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Teoreamachineの小説ブログ

最も純粋な子供達のために その1

 

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 原玲は夜の街を歩きながらすれ違う全ての人を殺すことを想像していた。例えばショートケーキのような白色のトレンチコートがとてもよく似合っている黒髪の女の目玉をくり抜き肉厚で愛らしい珊瑚色の唇を切り取って喰いながら髪を剃り皮膚を裂いて頭蓋骨を取り出すとか肩幅が広く筋肉質で自信に満ちあふれた態度で歩く色の黒い精悍な顔つきをした男の喉を裂いて頸動脈を引きちぎり噴き出す血で濡れ力強く盛り上がった筋肉の一つ一つをその溝に沿って切り取っていくとかそういうことを想像しながら上着のポケットに隠し持ったナイフを指先でなでるようにいじくっていた。前から歩いてくるローライズを穿いた細身の女のあらわになっている縦長のへそにナイフを差し込んで手首を大きくうねらせてはらわたをかき回してえぐり出した赤くぬるりとする内臓の臭いを想像していたときに黒いベルベットのジャケットを着た男と肩がぶつかる。真ん中で分けた長めの髪を整髪料でなでつけた男は丸縁の眼鏡の奥の切れ長の目で桐原玲をにらんでいた。

 クソガキ。

 男は吐き捨てて背を向け歩いて行った。普通の日本人にしてはイントネーションが妙だった。桐原玲は後ろを振り返りその男の姿を見つめながら汗のにじんだ指先で折り畳んだナイフの刃を二三度なでると無表情のまま後を付けて歩き始める。三十代半ばくらいの男は右足がどこか悪いようでかすかにびっこを引きながら進んでおり信号待ちで止まると神経質そうに左右を見回し唇の端をぴくぴくと動かしていた。信号が青になるとすれ違う人々の間を縫って横断歩道を渡りその向こうの路地へ入っていく。奥へ奥へと入るほどに人も少なくなっていきとうとう誰もいなくなったとき桐原玲はポケットから出したナイフの刃を出してだらりとぶら下げた腕の先で構えると闇の中で全く音を立てずに忍び寄りほとんど男の背中に触れるくらいの所まで近づいて肩をつかみ振り返った男の顔の下にある首筋目がけて鋭いナイフの刃を叩き込んだ。男は悲鳴を上げて暴れ桐原玲を突き飛ばす。中学生の桐原玲は大人の男の力に上手く対抗できずに転んだ。

 

 男はそう言って苦しみもがいていたがやがて首筋から血を噴きながらその場に倒れ込んだ。立ち上がった桐原玲はうずくまる男に近づくとその顔面を蹴り始める。

 往手!

 眼鏡が割れ口と鼻から血を流しながらも男は両腕で顔をかばい叫んでいた。

 やめろ。やめろ。不想死!

 そこで桐原玲は動きを止めるとじっと男の顔を見ていた。

 何だ?お前はいったい何を言っているんだ。

 桐原玲は冷淡な口調でそう言ったが純粋な好奇心に満ちたような顔で男を観察している。

 金?欲しいか?你!

 ……もっと喋ってみろ。

 桐原玲は男の顔を軽く叩いてその言葉にじっと耳を傾けていた。それは桐原玲がはじめて直接聞いた日本語以外の言葉だった。普段生活している場所では日本語を喋る人間しかおらず日本語以外の言葉など桐原玲の周囲には今までまともに存在したことがなかった。桐原玲は目の前で聞き慣れない言葉を叫ぶ男に無性に好奇心をかき立てられ興奮した様子で言葉を投げかけていた。

 どうした?もっと喋れ!もっと!

 啊啊……。啊啊……。不想死!

 男はそう叫ぶと同時に桐原玲につかみ掛かる。まるでおぼれた人間がもがいているかのように口を開け閉めしながら頭を上にあげようとしていた。血まみれの男の手は桐原玲の襟首を力なく握りしめる。桐原玲は充血して濡れた男の目を見ながらああお前はもうすぐ死ぬんだなと呟いていた。

 最後に何か言いたいことはあるか?

 桐原玲は血で汚れた襟首をぬぐおうともせずに力を失い崩れ落ちていく男を見下ろしていた。アスファルトの上に落ちた男の顔の下に付いている口がかすかに動いてそこから何か空気が漏れ出していたが結局それは音にはならない。陸に上げら放置された魚のように男は目を見開いたまましばらく体を震わせていたがとうとう動かなくなった。

 しばらくそこにしゃがんだまま死体を見つめていた桐原玲はゆっくりと立ち上がる。死ぬ前の男の震えがそのまま乗り移ったかのように肩や手先が震えて止まらず桐原玲は暗闇の中で唇を噛んでいたがやがて呼吸が落ち着き始めその後はもう冷静な表情に戻っていた。誰かが暗い路地を歩いてきたが黒い衣服に包まれた死体には気付かなかった。まるでそこで何事も起きなかったかのようにその誰かは恬然とした桐原玲のそばを通り過ぎる。遠く離れた大通りから馬鹿騒ぎする酔っぱらいの声が聞こえていた。桐原玲は死体からナイフを抜き取ってポケットにしまうとその声が聞こえてくる方へと歩き始めた。

 

  

最も純粋な子供達のために その2へつづく――