君の代わりに その7
できる限りのベタがいい、という「彼女」の要望で、やって来たのは金閣寺、僕らは周囲の観光客からは控えめな位置に立って、池の向こうに浮かぶ金閣を眺めていた。入場券を買うとき、人と喋れない「彼女」はやはり僕の後ろに隠れてじっと宙を見つめていた。こういうときの「彼女」は、まるで用心深くふてぶてしい猫のようで、できるだけ安全な間合いをキープしながら、興味ない素振りでその実、他人をじっくり観察しているのだ。
特に感慨もなさそうに、「彼女」は金閣を眺めている。入道雲のように膨らむ緑を背景にして池に浮かぶ金閣は、夏の強い光のせいでてらてら輝き、ずいぶん派手ないでたちをこれでもかと誇ってそびえているように見える。
「足利義満だっけ? これ建てたの」
しばらく会話がなかったので、僕は割とどうでもいいことを聞いてみる。
「そうよ。でも、その前は別のお寺が建ってたみたいだけど。その所有者の公家が後醍醐天皇を暗殺しようとしたんだけど、結局失敗して、そのせいで没収されちゃったみたい。そんで、後でこの土地を手に入れた義満があれを建てたのね」
「よく知ってるね。歴史好きなの?」
「違う。新幹線の中で調べただけ」
「なんだよ。ずいぶん博学ぶった喋り方だったから、そう思った」
「別に十年前に得た知識も当日に得た知識も大差ないし。でも面白いでしょ、そんな裏話があるなんて。なんか奥底に眠る怨念みたいなものがある気がして、あるいは忘れられた潜在意識が今もそこでうごめいてる気がして、そんで、ベタな所だけど来たら面白そうかなって」
「確かに面白いかもしれないけど、ちょっと聞こえは趣味悪いな」
「そうかしら」
そう言って、「彼女」は被った帽子を押さえながら笑った、楽しそうというよりは、どこか寂しそうに。
控えめな位置に立つ僕と「彼女」の目の前を、他の観光客たちが通りすぎていく、ほとんどみんなが、同じように、池の際に立ってふた言み言交わしてからスマホのカメラで金閣の写真を撮り、そして満足した顔で歩いて行く。
「なんで、みんなあんなに写真撮りたがるんだろう」
その観光客たちを見送りながら、「彼女」がぽつりと呟く。
「だいたいそんなもんじゃないの、みんな。最近は特に、SNSとかで共有したがるし」
「でも、あなた写真撮る? 私は全然撮らないんだけど」
「僕も撮らない、けど、みんなはそんなもんだと思ってる」
「みんな、ろくに目の前のものを見てないでしょ。見に来るんじゃなくて、撮りに来る、つまり、めずらしい物、自分の日常の外にある物を、自分の手の中に収めたがってる。それが非日常的であるからこそ、撮るんじゃなくて、見ないといけないのにね。それが、自分の世界とは切り離された場所に存在しているということが、みんな不安なの、それで、写真を撮ることで安心しようとするし、安心できると思ってしまう。でも、自分の外にあるものは絶対に所有できない、それが不可能だって気づくことを避けてる。みんな子供なのね。この世の中に、自分が本当に所有できたり支配できたりするものなんて、一つも存在してない。でも、子供だからそれが分からないの」
「赤ん坊は、気になるものをじっと見てるけどね」
「撮るっていう手段がないからね、赤ちゃんには。だから、できるだけ見ようとする」
「そこで、そういうことに気づいてもよさそうなもんだけど」
「それに気づくっていうのは、自分が世界から切り離されて、ぽつんと存在しているだけっていう事実に気づくということでもあるから。受け入れがたいでしょ、そういう認識って」
「君は、他人より超然としてしまってるところがあるからね。そういう所に気づかないほうがみんな生きやすいんだと思うし、逆に君は独りであれこれもの思いしてしまうなんてことになるんじゃないだろうか」
ちらりと、「彼女」が僕を見る。顔は帽子の陰になっているが、強い日差しのせいで瞳は透き通っている。ろくにメイクもほどこしていない、まるで人形のような肌に、かすかに汗がにじんでいた。
「あなたも似たようたもんだと思うけど。あなた言ったでしょ、自分は他人の代わりにものを書いてはいるけれど、ホントはそれは不可能なんだって。そういう考えかたをするのは、その認識を持ってるからだよ」
僕はついさっき、悟ったこと言うような可愛げのなさがユミにフラれた原因じゃないのか、と「彼女」に言われたことを思い出して、なるほど確かに可愛げがない態度だ、ただしそれはお互い様じゃないか、と考えながら、悟ったようなことを言っている「彼女」に向かって肩をすくめてみせる。
「まあ、少なくとも……」
「少なくとも?」
「僕らはあんまり、世の中で上手くやっていける人間ではなさそうだ」
「そうね」
「彼女」はまた、例の寂しげな表情で笑う。「もう行こうよ」、そう言って、「彼女」は手を添えて帽子の位置を直すと、出口の方へと歩き始めた。僕はそこに立ち止まったまま、携帯電話――スマホじゃない――を取り出し、歩いて行こうとする彼女の背中にカメラを向け、金閣をバックに一枚写真を撮ってみる。燦燦として燃える景色の、緑と黄色の中で、ポタポタと垂らした墨の滴のような「彼女」の姿、その景色の中の、違和感そのものである姿。僕は首を傾げる、そして写真を消す。僕も「彼女」もみんなと違って写真など撮らない、「彼女」はそれに説明をつけてみせる、僕はそれに納得したような、していないような、そんな、中途半端なままでいる。僕も「彼女」も、人々の生きる世界から大きくズレてしまっている、けど、そのズレの正体はつかめない。写真撮影についての「彼女」の説明は、そのズレについての説明の一つの種類でもある、「彼女」はその正体をつかんでみせようとする、でも、僕がそうであるように、「彼女」もその説明に納得してみせることはできないのだ。僕と「彼女」は、その違和感を解消すること叶わず、ズレている、ズレ続けて、それが当たり前になって、生きにくい。そのズレについての説明なんているの? という疑問を持つ人もいるだろう。それについては、「いる」というのが正解だ。世の中には、ズレていないからこそズレたがる人間と、始めからズレてしまっている人間がいる。ズレたがる人間は説明のつく範囲で遊んでいればいいのだが、僕や「彼女」のように始めからズレてしまっている人間は、どういう形であれ、その説明のつかないズレについて、やはりどうにか説明をつけるしかない。言葉で、論理的に、という説明である必要はない、だが、どういう形であれ、説明は不可欠だ。僕と「彼女」のような人間にとっては、生きていることそのものが脅威であり不条理だ、だから、何を使ってもいい、ときには芸術としてもあるような、そういう説明を盾にしなくてはならない。人間が、野放図な不条理に、耐えられるはずはない。
「どうかした?」
気がつくと、振り返った「彼女」が、そこで動かずにいる僕を見ていた。きっと、「彼女」は、そのズレを前にして、今、とうとう立ちゆかなくなってしまっている。裸のまま、その不条理にさらされながら、どうすることもできない、だから、僕に助けを求めている。かといって、いったい僕に何ができるというのだろうか、僕自身のズレですら、上手く解決できていないというのに。
「いや、何でもないよ」
手に持ったままの携帯電話をしまって、僕は「彼女」を追いかける。少なくとも、僕が出来る範囲で何とかしてやりたい、正直な気持ちとして、そう思っている。書いてみようじゃないか、とりあえず、「彼女」の依頼する、その日記とやらを。