Re: Writing Machine

Teoreamachineの小説ブログ

父の日に

 

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が父親について考えるとき、頭の中にあるのは常に、「なぜこの人が僕の親なのだろう?」ということだ。

 

僕にとって、父親は(そして母親も)人生の退屈さ、空虚、敗北、といったものの象徴だ。決して強さを感じさせることは無い、独裁者的なタイプでもない、ひたすら寡黙で、他者への関与から遠ざかって生きている、そういう人間だ。

 

従って、僕の家族はオイディプス的ではない。父親の持っているもので、僕が欲しいと思うものは何一つなかった。母すらも――僕にとって母は軽蔑の対象であり、愛憎などとは全く別の感情を抱かせる。

母を求めない、父に同一化しない、僕はそういう子供として、透明な三角形の一角を占めている。

そういう子供が欲望を抱けるのだろうか? 欲望がすべて、誰かの模倣であるなら――対象と、それを求める他人、そして自分、その三角形から生まれてくるのであれば・・・

 

子供としての僕のそばには、常に虚無があった。僕は虚無感とともに育ったのだ。重度の空想癖、幼い僕は常に空想の世界に生きていた。僕は目の前の対象を見ていなかった、なぜなら、具体性のある欲望が、僕の中に植え付けられていなかったから。そういう意味では、ぼくは「欲望」のない子供だった。「欲望」とは、関与のことである。具体的対象と結びつくために、それはオイディプス的回路を必要とするのだ。だが、僕にはそれがなかった。欲望そのものがないわけがない、むしろ、僕はそのエネルギーを人一倍持っていた。ただ、僕の欲望の力は、それが志向する具体的対象を欠いていたのだ。対象を持たない欲望は、暴走し、ひたすらに反復される夜を濃縮したような、奈落を生み出してしまった。

 

虚無――自己/他者感覚の欠落――空想。僕はイメージに取り巻かれて生きていた。言葉と現実感の欠乏した子供。言葉の欠乏といっても、全く寡黙だったわけではない。むしろ人一倍うるさかった。だがそれは、語りと呼べるような代物ではない、僕は、所構わず、自分のしゃべりたいことをひたすら喋っていた、それはまぎれも無い独り言、僕の言語はどこまでも内的で、他人にむけられてはいなかった。多弁性失語症、僕はそういう病を患っていた。病? 正確に言うなら、防壁。僕は僕の虚無から身を守るために、内的言語をばらまいていた。

 

父親は、何でもない人間のように見えていた、事実、何でもない人間だった、僕自身が何でもない人間であるのと、全く同じように。

 

父親の中に、葛藤はなかっただろうか? いや、そういうものは、確かにあっただろう。

父親の父親、僕の祖父は、父親とは別の仕方で他者への関与から遠ざかって生きていた。祖父は口うるさい人間だった、自分の人生から得た教訓を、途切れること無く延々と喋り続ける、節操のない人間だった。もはや自己も他者も見えていないので、同じ話を何度も繰り返す、そういうタイプの話し手だ。祖父もまた、独我論的世界の住人だった。

 

察するに、父親は祖父と正反対の人間になることを選んだのだ。祖父とは対照的に、父親は寡黙だった。阿呆のように喋り続ける祖父に、父親はうんざりしながら生きてきたのだろう。だが、それは果たして正反対なのだろうか? 全く違う人間のように見えて、実は父親と祖父は似てしまっていた。喋り続ける祖父、寡黙な父親、二人とも、別の仕方で他者への関与から遠ざかって生きる人間だった。

 

僕は僕のことを棚上げするつもりはない。僕もまた、祖父と父親のような人間だった。幼い頃の、馬鹿みたいに独り言をまき散らす僕は、まるで祖父のようだっただろう。そして思春期の、外界から断絶して虚無とともに生きていた僕は、父親のようだっただろう。僕もまた、他者への関与から遠ざかって生きる人間だった。

 

他者への関与というのは、別に社交的であるという意味じゃない。関与からの遠ざかり方のパターンはいくらでもある。やたら外交的なくせに全く他人を見ていない人間というのも、この世には掃いて捨てるほどありふれている。やたら尊大な人間、宗教がかった独善者、虚栄心、シニシズム、その他もろもろ、人の孤立の仕方、絶望の仕方には、いくらかのパターンがある。

 

結局、今の僕に、具体的な「欲望」は備わっているだろうか? 答えはノーだ。僕はもともとオイディプス的構造の希薄な人間だった(そこから自由であるという意味じゃない、だからあえてオイディプスモデルを積極的に借用して考えている)、だからアンチ・オイディプスですらない。自分をオイディプス的構造に当てはめることができたら、さぞかし楽なことだろう、楽に生きられることだろう、だが、そうすることができないのが、この僕なのだ。

僕はシンプルに「欲望」して生きていくことができない。だから僕は共同体から遊離する、僕はどうしても僕自身を、アイデンティティとか国家とか家族とか、そういう共同体意識によって回収することができない。

 

ここで、僕はくさびをひとつ打っておこう。この種の議論は、この地点で堂々巡りに入る。だから、その罠にはまらないようにするために、別の視点を持ち込んでみよう。

 

例えば、僕に子供がいたとしたら? 僕はその子供を、いったいどんなふうに見ることだろう?

 

父親は自らの子供を恐れていただろう。祖父を嫌悪していた自分、その子供が、自分と同じように父親を嫌悪することを、恐れざるを得ない。父親は時に父親らしさを誇示しようとすることがあった、子供を劣位に置いて、自らの能力を誇示するような仕方で。だが、古今東西、そういうものが上手くいった試しは無い、顰蹙を買い、軽蔑を蒙る種になるだけのことだ。

 

僕は自らの子供を恐れるだろうか?

少なくとも、今のまま子供を持てば、僕は僕の子供を恐れざるを得ないだろう。僕は父親に対する軽蔑を否定できない、だから、その軽蔑が子供から自分に向けられることを否定できない。そしてその恐れこそが、子供の軽蔑の種になるだろう。

 

僕は父親とは違う人間になろうとして生きてきた、だが、僕は未だ、それを実現できていないのだ。僕が本当に父親と違う人間になったとき、僕は父親を軽蔑しないだろう、僕は父親のことを忘却するだろう、僕にとって父親は存在しなくなるだろう。

 

僕が父親について考えるとき、頭の中にあるのは常に、「なぜこの人が僕の親なのだろう?」ということだ。

僕は父親から人生の退屈さと失望を学んだ、僕は必死でそれに抵抗せざるを得ない。

違う人が父親なら良かったのだろうか? たぶんそうではないだろう。僕が求めているのは、父親など(そして母親も)はじめから存在しなかったという世界なのだ。

 

僕は人生に対する期待を持たなければならない。それは野心とか虚栄――分かりやすくいえば地位・名誉・金、といったものではなく、他者への期待のことだ。

 

他者への期待とは何か?

それはあまりに漠然としている。僕自身、具体的な形をそれに与えることができていない。

もちろんそれは、友達が多いとか、そんなことでは全くない。場合によっては、友達も家族もいなくても、強い他者への期待を持つことができるだろう。

 

僕は今、できるだたくさんの種類の人に会うという実験を自らに課している。本当は「種類」という認識は捨てるべきなのだが、その「種類」から自由になるために、そこを通過している部分もある。他者とは、違う「種類」の人間という意味ではない。

玉石混交の出会いの中で、僕は能うる限り、期待を強くしようとしている。誰でもない他者へ、ぼくは出会おうとしている。まるで、概念でない美を、理念でない崇高を追い求める芸術家のように。

僕がそのような他者へたどり着いた時、僕は他人の中に共同体を見ないだろう、国籍を見ないだろう、家族を見ないだろう、人種を見ないだろう、性別を見ないだろう、僕自身を見ないだろう。僕はその瞬間、父親を他者として見るだろう。

 

いつか、父親は他者になるだろうか?

僕にとって、僕が他者になる瞬間、父親は他者になるだろうか?

あるいは、それは僕にとって僕が他者になる過程の話にすぎないのだろうか?

 

6月21日――父の日――誰でもない他人の日。