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Re: Writing Machine

Teoreamachineの小説ブログ

君の代わりに その8

 月、二五日。

 

 京都へ。

 行き先は決めていなかった。日記を依頼した「彼」と一緒に、とりあえずどこかへ行く、そう決めていただけだった。

 その場で行き先を決め、あきれている彼を引き連れるように、新幹線に乗る。西へ、五百キロ、二時間と少し。私は窓の外を眺めていた、どういうわけか、言葉は出てこない。他人を前にして言葉が出てくるという、誰もが当たり前にできるはずのことについての違和感は、まだ根強いのかもしれない。ついこの間まで当たり前だったことが、今は違和感を何重にもまとって着ぶくれしている。この前彼に会って、それが一枚、はらりとはがれたような気がしていたけど、やはり違和感はそのままだ。でもたぶん、喋ろう喋ろうとあせる必要はない、この違和感も、これはこれで、自然なことなんじゃないかというふうに思えてくる。例えば、動物は喋りはしない、これは人間だけの所業、ということは、みんなが当たり前に言葉を交わしていることを、むしろ奇妙なこととしておいても良いはず。

 新幹線の中で予約しておいた旅館に着く。室内写真が小さく判断に迷うところだったので、サイトの口コミ欄を流し読みしてハズレがなさそうな所を選んでおいた。実際、悪くはなかった、ただ、こういう決め方って、結果が自分の予想を超えないという寂しさがあるけれども。情報が有効利用できるほど、世界は収縮していく、予定調和が増えていく。世の中を楽しめるのは、創造的な人間か無知な人間くらいになるのかもしれない。庭のアジサイが、キラキラしている。ややこしいことを考えるのはよそう。

 そして金閣寺。写真や映像で何度も見たことがあるので、特に感慨深さはない。みんなが写真を撮っている、こういうものほど、多くの人にとって撮っておかなければならない被写体になる。今まで日常の外にあった世界が、今は自分の世界の一部であるという感覚が欲しいんだろうか、ただ、そうだとするなら、私がこんな風に、みんなの行為に説明をつけてしまおうとすることは、彼らのやっていることと、いったいどれほどの差があるというのだろう。説明をつけるということは、ある意味では所有するということのバリエーションにすぎないんじゃないか。どちらも、子供じみていて、自由じゃない。……また、変なことを考えている、よせばいいのに。

 他の見物客のことを忘れて、金閣を眺める。こういうとき、自分はつくづく皮肉っぽいな、と思う。きらびやかなものを見ると、いつも、それを求める誰かは、実際には寂しいんだろうなと感じてしまう。

 考えては止め、止めては考える、そして、結局、自分が考え始めた位置から全く前に進んでいないことに気づく。

 

君の代わりに その9へつづく――