシコ南東の山深くまでようこそお越しくださいました。
まずは、私たち自身について紹介させて下さい。
私たちはサパティスタ民族解放軍です。
10年という時間をかけて、この山々の中で暮らし、戦いの準備をしてきました。
この山々の中で、私たちは軍隊を組織したのです。
ふもとには街が広がり、資本家の大農園が広がっていますが、そこに私たちの居場所はありません。
私たちの命というのは、そこにある機械や動物以下なのです。
まるで石ころのような、あるいは道端の雑草のようなものでしかないのです。
私たちは言葉を奪われ
私たちは顔を奪われ
私たちは名前を奪われ
私たちは未来を奪われ
私たちは存在を奪われ
「新自由主義」という言葉で国際的に知られる、その権力によって
私たちは一顧だにされず
私たちは無産者と見なされ
私たちは買うこともできず
私たちは売ることもできず
巨大資本の口座の上では、私たちはゼロでしかない。
そこで私たちは自分を取り戻そうと山々の中に移住し、石ころや雑草であるかのように見向きもされなかったということの痛みから立ち直ろうとしたのです。
このメキシコ南東の山々には、親愛なる死者たちが生き続けています。
この山々の中で生きているその死者たちは、多くのことを知っています。
死者たちは自分たちの死について私たちに語りかけ、私たちはそれに耳を傾けるのです。
棺が言葉を発し、新たな物語を語るのです。
それは通り過ぎた日々から伝えられた物語で、やがて来る日々のことを語っています。
山々は私たちのような下層に置かれている人間に言葉をかけてくれます。私たちは公衆であり、普通の人間なのだと。
権力者が言うように、私たちはごく単純な人間なのです。
毎日、昼も夜も、
権力者は私たちに昔のマヤ人のように振る舞ってもらいたがり、
そして残虐な侵略を繰り返そうとしています。
あの混血児たち、道を踏み外した人間、私たちの土地を我が物にし、巨大な兵器を抱えて、
森の悪魔のように、半身はピューマで半身は馬、
私たちを痛みと死で埋もれさせていく。
道化のような政府は私たちを惑わす悪霊を送り込み、
その悪霊は私たちを欺いて記憶をぼやけさせるような嘘を振りまくのです。
だから私たちは戦士になったのです。
だから私たちは戦士であることをやめないのです。
これ以上仲間たちが死んだり騙されたりすることを望まないし、
これ以上記憶を奪われるわけにはいかないのです。
この山々は、自分たちの声を上げることができるように、武器を取れと言いました。
この山々は、顔を手に入れることができるように、顔を隠せと言いました。
この山々は、名前を手に入れることができるように、名前を忘れろと言いました。
この山々は、未来を手に入れることができるように、自分たちの過去を守れと言いました。
この山々には、死者が生きています。私たちの親愛なる死者が。
私たちは生きています。
英雄ヴォタンと死神イカルと共に
光と闇と共に
雨季と乾季と共に
大地と風と共に
雨と炎と共に
この山々は神権王ハラチ・ウィニクの故郷です。彼は真の人間であり、偉大なる首長でした。
ここで私たちは学び、そして思い出したのです。私たちはあるがままに私たち自身であり、真の男であり真の女なのだと。
そして、バラム・ナのチャン・サンタ・クルスの四つの場所の中心で過ごした日々に
私たちの手に力を溢れさせる声と共に
生まれ変わる私たちの顔と共に
新しく名付けられる私たちの名前と共に
人間を創造する星が生まれました
そして私たちの体には世界を作り上げるべく五つの部位が備わっているのだということを思い出させてくれるのです
雨の神チャクたちが空に浮かび、あちらこちらに雨を降らせる季節に、
私たちは自分たちのチャクのところに行ってもうひと言話しかけ、
収穫の時期を告げる嵐を呼んでもらう約束をしておくのです。
私たちはその年を元年として戦闘を開始しました。
そしてこの道を歩み始めたのです。
そしてこの道は、あなたの心へと続いていました。
そしてこの道は今日、あなたを私たちの所へと連れて来てくれたのです。
これが私たちなのです。
耳を傾けさせようと武装した声
目を向けさせるために自らを隠した顔
名付けられるために自らを隠した名前
人類愛と世界へと声を届ける赤い一つ星
耳を傾けさせ、目を向けさせ、名付けられる
昔に、収穫される明日
私たちの黒いマスクの裏側
私たちの武装した声の裏側
私たちの名付けられぬ名前の裏側
私たちの裏側、あなたが見るものは
私たちの裏側、そこには私たちと同じ、あなたがいる
私たちとあなたたち、裏側ではみんな同じように純朴でありふれた男と女
どんな人種にもいるような
そんな色でも描かれるような
どんな言葉でも語られるような
どんな場所にも暮らしているような
同じように忘れ去られた男と女
同じように疎外され
同じように我慢の限界に達しており
同じように迫害され
私たちと同じ、あなた
私たちの裏側、あなたと同じ、私たち
私たちのマスクの裏側にはあるのは、全ての疎外された女性の顔
全ての忘れられた先住民の顔
全ての迫害を受けるホモセクシャルの顔
全ての軽蔑される若者の顔
全ての暴行を受ける出稼ぎ労働者の顔
全ての言論統制により投獄された人間の顔
全ての侮辱を受ける労働者の顔
全ての必要な庇護を受けられずに死んだ人間の顔
全ての純朴でありふれた男と女の顔
一顧だにされず
目を背けられ
名前もなく
未来もない
兄弟姉妹の皆さん
私たちがあなたをこの会合へ招待したのは、あなた自身と私たちがどんな姿をしているのか、探し求め、そして見つけてもらうためなのです。
あなたに会えた私たちの誰もが感激しています。そしてあなたには、私たちが特別な人間ではないことをお分かりいただけていることでしょう。
あなたが目にしているのは、純朴でありふれた男と女です。
あなたが目にしているのは、一枚のガラス板となって砕け散りたがっている反乱者の鏡です。
あなたが目にしているのは、私たちが思うがままの私たちであるということであり、それゆえに私たちが私たちであることから抜けだして、他でもないあなたになることもできるということなのです。他でもないあなた、それは私たちのことでもある。
私たちはサパティスタ
あなたがここへ来てくれたおかげで、私たちは自分自身の声を耳にし、自分自身に語りかけることができるのです。
私たちのありのまま全てを見つめるために。
兄弟姉妹の皆さん
この山々で、語り部の棺は遠い昔の物語を伝えてくれます。その物語のおかげで、私たちは痛みと反骨精神を忘れずにいられるのです。私たちは、生きている限り夢見ることを止めないでしょう。私たちは、掲げた旗を降ろすことはないでしょう。私たちの死者は、永遠に生き続けることでしょう。
私たちに語りかける山々はそう言っています。
チャン・サンタ・クルスで輝く星はそう言っています。
その星は語っています。反乱者クルゾブは、屈せず、集まってくる人々なら誰であれ肩を並べて道を行く。赤い肌の人々、異国の言葉を話すチャチャック・マックが絶えず訪ねて来てくれる。自由を求める世界に手を貸してくれるその赤い星はそう語っています。
山でもあるその星はそう言っています。
五つ全ての人種であるような人々。
全ての人々の星であるような人々。
人類愛を体現し、この世界の全ての人々そのものである、その人々。
その人々は、戦いの中で人間の尊厳を得た、自分たちとは違う世界で生きるどんな人にも、支援の手を差し伸べる。
だから真の男と真の女は痛みから解放され、石のようになった心を和らげて、生きているのです。
あなた方の誰もがチャチャック・マックであり、
世界中の全ての民族、全ての国民の中に広がり五つの人種に分かれた人類を救うために表れた人々なのです。
あなた方の誰もが、鏡に映った私たちである、赤い星。
私たちはまだこの道を歩き続けます、私たちそのものである他でもないあなた方が、私たちと共に歩いてくれるのなら。
兄弟姉妹の皆さん
私たちの民族の中で最長老である賢者が十字を切り、星を描きました。
そこは、水と、命をくれた神が、生まれた星なのです。
このように、星が示すのは山々で生まれた生命の始りなのです。
こんなふうに、山から続いてくるあの小さな峡谷は生まれたのです。
こんなふうに、言葉を語る星の発する声と、私たちのチャン・サンタ・クルスから発する声は生まれたのです。
山の声はすでに語るべきことを語りました。真の男と真の女は自由に生きることができるのだと。サパティスタの五つの光芒を放つ星に誓うとき。五つの人種がその星の下に一つになるとき。この世界を作っている五つの人種に分かれた人類が、己を見出し、お互いを見出すとき。その五つの人種が己の居場所を見出し、互いの居場所を見出すとき。
今日、五つの大陸から続く数えきれないくらいに多くの道が、このメキシコ南東の山奥で出会い、足並みをそろえたのです。
今日、五つの大陸から届いた数えきれないくらいに多くの言葉が、このメキシコ南東の山奥で静寂に身を沈め、互いの声に、自らの声に、耳を澄ましているのです。
今日、五つの大陸で行われていた数えきれないくらいに多くの闘いが、このメキシコ南東の山奥で、生きるために、死に抗うために、一堂に会して、共に蜂起したのです。
今日、五つの大陸に広がっていた数えきれないくらいに多くの色が、このメキシコ南東の山奥で、一体感と寛容さをこの世界に実現しようと宣言する未来図を描いたのです。
今日、五つの大陸からやって来た数えきれないくらいに多くの人々の心臓が、このメキシコ南東の山奥で、人類愛を求め新自由主義と闘うのだと意気込み、鼓動しているのです。
今日、五つの大陸から集まった数えきれないくらいに多くの人間が、ここメキシコ南東の山奥で、「もうたくさんだ!」と叫んでいます。服従と、無抵抗と、シニシズムと、エゴイズムと、そして現代の神に対して、「もうたくさんだ!」と叫んでいるのです。
今日、五つの大陸からやって来た数えきれないくらいに多くの小さな世界たちが、ここメキシコ南東の山奥で、最初の一歩を踏み出そうとしています。それは、新しく素晴らしい世界、全ての世界たちが居場所を見つけられる世界を、作り始めるための一歩です。
今日、五つの大陸に生きる数えきれないくらいに多くの男たちと女たちによって、ここメキシコ南東の山奥で、初めての「人類愛と反新自由主義のための全世界大陸会合」が開かれます。
全世界の兄弟姉妹の皆さん
メキシコ南東の山奥へようこそ
世界の片隅へようこそ。ここでは誰もが異なっているがゆえに、誰もが同じなのです
生を求める旅、死に抗う闘いへようこそ
第一回「人類愛と反新自由主義のための全世界大陸会合」へようこそ
民主主義を!
自由を!
正義を!
メキシコ南東の山奥より
機密革命先住民委員会
サパティスタ民族解放軍司令官一同
地球にて
セルバ・ラカンドナの第6宣言 その6
6 我々がそれを成すために
これはメキシコと世界の謙虚で純朴な人々に向けられた言葉で、今日の我々が呼びかけている言葉である。
つまり、これこそがセルバ・ラカンドナの第6宣言なのだ。
我々がここにいるのは、我々のシンプルな言葉で、それを語るためなのだ。
EZLNは依然として戦闘的休戦状態といえる取り組みを続けており、政府の軍隊に攻撃をしかけたり、攻撃的な軍事行動を起こすつもりはない。
EZLNは依然として我々が請け負っているこの平和的主導権による政治的闘争の道を進んでいくことを強く主張し続けている。それゆえEZLNは、国内外の政治的軍事的組織とはいかなる密約も結ばないという決意を貫いている。
EZLNはそれ自身が最高司令部であるような、築きあげられたサパティスタの先住民共同体に従い、それを守り支援していくということを改めて断言しておく。そして内部の民主主義的意思決定プロセスに干渉することなく、全力を賭けて、彼らの自律性と善良な政府を強化し生活状況を改善していくことに貢献していくつもりだ。つまり、我々がこのメキシコと世界においてやろうとしていることは、武器を使うことなく、市民的平和的運動によって、我々の共同体をないがしろにしたり、支援を途絶えさせたりすることのないように努めるとこだ。
それゆえに……
この世界において……
1.我々は新自由主義に抗し、人間性を守るために闘う個々人と組織との間に、相互の尊敬と支援に基づく新たな関係を築いていく。
2.我々は可能なかぎり、世界中で闘っている兄弟姉妹たちへ食料や工芸品などの支援物資を送っていくつもりだ。
まず手始めに、我々はラ・レアリダーの善良な政府評議会に頼んで、”チョンピラス”と呼ばれる8トン程は搭載できそうな彼らのトラックを借りる。我々はそのトラックをトウモロコシと、おそらく200リットル缶2つ分の石油かガソリンでいっぱいにし、メキシコのキューバ大使館へ運んでいこう。北米による経済封鎖に抵抗するあなた方を助けるための、サパティスタからの援助だと告げて、彼らの手でキューバの人々へ送り届けてもらうのだ。しかし、ここからもっと近い場所にそういう物資を届けるようにするべきかもしれない。いつものことながらメキシコシティへの道のりは遠く、もしかたら”チョンピラス”が故障してどうにもならなくなるかもしれないからだ。そして実行に移すとしたら、それは収穫期が来て畑のトウモロコシの葉がちょうど青くなるころまで待つことになる。卑劣な政府が我々を攻撃しなければの話だが。もしこれからの2,3ヶ月間にそうしてしまえば、それはほとんどトウモロコシの芯くらいのものでしかなく、タマーレにするのにすら充分ではないだろう。11月か、場合によっては12月になるまで待ったほうがいい。
手工芸女性組合とも話し合って、まだEUに加盟していない国々へ満足のいく数のボーダッド(刺繍を施した布)を贈ることにしよう。あるいは、サパティスタの組合から自然のままのコーヒー豆を贈ろうか。そうすれば、彼らがそれを売ってわずかな金を稼ぎ、それを軍資金に当てることができる。もし売り物にならなかったとしても、ちょっとコーヒーを飲みながら、反新自由主義闘争について語り合うことはできる。もし肌寒い気候であれば、サパティスタのボーダッドを見にまとえば良い。そうすれば、手を使おうが石を使おうが洗い流されないようにしっかりと抵抗することができるし、もみくちゃにされても自分たちの色が褪せることもないし他の色が滲むこともない。
ボリビアとエクアドルにいる先住民の兄弟姉妹たちには、遺伝子組み換えではないトウモロコシを贈ろう。いったいどこに送れば間違いなく彼らのとこに届くのかは分からないが、しかし我々がこのわずかばかりの支援物資を贈りたいと思っていることは確かだ。
3.そして全世界で抵抗運動を行う人々へ向けて、我々は国際的なエンクエントロスを開催しなければならないと訴える。たとえそれがたった一回しか開催できなかったとしても。今年の12月か来年の1月はどうだろうか、我々はそれについて検討しなければならない。我々がここで言っておきたいのはそれがいつかということだけではない。他にも、どこで、いつ、どうやって、だれが、ということの全てについても同じように検討しなければならないのだ。それは一つの舞台に上がった数人が喋るのを残りの人々が聞いているというようなものではなく、舞台など無くしてしまい、平等に皆が語らい、しかし好き勝手にということでもなく、互いに理解出来ない言葉でガヤガヤ騒ぐというのでもなく、良心ある組織に協力してもらい、皆が話す言葉を理解できるように、また互いの抵抗運動家たちの言葉をノートに手早くメモをするようにしよう。そうすることで皆が世界から集まった同志たちと行き交い語り合えるようになるだろう。開催場所は、大きな牢屋の中になるかもしれない。卑劣な政府は、我々が集まることができないように、我々の行動を押さえつけ、牢屋に放り込むかもしれない。だが囚人になったとしても、我々は立派に組織されており、牢屋の中でも人間性を守り新自由主義と闘うための国際的なエンクエントロスを続行することができるだろう。この後で、我々がどうやって合意に至っていくのかということに関して理解し合うために何をすべきかということについてお話ししよう。しかし今ここで話すのは、この世界で我々が思いのままに行動しているということについての我々の考えについてだ。それは以下のようなことなのだ……
メキシコにおいて……
1.我々はメキシコの先住民たちのために戦い続ける。しかし彼らだけのために、彼らだけと共にというだけではなく、メキシコで搾取と略奪を受ける全ての人々のために、この国の全土に渡るそのような人々と共に。メキシコで搾取を受ける全ての人々とは、生きるために仕事を求めてアメリカに行かなければならなかった兄弟姉妹たちのことでもある。
2.メキシコにいる純朴で謙虚な人々と、間に誰かを入れることなく直接に話しをしよう。そして彼らから聞き、学んだことを元にして、その我々と似て謙虚で純朴な人々と共に、国民闘争綱領を作り上げよう。その綱領が、左派、反資本主義、反新自由主義による、メキシコの人々の正義、民主主義、自由を求めるものになることは明らかだ。
3.新しく政治のやり方を建ち上げるか、もしくは再建しよう。他人のために何かをするという精神を持ち、物欲にとらわれず、その身を投じ、専心し、誠意を持ち、義務を果たす喜びだけに満たされ、攻撃や投獄や死によって阻まれる以前の左派の軍隊のような、ドル紙幣とは縁を持たない、そんなかつての姿を取り戻すのだ。
4.我々はメキシコ人たちの要求を考慮に入れた新しい憲法、新しい法律の制定を求める闘いを開始する。メキシコ人たちが求めているもの、それは住居、土地、仕事、食料、健康、教育、情報、文化、独立、民主主義、正義、自由、そして平和だ。新しい憲法は人々の権利と自由を認め、権力にさらされた弱者を守るものである。
そして最後に……
EZLNは指導部の代表団を派遣し、この仕事を国土の全域に渡り期間の定めなく遂行していく。セルバ・ラカンドナの第6宣言に同意する左派の組織と人間と共にあるこのサパティスタの代表団は、必要とされる場所へと赴くだろう。
我々はさらに、自らを被選挙目的であると規定する団体もしくは運動とEZLNが同盟方針を立てていくということもお知らせしたい。理論と実践において、左派としてのあり方そのままに、以下の条件について合意するものである。
上から下への押し付けによって同意させるのではなく、互いの怒りに耳を傾け組織することによって合意に至る。発起人たちが後になって裏で談合ことで運動を開始するのではなく、常に参加者の意見を取り入れるようにする。権力者もしくはそうなろうという野心のある者からの贈与品、地位、便宜、公職などを求めず、選挙の段階を踏んでいくようにする。国の問題を上位から解決しようとするのではなく、下位にいる人間から、下位にいる人間のために、新自由主義の破壊とは別の可能性を、メキシコのための左派による別の可能性を打ち建てる。
組織の自律と独立、闘争方法、組織形態、内部の意思決定プロセス、代表者の正統性について、互いに敬意を払う事を是とする。連関と協調による民族統治の防衛へのはっきりとした参与を是とし、電気、石油、水、自然資源供給の民営化には断固として反対するものである。
つまり、我々は認知されていない左派の政治的社会的組織と、左派であることを主張する個々人、認知された政党に属さない人々に対して、その時間、その場所、その都度に適するよう我々が提案するやり方で、我々に会いに来るよう招待しているのだ。そして国民的キャンペーンを組織し、我々の仲間たちの言葉を聞き、形にしていくために、我々の故郷の隅々を可能なだけ訪れよう。それは選挙キャンペーンのようだが、しかし選挙のものではないがゆえに、それとは全く違っている。
兄弟姉妹たちへ
これは我々の宣言として掲げる言葉だ
この世界の下に、我々は新自由主義に対抗し、人間性を守るための抵抗運動のためにもっと団結しよう。
どんなにそれが小さなものであっても、我々はそのような闘いを支援していく。
そして互いに尊敬と経験と歴史と思想と夢を交換し合おう。
我々はメキシコの至る所を旅し、新自由主義の戦争によって残された廃墟や、そういった廃墟で塹壕を築き、目覚しい活躍をみせる反乱軍を目にしてきた。
我々は我々とちょうど同じようにこの大地と空を愛する人々を捜し出すつもりだ。
我々はラ・レアリダーからティフアナまで、組織を立ち上げ、闘い、少なくとも鷹が蛇を捕食するためにノパルの上に舞い降りたときからずっとここにあったこの国が、死から逃れるために手にする最後の希望となるものを築きあげようと考えている人々を捜し求める。
民主主義、自由、正義を奪われた人々のために、我々はそれを求めて突き進む。
左派の綱領と新しい憲法を求め、我々は新たな政治と共に突き進む。
先住民、労働者、小作農民、教師、学生、主婦、隣人、小さな企業家や小さな店や零細企業の経営者、年金生活者、障害を抱える人、敬虔な宗教信者、科学者、芸術家、知識人、若者、老人、ホモセクシャルとレズビアン、少年少女。我々はこれら全ての人々について、個人的にであれ集団的にであれ、このサパティスタによる国民的キャンペーンに参加するよう招待する。このキャンペーンは新たな政治のあり方の構築、左派の国民闘争綱領、新しい憲法を求めて行うものである。
この言葉は、我々が目指すものについての言葉であり、どうやってそれを実現するかについての言葉である。この言葉を聞いた上で、あなたが参加するかどうかを決めて欲しい。
我々が語りかけるのは、善良なる心と意思を持つ男女、我々がここに示した言葉に賛同する人々、闘いを恐れない人々、恐れはあってもそれを克服している人々に対してである。それはこのような人々が我々の示したこの考えに賛同し得るものであるかどうかを公に標そうとするものであり、そうすることで我々は、誰が何時どこでどうやってこの闘争における新たな一歩を踏み出すのかをはっきりとさせることができるのだ。
あなたがこのことについて考えている2005年の六番目の月において、今日我々サパティスタ民族解放軍の老若男女が決意を表し、セルバ・ラカンドナの第6宣言としてここに署名するものである。それは署名の仕方を知っている者によってであり、署名の代わりになる印しか残せないものによってではない。ここには署名の仕方を知らない者はほとんどいない。人間性を守り新自由主義に抵抗する反乱軍の領域において、教育は進歩を遂げてきたのだ。そしてその領域とは、サパティスタの空と大地のことだ。
これは我々のシンプルな言葉で、世界中の不正に対して抵抗し反乱する純朴で謙虚な人々の気高い心へと贈られる言葉である。
民主主義を!
自由を!
正義を!
メキシコ南東の山々より。
機密革命先住民委員会――
サパティスタ民族解放軍司令官一同
於メキシコ、6番目の月、または6月、2005年
セルバ・ラカンドナの第6宣言 その5
5 我々がやろうとしていること
この世界とメキシコにおいて我々がやろうとしていることについて話しておきたい。この惑星で起きていることの全てを見過ごして黙っていることはできない。我々はただ単にそこにいるというだけではないのだ。
それぞれの仕方、それぞれの国々において抵抗と闘いを繰り広げているあなたのような人々に向けて我々がこの世界で伝えようとしていることは、あなたは孤独ではないということだ。我々サパティスタは非常に小規模かもしれないが、あなたを支援し、あなたの闘いをどうやって助けるのかを考え、あなたから学ぶために声をかけるだろう。我々は実際これまで学んできたことは、学ぶということそのものについてなのだ。
ラテンアメリカの人々へ。たとえほんの片隅の存在であれ、我々はあなた方の一部であるということを誇りに思っている。数十年前、この大陸を照らす明るい光が降り注いだということを皆が鮮明に憶えている。その光とはチェ・ゲバラその人であり、ボリビアと呼ばれる場所で輝いていた。ときに人々は旗揚げの意志を示すために、その名を謳い上げるのだ。
長年に渡る抵抗の道程の上にあるキューバの人々へ。あなた方は孤独ではない。あなた方が被っている経済封鎖が正当だとは思わない。だからトウモロコシのようなものしかなかったとしても我々は抵抗を続けるあなた方に物資を送り届けるつもりだ。我々も知るように、世界中に害を及ぼしている卑劣な政府を抱えた北米にいる人々へ。我々が伝えたい事は一つだ。国の内部で闘っている北米の人々と、他の国々での闘いと共鳴し合っている人々の間には大きな違いがある。チリにいるマプチェ族の兄弟姉妹たちへ。我々はあなた方の闘いを見守り、あなた方の闘いから教えを得ている。ベネズエラ人たちへ。あなた方が自分たちの独立と国の行く末についての自己決定権を守りぬいていることを、我々は理解している。エクアドルやボリビアにいる先住民の兄弟姉妹たちへ。あなた方はラテンアメリカ全土に歴史的教訓をもたらしてくれた。あなた方は確かに新自由主義を食い止めているのだ。アルゼンチンのピケテーロと若者へ。我々はあなた方をを愛している。ウルグアイにおいて国を良くしたいと考えている人々へ。我々はあなた方に敬服している。ブラジルにおいてシンティエラ運動を行っている人々へ。我々はあなた方を尊敬している。そしてラテンアメリカの全ての若者たちへ。あなた方のやっていることは良いことで、我々に大きな希望を与えてくれている。
ヨーロッパ社会の尊厳ある反逆者である兄弟姉妹たちへ。あなた方は孤独ではない。あなた方の新自由主義戦争に対する素晴らしい運動の数々は、我々を喜ばせてくれている。きっと何かを学ぶことができると思い、我々はあなた方の組織形態や闘争手法を注意深く観察している。我々はあなた方の闘いをどうすれば支援できるかを考えているが、あなた方にユーロを贈ったりするようなことはしない。EUはやがて混乱に陥り、ユーロの価値は下落するはずだからだ。代わりにといっては何だが、あなた方が互いに売り買いできたり、闘いの作業の助けになるような工芸品やコーヒーなどを、我々は贈るかもしれない。あるいは、ポゾルを贈ろうかとも考えている。ポゾルを飲めば抵抗運動をする力がどんどん湧いてくるだろう。だが実際にそうするかは分からない。ポゾルは我々の口にしか合わないかもしれず、あなた方がそれを飲めば腹を壊して力を失い、新自由主義者にやられてしまうかもしれないので。
アフリカ、アジア、オセアニアの兄弟姉妹たちへ。我々はあなた方もまた闘っていることを知っており、そこからもっと多くの考えや実践法を学びたいと思っている。
そして世界へ向けて。我々は全ての人々が居場所を持てるように、もっと世界を拡大したいと考えている。居場所を求める人々は新自由主義を破壊するために闘おうとしているし、単純に人間性を守る闘いをやめることはないだろう。
そして、我々がメキシコでやろうとしていこのは、まさに左派であるような人々や組織との合意を形成することだ。政治的左派こそが新自由主義に対抗し、国民全員に正義と民主主義と自由をもたらすことができる思想なのだ。金満家だけが正義の恩恵を受け、大実業家だけが自由を満喫し、選挙のプロパガンダのために壁を塗りたくることだけが民主主義であるような、今のような右派の有様とは違う。我々の故郷メキシコを死から救う、実現可能な闘いの構想は左派からしか出てこない。我々はそう考えている。
そういった左派の人々と組織と共に我々が計画しているのは、メキシコの至る所に出向いて、我々と似て謙虚で順奥な人々と出会うということだ。
別に我々は彼らに対してこうすべきだとか命令を下してやろうとか、そういうつもりではない。
あるいは、ある選挙の候補者に投票を求めるようなことをするつもりもない。政治家は皆新自由主義者だと我々は重々理解している。
我々のようになるべきだとか、武器を手に取って蜂起すべきだとか、そんなことを言うつもりもない。
我々がやろうとしているのは、彼らがどんな生活を送って、どう闘い、どんな考えを持っているのかを尋ね、そして我々が新自由主義者たちに打ち負かされないようにするには何をすべきかについて意見を求めるということだ。
我々がやろうとしているのは、純朴で謙虚な人々の考えを心に刻むということで、そしておそらくそこで、我々は我々が故郷について感じているのと同じ愛をそこに見出すことだろう。
そして我々は純朴で謙虚な"我々"の間に合意が形成されるのを見出すことになるだろう。メキシコ全土に渡る組織を築き上げ、今は互いに切り離されて我々だけが行っている闘いについて合流し、皆が求める綱領のようなものを掲げるようになり、その綱領を達成するための構想を練り上げるだろう。そしてその綱領は、"国民闘争綱領"と呼ばれることになるだろう。
我々が話を聞こうとしている人々の大部分と合意に至ることによって、我々はあらゆる人々と共に闘いを挑むことができるのだ。先住民たち、労働者たち、小作農民たち、学生たち、教師たち、会社員たち、女性たち、子供たち、老人たち、男たち。あるいは善良な心を持ち、我々の故郷メキシコが破壊され売られてしまうのを阻止し、これからもこの国がリオグランデ川とスチアテ川の間、太平洋と大西洋の間に存在することを望み、そのために闘おうとする全ての人々と共に。
セルバ・ラカンドナの第6宣言 その4
4 我々の見る祖国メキシコ
次は祖国メキシコについての見解をお話しする。思うに、我が国は新自由主義に支配されている。すでに説明したように、指導者たちが国を、祖国メキシコを破壊しているのだ。低劣な指導者たちの仕事とは、人々の幸福に心を尽くすのではなく、代わりに資本家たちの幸福を気にかけることになっている。FTAのようなルールづくりがいい例で、多くのメキシコ人小作農民、零細生産者は農工業を手がける巨大企業に食い物にされ、終いには貧しいまま抜け出せなくなるだろう。巨大多国籍企業と競争する力のない労働者と零細企業者も同様だ。しかし巨大多国籍企業がやって来ることに口をはさむ者などいないし、逆に感謝する者さえいるだろう。そして賃金は低下し、物価は上昇する。地方、産業、国内商業などメキシコの経済基盤のいくつかは手ひどく壊されてしまい、買い叩かれることが確実なガラクタしか残らないのだ。
それらは我々の故郷にとって酷い侮辱となる。食料を地域で生産できなくなり、大資本家が売るものだけになる。良質な土地は政治家たちの手助けする詐欺行為によって略奪されている。それら地域で起こっていることはポルフィリオの時代と同じだが、今ではアセンダード(大農場主)の代わりにわずかな外国のビジネスマンがいて、小作農民たちから紛れもなく詐取を行っている。以前は信用と価格を保護していたのに、今は単なる施しがあるだけで、時にはそれすらないこともあるのだ。
工場閉鎖にみまわれた都市の労働者たちはといえば、雇用がない状態で放置されるか、さもなければ資本家たちがいわゆるマキラドーラを始める。外国からやって来た連中は、長時間の労働に対してスズメの涙くらいの金しか払わないだろう。もはや金などないので、人々が必要とする商品の価格は高いとか安いとかそういう事とは無関係になる。かつて中小企業を営んでいた者は巨大多国籍企業に買収されてしまい、もはや廃業状態だ。零細企業を営んでいた者については同様に消えてしまったか、ひっそりと巨大企業のために働いている。巨大企業はひどい搾取を行い、小さな子供たちですら働かせる。合法的に権利を要求しようと労働組合に参加してみれば、賃金の低下や自分の時間や利益を奪われることに耐えろと言われてしまう。もしそうしなければ、企業は閉鎖を決定し、どこか別の国へと移転してしまうからと。後に残るのは"ミクロチャンガロ(個人商店)"と呼ばれる政府の経済施策で、都市労働者たちは路地の隅っこへ追いられガムやテレホンカードを売らされる。つまり、都市においても同様に経済の絶対的な崩壊が起きているのだ。
そこで起こっていることは都市も地方も同様で、人々の経済活動がとことんめちゃくちゃにされているということだ。多くのメキシコ人たちは故郷の土地を離れなければならなくなり、もう一つの国アメリカで仕事を探すことになる。アメリカではあまり良い扱いなど受けられず、搾取され、迫害され、軽くあしらわれ、殺されることすらある。卑劣な政府が課した新自由主義の下では経済は発展しなかった。実際は正反対と言えるほどに、地方では物資が不足し、都市では仕事が無くなっている。そこで起こっていることは、メキシコという所が、金満家の白人たちに代表されるような外国人たちの富のために人々が働く場所になったということだ。ここにあなたが生まれてくれば、泡沫のような生と死があるだけだろう。だから我々が言うように、メキシコはアメリカに支配されているのだ。
それだけではない、新自由主義はメキシコの政治家階層及びそこに属する政治家たちもまた変化させた。彼らは店舗の雇われ従業員のようになり、手当たり次第の物を相当な安値で売りさばくために何でもするようになったのだ。すでにご存知のように連中はエヒード(農業用共有地)や地域共有地を売ってしまおうと、憲法27条を無効にする法律改正を行った。サリナスとその取り巻き連中は、それが地方とその小作農民にとって良いことなのだと吹聴し、そんなふうにして優雅な暮らしを手に入れたのだ。果たしてその結果はどうだろう? メキシコにおいて地方はこれまで以上に悪い状態になり、小作農民はポルフィリオ・ディアスのころよりもっとひどい詐取を受けている。しかも連中は外国人への売り物を求め、この期に及んでさらなる民営化を進めようと言うのだ。国の保護によってこそ企業は民族の幸福を守ることができるようになるというのに。連中が言うには、企業は充分に機能しておらず、近代化される必要がある、そうすればもっと良い売り物になるはずだということらしい。しかし発展と引き換えに、1910年の革命で勝ち得た社会権が今人々に与えるようになったものは悲しみ……そして忍耐だ。連中はさらに、国境は開かれるべきで、そうすれば全ての外国資本が入ってきて、メキシコの産業は立ち直り、物事は良い方向へ進むだろうと言う。しかし我々の目に明らかなのは、国内に産業は無く、そんなものは外国人たちが食い散らかした後で、そこで流通している物はかつてメキシコ国内で作られていたものに比べて粗悪だということだ。
メキシコの政治家たちはペメックス(メキシコ国営石油会社)を売り込みたがっている。石油は全てメキシコ人の共有財産だが、ただ一点において人々は相剋しており、一方は全てを売り物だと考えるが、一方はほんの一部だけを売り物にすべきだと考えている。政治家たちは社会保障、電気、水、森林、その他全てというように、メキシコに何も残らなくなるまでとことん民営化を遂行しようとしており、このままでは祖国が荒野または世界中から寄って来た金満家たちの娯楽の場となってしまうだろう。我々メキシコ人は彼らの召使いとなり、彼らのお恵みに頼るようになり、粗末な家に住み、ルーツを失い、文化も失い、終いには故郷も失うだろう。
結局、新自由主義はメキシコを、メキシコ人の故郷を抹消してしまいたがっているのだ。政党はそれを守ろうとしないばかりか、彼らは率先して外国人、特にアメリカ人の世話になろうとする。彼らこそが、我々を欺き、全てが売り物にされている中で我々の目を逸らさせている張本人であり、後は金を持ってどこかへ消えてしまうだけの連中だ。いま存在している政党の全てがそうだ。いくつかの政党だけがそうだということではない。これまでに満足のいくように政治が行われてきたかどうかを考えてみればいい、そこにあるのは盗みと騙しがあっただけではないか。政治家たちがいつでも良い家に住み、良い車に乗り、贅沢をしている様を考えてみればいい。それでいて、なおも政治家たちは我々に感謝を求め、再び票を入れさせようとする。連中の言葉に表れているように、政治家とは明らかに恥知らずなのだ。なぜなら実際のところ連中が抱えているのは愛郷心などでなく、銀行口座だけなのだから。
麻薬密売と犯罪の数も非常に増えてきている。ときに我々は犯罪者というものを歌や映画に出てくる姿そのままに考えてしまう。犯罪者の中のいくらかはそういう感じなのかもしれないが、実際の犯罪者というのは別物だ。実際の犯罪者は良い身なりをして往来を闊歩し、留学の経験があったり、優雅なふるまいをしたり、こそこそ隠れたりはせず、高級レストランで食事をしたり、新聞の紙面を飾ったり、パーティを開けばとても素晴らしい着こなしを見せたりする。彼らの言うとおり、彼らは”名士”であり、役人、上院下院の議員、省庁の大臣、大実業家、警察署長、将軍だったりすることさえある。
我々が言いたいのは、政治が何の役目も果たしていないということだろうか? いや、そうではない。我々が言いたいのは、前述したような政治が、何の役目も果たしていないということなのだ。先住民のことなど顧みない政治は、無用の長物でしかない。先住民たちの声に耳を塞ぎ、注意などいっさい払わず、選挙のときにだけすり寄ってくる。連中は世論調査で誰が勝つのか分かりきっているので、もう実際の投票などして欲しくないとさえ考えたりする。あれもやる、これもやると約束だけして別れを告げ、また会おうと口にはするが二度と会えた試しはない。会えるとすれば既に大金をせしめた後にニュース登場するときくらいで、しかも連中は法に守られ裁きを受けることはない。そして同じ政治家たち自身が、法を作っているのだ。
そこには別の問題があるのだ。メキシコ憲法は隅々に渡って歪められ変えられてしまった。もはや、かつて労働者たちの権利と自由を内包していたころの面影はなく、今では新自由主義者たちが莫大な利益を稼ぐための権利と自由を内包している。司法は新自由主義に仕えるために存在し、彼らの裁量は新自由主義者を後ろ盾するためのものばかりで、金のない物は不公平な扱いを受け、投獄され墓場に送られる。
こういった新自由主義者たちの狼藉の数々について、メキシコ人の中には自らを組織して抵抗運動を開始した者がいる。
我々のいるここチアパスから遠い土地でも、我々は先住民たちの姿を見る。彼らは自律性を築いており、自らの文化を守り、自らの土地、森林、水を大切にしている。
地方で働く人々、小作農民たちが組織を作り、地方への信用と支援を求めて行軍を行い、数を増やしていく。
都市の労働者たちは権利を奪われ仕事が民営化されていくのを容認せず、ほんのわずかな財産が奪われないように、祖国のあるべき姿が奪われないように、抗議とデモを行う。実際に電気、原油、社会保障、教育などのようなものは、すでに奪われてしまっているのだ。
学生たちは教育が民営化されていくのを容認せず、自由で人々の求めに応じた科学的な教育のために闘う。高い学費を要求されたり、馬鹿げたことを学校で教えられることなどごめんだと思い、分け隔てない教育が受けられることを求めているのだ。
女性たちは自分たちが女性であるという理由で装飾品のように扱われたり辱めや軽蔑を受けたりするのを容認せず、女性であるということに対する尊敬を求めて組織を作って闘う。
若者たちはドラッグや自分たちのあり方への迫害によって無価値であるかのように扱われるのを容認せず、自らの音楽、文化、反逆をもってその存在を示威していく。
ホモセクシャル、レズビアン、トランスセクシャル、その他様々な生き方をする人々は、他人と違った趣向を持っていることで異常者や犯罪者のように扱われ、侮辱、軽蔑、虐待、さらには殺人といったような行為の被害者になることを容認せず、自分たちの組織を作り、多様性への権利を守ろうとする。
司祭と修道女あるいは部外者と呼ばれる金持ちでもなく隠居でもない人間たちは、組織を作り先住民たちの闘争に協力してくれる。
社会活動家たちは、搾取を受ける人々、大規模なストライキや労働運動、市民集会、小作農民による運動に参加する人々、ひどい抑圧に苦しむ人々、年老いてなお屈しない人々、そういう人々のために全身全霊をかけて闘う。そして彼らは闘争を探し出し、正義を求めて様々な組織を立ち上げる。左派支援組織、NGO、人権団体、政治犯や政治的暗殺の標的、あるいは左派思想についての出版活動を保護する組織、教師と学生たちの組織、社会闘争、あるいは政治的軍隊組織でさえも。彼らは沈黙を拒むだけの存在ではなく、多くを見て、その中で生き、闘ってきたために、知識も豊富なのだ。
我々の祖国メキシコを見渡してみれば、我慢の限界に達し、屈服せず、自らを身売りすることを拒む人々がたくさんいる。尊厳を持った人々のことだ。こういう人々を見るのはとても嬉しく、幸せなことだ。これら全ての人々にとって新自由主義に勝つことは決して容易ではないが、しかしおそらく我々の故郷を政治家や資本家たちの行うひどい盗みと破壊から救い出すことは可能だろう。我々がずっと語ってきたこの”我々”という言葉の中に、きっとこういった反乱を起こす人々が含まれるようになっていくはずだ……
セルバ・ラカンドナの第6宣言 その3
3 我々は世界をどう見ているか
ここからは、世界で何が起こっているのかということについて、我々サパティスタの見解を説明したい。今この瞬間、資本主義がかつてない力を誇っているのを我々はまのあたりにしている。資本主義は一つの社会システムであり、それは社会がモノとヒトを組織化して、誰が持つ者で誰が持たざる者か、誰が命令を下し誰が従うのかを決めるようなシステムのことだ。資本主義においては、ある者は金、資本、工場、店舗、農場など多くを手にして、その他の者は働くための体と頭しか持たない。資本主義においては、カネとモノを持つ者が命令を下し、労働力しか持たない者はそれに従うことになる。
資本主義が意味するのは、わずかな者が大きな富を手にするが、しかし彼らは栄誉ある賞を得たわけでもなく、財宝を発見したわけでもなく、親から財産を受け継いだわけでもない。大部分については、多くの労働者から搾取することによってその富を得ている。資本主義は労働者からの搾取を基本とし、それはつまり彼らが可能な限りの利益を搾り取ってしまうということを意味する。この行いは不正そのものである。彼らは労働に見合った対価を払ってはいない。正当な金を払うのではなくわずかな食事と休養のみを与え、労働者はまた仕事場に戻って搾取を受けながら働くことになる。それは労働者が都市に住んでいようと地方に住んでいようと同じことだ。
資本主義はその富をこっそり、あるいはむりやり盗み取る。欲しい物は他人、または自然資源などを土地から奪うのだ。資本主義においてその盗賊どもは自由であり、崇拝され、模範として扱われてしまう。
搾取と略奪に加え、資本主義は不正に反抗する者を投獄と殺戮によって抑圧する。
資本主義は売買取引ということに最も関心を置く。なぜなら、売ること、買うこと、その双方によって利益が生み出されるからだ。だから資本主義は全てを売買取引に変える。人間、自然、文化、歴史、意識、そういったものですら売買取引するようになるのだ。資本主義である以上、全てが売買可能でなければならない。全ては売買取引の後ろへ隠れてしまい、そこに存在する搾取は見えなくなっている。商品は市場で売買されるだけではなく、労働者からの搾取を隠蔽することにも役立ってしまう。例えば市場において、小さな袋か瓶に入ったコーヒー豆を見ているとき、その向こうにいるはずの、コーヒー豆の収穫に苦しむ小作農民、その苦役に見合った対価を払わない狡猾なコヨーテども、大企業で神経をすり減らしてコーヒー豆の袋詰め作業をする労働者、そういう人々の姿は目に映らない。あるいはクンビアやランチェラ、コリドのようなものや、あるいはその他の何であれ、そういう音楽を聴くための電化製品について、音質が良くて素晴らしいと我々が感じているとき、その向こうにいるはずの、マキラドーラで長時間にわたりケーブルの配線や部品の組み立てに悪戦苦闘する労働者の気持ちを感じてはいない。コヨーテどもはスズメの涙程度の金をかろうじて払うだけだ。労働者は仕事場から遠い所に住まわされて通勤にたくさんの時間を割かねばならず、そのことで女性労働者たちはメキシコのシウダー・フアレスで起こる誘拐、強姦、殺人などの危険に身をさらすことになる。
市場での売買取引の裏にある搾取は我々から見えないようになっている。そして、資本主義は多数の、巨大な、世界にまたがる、そういう市場を求めている。
今日の資本主義は以前のように金満家が国内の労働者からの搾取によって潤っていたころとは違い、新自由主義グローバリゼーションと呼ばれる移行過程の中にある。このグローバリゼーションが意味しているのは、もはや金満家たちがいくつかの国において労働者を支配するのではなく、資本家が世界中の全てを支配しようとするということだ。この世界、あるいは地球という惑星が"グローブ"と呼ばれるがゆえに、人々は"グローバリゼーション"とか世界全体という言い方をしている。
新自由主義とは資本主義が自由に世界を支配するという考え方のことで、厄介なことに、我々は観念して騒ぎ立てることなどしてはならない、つまり反乱を起こしてはならないということなのだ。新自由主義は資本主義によるグローバリゼーションの理論や方針のようで、実際に経済、政治、軍事、文化についての方針を持っている。その方針の全てが皆を支配するためのものであり、資本家たちは従わない者たちの反抗的思想が他の人間に伝わることなどないように、抑圧と分断をもって対処するのだ。
新自由主義グローバリゼーションにおいて、アメリカのように力のある国家に巣食う強大な資本主義は、世界全体を強大な市場のように売買取引が生み出される巨大ビジネスの場にしてしまおうとしている。世界全体を売買し、世界中からの搾取を覆い隠すための世界市場だ。グローバル資本は巨大ビジネスと大規模な搾取を求めて、自身を世界中の国々の至る所に侵入させ、いっさいの敬意を払うことなく、そうしたいと思うならどこであってもちょっかいを出す。まるで他の国々を征服しているかのように。だからサパティスタはこんなふうに言う。新自由主義グローバリゼーションとは世界全体に対する征服戦争、世界大戦、グローバル支配を求める資本主義によって行われる戦争なのだと。ときにその征服は国を侵略する軍隊による、力ずくの行為になる。だがときにそれは経済とともにあり、言い換えるなら、巨大資本が服従を条件に他国に金を入れたり貸したりすることによって行われる。そして売買取引、市場の利益の文化である資本主義文化とともに思想を注入していくのだ。
征服を遂行する資本主義は、傍若無人にふるまい、思うがままに破壊し、好みに合わぬものをねじ曲げ、邪魔するものを抹殺する。例えば生産も売買もせず現代売買取引の邪魔になるような人々や、秩序に刃向かうような人々のことだ。役に立たないものは軽蔑の対象なので、新自由主義資本主義は先住民を邪魔者扱いし、軽蔑し、抹殺してしまいたいと考える。そして搾取と利益拡大の妨げになるような法律などがあれば、それを取り除いてしまう。資本主義は売買できるならどんなものでも求め、世界中の貨幣の集合体であるがゆえに、全てを買い入れていく。国々を破壊し、新自由主義グローバリゼーションとともに征服したかと思えば、全てを同化させ、作り変えようとしたがる。独りよがりで、自らの利益になるような、いっさいの邪魔を排除するような、そういうやり方によってだ。新自由主義によるグローバリゼーションと資本主義は、国内に存在するものを破壊する。文化、言語、経済システム、政治システム、そしてまたそこに住む人々の人間関係ですら。つまり国を作り上げている全てのものを破壊するので、そこには国の残骸が残るのみなのだ。
新自由主義グローバリゼーションが求めるのは、世界中の民族または国家を破壊し、そこにたった一つだけの民族と国が残るようにすることだ。貨幣の国、資本の国。資本主義は全てが自分の望むままの形になって欲しいと思い、差異があればそれを嫌い、迫害し、攻撃するかもしくは、隅に追いやり、それが存在していないかのように扱う。
つまり、グローバル新自由主義による資本主義はそれを拒む者への搾取と略奪と軽蔑と抑圧に基づいている。その本性は変わらないが、いまはそれがグローバル化し、世界全域に広がっているのだ。
しかし、このことは新自由主義グローバリゼーションにとって容易かといえばそうではない。それぞれの国において搾取された人々は不満を蓄積させ、それを口にしようとはせずに、資本主義にはまことに不幸なことだが、その代わり人々は反乱を起こすのだ。放置された人々、反抗する人々、なすがままに抹殺されるのを拒む人々。世界の至る所で、辛酸を舐めさせられている人々が抵抗運動を始め、もはや我慢することを止めるだろう。つまり、一つの国だけにはとどまらず、そのような人々がいるならばどこであれ反乱が起こるようになる。新自由主義グローバリゼーションの存在するところならば、そこには反乱軍のグローバリゼーションが存在するのだ。
この反乱軍のグローバリゼーションの登場人物は地方と都市の労働者だけではなく、服従を拒む者、女性、若者、先住民、ホモセクシャル、レズビアン、トランスセクシャル、移民など、同様の理由でひどい迫害と侮辱を受けている人々もまたそうなのだ。その他にも世界中にも我々がまだ知らない集団が数多く存在するはずで、彼らが侮辱に対して「もうたくさんだ」と叫び声を上げて蜂起したとき、我々は彼らの姿を目にし、その声に耳を傾け、彼らから何かを学ぶことだろう。
そのとき我々がまのあたりにするのは、それら全ての集団に属する人々が新自由主義と資本主義によるグローバリゼーション計画に対して、人間性というものを守るために闘いを挑む姿である。
自ら仕掛ける戦争と搾取によって全ての人間性を破壊しようとする新自由主義の愚かさに我々は驚きを隠せない。しかし我々の行っているような抵抗と反乱が至る所に出現し、我々はそれに歓喜するのだ。我々の規模など知れているかもしれないが、しかし我々はこの場所で闘っている。世界中に仲間がいて、だから我々の心は今、決して孤独ではないと感じることができる。