僕らが何者でもなくなるように その4
あれこれ話してからどうにか最終的にはノリマサを帰らせた後、いちおう会場に戻った僕を、タカユキは一人で待っていた。
「待っててくれたのか?」
タカユキがうなずく。
「すまなかったな、世話かけて」
「まあ、あの状況でノリマサをどうにかできるのは、僕以外にはいなかっただろうし」
「そうだろうな」
少し寂しそうな笑みを浮かべて、もう一度タカユキがうなずく。パーティーはすでに終わり、部屋のテーブルや飲み物たちが、片付けを待っていた。
「僕も帰ったほうがいいかな」
「……送ってくよ」
タカユキは自ら運転する高級車の助手席に僕を案内し、そのまま会場を後にする。僕が知っているような車より格段に快適な乗り心地で、今と昔のタカユキの生活の違いが、こういうものの一つ一つに表れているのだと感じた。
「もう少し、違う感じになることを期待してたんだけどな」
ぽつりと、タカユキがため息のように言葉を漏らした。
「ノリマサも、だいぶ状態が良くないっていう噂を聞いてたけど、あんなひどい振る舞いをするなんてな」
僕はそう答えたが、タカユキの言った「期待」という言葉がひっかかっていた。ノリマサの近況から言っても、そもそもタカユキとノリマサの関係から言っても、ろくな結果にならないのは目に見えていたはずだった。
「まあいいよ。俺があいつを呼んだのが間違いだったのは明らかだ」
「仲直りでもしようって考えてたのか?」
「もう十年以上前のことだ、今さら仲直りもなにもない。今となってはどうでもいいことだし」
「じゃあいったい? 単に「みんな呼ぶならあいつも」っていう体裁だけで呼んだのか?」
「……なんていうかな、今なら、もう少し大人として話せるんじゃないかって思ったんだ」
タカユキは軽く唇を舐めてそう言った、その言葉の真実らしさを僕は推し量ろうとしたが、タカユキはそれをかわすように横の窓に視線を向けた。
「残念だけど、あいつはなにか、昔のまま成長してないふうだったな」
「というよりも、余裕がない。自分の思い込みや感情が直接行動に出てる感じだった。見下されてると思えばそう思い込むし、腹が立てばただ単に怒る。自分の考えや感情を距離感を持って見る、精神的な余裕がない。だから、昔の出来事に対して、距離感を保てない、昔のまま変わってないように見える。あれじゃあ大人としての話しはできないな」
「うわさでは、人生が上手くいってないみたいだけどな、ノリマサは」
「そんなにひどいのか?」
「さあ、僕もうわさで聞いただけだから」
「思い通りにならないことが多いほど、世の中への呪詛は強くなるのが常だからな」
「特にあいつみたいに、昔はいろいろと上手くいってた人間ほどそうかもしれないな。昔が上手くいってた分、昔のプライドの中で生きようとしてしまう」
「まあ……」言いかけて、タカユキは一瞬ためらう。少し息を吐いて、もう一度口を開く。「俺もある程度いろんな人間を見てきたけど、金のなさは、人をみじめにさせるところがある、人をおかしくさせるところがある。それを体験したことのない人が、そう思っている以上にな」
ノリマサは、僕らが一緒だった中学時代、まさにみんなの中心的存在だった。スポーツ万能で、常に周囲のリーダー格として振る舞い、とにかく目立っていた。どこか粗暴な雰囲気も備えた彼は、半ば同級生たちを恐れさせ、服従させるような力を手にしていた。もし僕らのクラスが、ある日突然無人島に隔離されたなら、ノリマサは独裁者として振舞うことができただろう。だが、そこで大きく育った尊大な自己イメージのせいだろうか、ノリマサは高校を出てから、仕事が長続きせず、職場を転々とし、今や金に困るぎりぎりの生活をしているらしかった。
「ノリマサの生活がとことんみじめだとしたら……」
「確かに、あいつを呼んだのは思ってた以上に大失敗かもしれない」
僕はふと、ノリマサはなぜ姿を現したのだろうかと思う。そんなみじめな状態なら、かつての同級生に会おうなんて思うだろうか。あるいは、みじめだからこそ、僕らに会おうとしたのだろうか。
「まあいい。この話はやめよう」
タカユキがため息をついて言った。
「タカユキはうまくいってるか?」
話題を切り替えようと、僕はわざとそういう聞き方をした、仕事だけでなく、生活全部をひっくるめて、という意味を込めて。
「おかげさまで、仕事は好調だよ。企業からのアプリ制作の受注も、途切れることなく入ってきてる」
「仕事以外は?」
「不自由はないよ。衣食住にも、女にも困らない」
「充実してるわけだ」
「充実というのはどうかな。派手な金遣いや女遊びっていうのは、やればやるほどむなしくなるというか、自分が乾いていくような感じがある」
「飽きたのか?」
「派手な遊びには最初から興味がない。女遊びもやってるうちに馬鹿げたゲームに思えてくる。金遣いや女の数を承認の道具にする連中はずっとそういうことができるのかもしれないが、俺はそうじゃないみたいだ」
「じゃあ今は仕事にやりがいを見いだしてる感じか」
「やりがい? 俺は仕事に自己実現なんて求めちゃいないよ」
「じゃあいったい?」
そういえばそもそもどうしてタカユキが会社なんてやりだしたのか、僕は知らなかった。彼は別に、そういう野心を持った子供ではなかったのに。
「まあ、金が欲しいんだ」
「金? どうして。そんなに金に執着するやつだったっけ?」
タカユキの言葉は僕にとって意外なものだった。僕の知っているタカユキは、俗な考えから距離を置くようなタイプの人間だったからだ。
「俺の根本は昔と変わってないよ。さっきも言ったように、金持ちになって他人から崇められたいわけじゃない」
「じゃあどうして」
「俺は昔から、不公平だとか不平等が嫌いだった、それは知ってるだろう」
「ああ」
そういう点は、特にタカユキが世間の人間と違っているところだった。彼は一般的な差別とかだけでなく、年齢による上下関係さえも嫌う珍しい人間だった。「全ての人が個人として対等に認められなければならない」という徹底した平等主義者なのだ。それが、ノリマサも含めた周囲とのトラブルを引き起こす要因にもなったのだが。
「だから金が欲しいのさ。金は唯一、人を平等にすることができる。巨大企業の白人の社長が使おうが、貧しい黒人の少女が使おうが、同じ額面の金は金として平等に機能する。なぜなら金はこれほど身近にありながら、同時に超越的な存在でもあるからだ。共同体と共同体の間をかくも自由に行き来する。俺たちの手の中にありながら、途方もない外部をそこに秘めている。ソウスケ、平等を実現するには、何が必要か分かるか?」
「どうかな……例えば不断の理想主義とか? ルーサー・キングみたいな」
「それは、あくまで理想だ。俺が言っているのは、装置としての何かだ。いいか、平等を実現するには、超越者の存在が必要なんだ。『神のもとに平等』という言葉が表すようにな。超越者の存在なしに、平等は人々の観念とならない。超越者の視点を媒介して初めて、人はあらゆる階層に隔てられたものをフラットに並べて見ることができる。けれど俺たちはそういう意味での神を持たない。日本の神々は、閉じた共同体の内部の神だから、人を平等にしない。じゃあ、いったい何が俺たちの神になりうるか?」
「それが、金だって言いたいのか?」
「そのとおりだ。金は神だ。途方もない外部としてのな。現代に生きる俺たちは、『金のもとに平等』になり得るのさ。近現代を通して、どうしてこんなに男女や人種や異性同性愛なんかの差別が是正されてきたのかといえば、資本主義が徹底して、人々の意識の奥底まで根を張ったからじゃないかという気すらするよ。明治の日本で四民平等が実現したのも、元は資本主義への適応のためだったし、そう思わないか?」
「たとえそうだとしても、金は結局、新たな格差や不平等を作り出しているだけのように見えるんだけど」
「それは金というより、経済の分配システムの問題だ」
「金というものの性質の中にこそ、分配システムの欠陥を生み出す要因があるようにも思えるけど。そもそも、タカユキが金を貯めることが、その分配システムの問題を解決することになるのか?」
「ならないよ。俺にできるのは、自分を救うことだけだ。俺は、俺を捕らえようとする不公平や不平等から救われたいだけだ。人は他人を救うことはできない。可能なのは、自分を救うことだけだ」
「なんだか宗教家みたいな言い方だな」
「そうさ。俺は『拝金主義者』なんだ」
半ば冗談で半ば本気なタカユキの言い方に、僕はあいまいな笑いで答える。僕らが会わなかったこの十年くらいの間に、タカユキはあれこれ考えてきたのだ。その特異な思想は、彼が抱えてきた困難に、彼なりに折り合いをつけようとした結果なのだと思う。あのとき以降、タカユキは、僕らからどこか遠く離れたところへ行こうとしているように見えていた。
「タカユキ」
僕はひとつ、質問したいと思っていたことを思い出した。
「なんだよ」
「タカユキが僕らに会おうと思ったのは、懐かしさのせいではないだろう?」
彼の思想と、今彼がやっていることと、そして僕らに再会することは、矛盾していた。タカユキの平穏な場所は、過去にそれをかき乱したノリマサやアヤカから切り離されたところにあるはずだ。だからそこに懐かしさなんかあるはずがない。
タカユキは言葉につまる。そこで初めて、自分がその問いに対するはっきりとした答えを持っていないと気づいたかのように、視線はずっと宙を見つめていた。
「そうだな……確かにそれは懐かしさじゃない。俺はただ単に、そこに何か決定的な忘れ物を置いてきた気がする。とでも、言えばいいんだろうか」
独り言のように、タカユキが言った。もうすぐ、僕の家が近づいていた。その会話は、行きつくべき十分なところまで、続けられそうになかった。
「頼みごとがあるんだ」
別れ際、ぽつりと、タカユキが切り出した。ハンドルを握る手の指が、やや落ち着きなく動いている。
「なんだよ、改まって」
「アヤカと、連絡を取ってくれないか」
「アヤカと?」
「ああ。アヤカと、話す機会を作って欲しいんだ」
思ってもないような頼みだったが、別に断る理由はなかった。けれども、なんで今さら、タカユキはアヤカと話をしたいのだろうか、と僕は思う。かつて、タカユキはアヤカに想いを寄せていた。ノリマサのせいでそれが叶うことはなかったけれども、アヤカもその想いは知っているはずだった。タカユキが直接連絡を取れば、変に警戒されてしまうかもしれない。かといって、タカユキも今このタイミングでアヤカをどうこうしたいなんてまさか思っていないだろう。ともあれ、僕はその頼みを引き受けることにする。僕にとってもその過去は、消化不良のまま残り続けている。タカユキと、ノリマサと、アヤカの間で、もう一度それを揺り動かすとすれば、いったい何が起きるのだろうか。
僕らが何者でもなくなるように その5へつづく__