2015-01-01から1年間の記事一覧
ひとり、炫士は家の中に立っていた、どこを見回しても、子供の頃からの記憶がそこに染み付いている、懐かしむとかそういうことに関係なく、炫士がそれを受け入れようと拒否しようと関係なく、ただただ、その記憶は頭の中に絶えず浮かび上がって来る。におい…
炫士は孤児のように、夜を歩いた、孤独で、寄る辺なく、何者でもない。あるいは孤児になるために、炫士は夜を歩いた。夜は気配で満たされている、その闇の向こうには、人々の息づかいが、物の怪のような気配として、密やかさに包まれささめいている。その気…
炫士は、またしばらく元の生活に戻っていた、夜の街をうろついて、女たちに声をかけ、上手くいったり上手くいかなかったり、面白かったり退屈だったり、そういう生活を再開する。家族とはもちろん、秋姫にも会わなかった、これだけ三人を貶めるようなことを…
情欲は、いつまでも湿り気を帯びたままだった、行為が終わって、うつぶせになって休んでいる秋姫の裸の尻をつかんで引き寄せ、炫士は何度でも勃起する性器をもう一度挿入する。秋姫もまた、何度でもそれに応じて、快感とも苦痛ともつかない声を漏らして、炫…
火葬場からの帰り道、炫士は無言のままハンドルを握った、助手席には那美が座っている。那美と二人になるということは、できるだけ避けたいことだったが、速彦たちは帰る方向が違うため、結局そうならざるを得なかった。那美がハンドルを取るのは主導権を握…
岐史が死んだ。その死のあっけなさは、それについて充分に考えたり解釈したりする時間を与えてはくれず、ただ単に起こったことを受け入れるしかないというようなものだった。深刻な病を患っていたとはいえ、それは死の近さを連想させるような雰囲気を備えて…
それからほとんど毎日、炫士はクラブへ通った。安っぽい音が不快で、ウォッカベースの水っぽいカクテルをあおりながら、酔いでその輪郭がぼやけていくのを待って、ふらふらとフロアを歩きまわり、秋姫の姿を探した。たぶん来ないだろうと思いながらも、炫士…
炫士は病室を出て、談話室のソファに腰かける。岐史の命に別状はなかった、だが、結局そのまま入院ということになり、家族で岐史の病室に集まりこれからのことなどを話していたのだった。炫士にも死にゆく人間に対するいくらかの同情心はあって、だから速彦…
覚めた夢に追われているような気分で炫士は帰り道を歩いた、夜は明け、朝はすでに過ぎて、日は一日の高みへ昇ろうとしていた。住んでいるマンションの入り口まで来たとき、壁に寄りかかっていた人影がこちらを目に止めるなり、すっと体を立てて、炫士の方へ…
数日の間、炫士は街に立った、だが、道行く女たちを見ながら、誰一人に対しても声をかけられず、更けていく夜を見送るばかりになってしまっている。怖気付いたのではない、母と兄ともめたことで内省的になりすぎていた、意識が自分に向きすぎて、他人との間…
炫士は茶碗の中の白米の柔らかい粒を黒塗りの箸の先でつつきながら、正面に座った父親を見ていた。病のせいでやつれ、小さくなったように見える。白髪の、特筆すべきことは何もない、どこにでもいる中年の男、それが炫士の父親、岐史だった。本当に幼い頃に…
炫士は孤児のように、夜の街を歩いた。孤独で、寄る辺なく、何者でもない。あるいは孤児になるために、炫士は夜の街を歩いた。街の中を歩いているのに、突き放されて、その視線はまるで外からもたらされたのように、人々を観察している。十一月の終わり、肌…
――また、この手紙だ。 タカヒロは呟いて、白い封筒を裏と表にくるくる回す。同じ宛先、同じ署名。差出人の住所はない、ただ、封筒の裏面に、Keikoとだけ名前が書いてある。配達のために宛先の住所まで行くと、確かに古い単身者用アパートの一室にたどり着く…
万葉集を読んでいて気づいたのだが、万葉集には「あなた」を指す「汝」という言葉が、「わたし」を指す「吾」と「我」に比べて異様に少ない。第1巻〜3巻で見ると、「我」が104、「吾」が92なのに対して、「汝」はたった5つしか登場しない。 日本には「自己…
権力に抵抗するときに、真正面からそれをやってしまうのは失敗になる。分かりやすい抵抗は把握しやすいため、攻撃も批判も容易になる。また、その抵抗自体が権力の対概念を成してしまうため、むしろその権力構造の一部としてしか存在し得ないという最大の欠…
文学ー小説は言語の問題に集中すべきだと人は言う。ストーリーやキャラクターを表現するには、映画やアニメや漫画のほうが分かりやすいし、それで十分だと。だが、小説がストーリーやキャラクターを表現することが、単に不便で劣った物にしかならないという…
いろんな国の女の子とつきあったり友達になったりして思うのだけれど、日本を含むアジア人の女性の中には、何らかの形で男性に対する軽蔑が潜んでいる。 もちろん、軽蔑という感情は、女性自身の自己肯定感の低さと、男性に対するむやみな期待値の高さから生…
僕が父親について考えるとき、頭の中にあるのは常に、「なぜこの人が僕の親なのだろう?」ということだ。 僕にとって、父親は(そして母親も)人生の退屈さ、空虚、敗北、といったものの象徴だ。決して強さを感じさせることは無い、独裁者的なタイプでもない…