Re: Writing Machine

Teoreamachineの小説ブログ

『君を想う、死神降る荒野で』 その29

 

 ――ずっとそばにいてね、お兄ちゃん……。

 もう死んでしまったユキの夢を見てしまい、クロガネは首を絞めてられているかのようにあえぎ、目を覚ます。何度も同じ夢を見ている、決して、忘れることはできなかった。明かりを点けると、枕元に置かれた、半分まで水の入ったコップと、睡眠薬と、キドからこっそり処方してもらった精神安定剤が、ぼうっと闇の中に浮かび上がった。ひどい汗をかいて、背中がべったりしていた、呼吸は荒いままで、どうしても気分が落ち着かない。もう何年もたつのに、鮮明に蘇ってくる、妹のユキ、ハルミの母親、その記憶。自分と妹が何をしたというのだろう、ただ、たまたま兄妹で愛し合い、子どもが生まれた、それだけのことなのに、誰も彼もが、妹を辱め、死に追いやってしまった。自分も、妹をそこから救うことができなかったことには変りない。外国にいて、知らなかったのは確かだ、とはいえ、妹を、日本に置き去りにしてしまったことは事実なのだ。長い間、クロガネは妹のそばにいてやれなかった自分を、密かに責め続けていた。

 ――ずっとそばにいてね、お兄ちゃん……。

 戯れのようだった、妹の言葉、でも、それは大切な約束だったはずなのだ。その約束を、少しの間だけ破ることを、妹は許してくれた。だが、その間に、全ての不幸は起こってしまったのだった。だから、クロガネは絶対に自分を許すことができなかった。結局、外国に行くことを決めたとき、自分は自分のことしか考えていなかったのだ。後に残される妹のことを、自分は真剣に考えてはいなかったのだ。その思いが、何度も何度も戻ってきては体を突き刺す蜂のように、クロガネをさいなんでいた。普通の生活を送っていこう、数年前、妹の死から徐々に回復し、残された幼いハルミの手を握りながら、クロガネはそう決心したのだった。しかし、その普通の生活は、しょせん表面的なものにしかならなかった。愛する妹を失った悲しみと、くすぶったように見えては繰り返し繰り返し燃え上がる復讐心を、決して乗り越えることはできなかった。

 ――やはり、やるしかないのか……。

 ベッドに横たわり、精神安定剤を握りしめたまま、クロガネは覚悟を決めはじめていた。妹は復讐など望んでいないだろう、ずっとそう思い、必死で怒りを押し込め続けてきた、しかし、いったいどうやって、妹を死に追いやった人間たちを許せばいいのか分からなかった。その人間たちは、今もヘラヘラ笑いながら、自分たちが妹を追い詰めたという自覚すらなく、のうのうと生きているのだ。

 ――いったい、どうやってあいつらを許せばいいというのだ?

 クロガネはベッドから起き上がり、窓際まで来ると、ゆっくりとカーテンを開ける。深夜でも、月が煌々と照っているおかげで明るかった。その月の真下で、東京ヘブンズゲイトが、侮蔑するようにクロガネを見下ろしていた。クロガネはにらみ返すようにして、東京ヘブンズゲイトを見上げる。

 ――いや、違う。許すことなど、不可能なのだ。己の罪を知らない人間は、罰を受けることなしに、それを理解することはできないのだ。

 とうとう、クロガネが決意した瞬間だった。もはや、手段など選ばない、魂を売り渡し、徹底的に、完璧なまでの、復讐を遂げよう。クロガネにとって、自らを救う手段はそれしかなかった。罪悪感を、復讐心が焼き尽くして灰に変えていく。ユキは、この世で最も美しい人間だった、しかし、自分は、これからこの世で最も醜い人間になるのだ。

 

 もはや躊躇はなかった、上着を羽織り、静まり返った研究所を進む。そして、ナルセの研究資料が保管してある場所へと忍び込んだ。ナルセは、結局お人好しだった。自分の研究が盗まれないように、それを大事に隠して置くということを、まるで考えない人間だったのだ。だから、クロガネはそれにつけ込んだ。普段の何気ない会話の中で、その保管場所を聞き出し、そしてとうとう、それを盗み出すことにしたのだ。ナルセの研究を、自分の復讐のために利用してしまうのだ。自分の研究が兵器の開発に生かされること、それを、ナルセは最も嫌悪していた。だが、それこそが、クロガネの復讐を、最も完璧な形で実現してくれるものだった。クロガネは、何の迷いもなく、その資料からデータを読み込み、自分の端末へとコピーしてしまう。背後で、誰かの笑い声が聞こえた。でも、クロガネは慌てることなく、いっさい振り返らない。その笑い声を恐れる必要はなかった。なぜなら、それが、自分の魂をむさぼる悪魔の笑い声だと、クロガネは知っていたからだった。

 

『君を想う、死神降る荒野で』 その30へつづく――