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Teoreamachineの小説ブログ

最も純粋な子供達のために その10

 

 う長い間まともな会話を誰ともしていなくて自分がいったいどんな考えや感情の持ち主なのか忘れてしまいそうで不安定になる白澤明歩の情緒をどうにかなだめて落ち着かせてくれるのは結局ピアノの音だった。桐原玲が突然捕まってから完全に一人になってしまった白澤明歩は家に戻ることもできずに孤独なままの生活を続けていた。桐原玲の家族でも親戚ないので面会もかなわずどうすることもできずに家に閉じこもりただひたすらにピアノを弾いていた。ときどきひどく疲れて何もしたくないような気分になってしまうこともあったがそれでもピアノを弾いている方がましだった。

 生活のために売春を続けていたが今まで桐原玲にまかせっきりにしてしまっていたので上手く客を選べずに金をケチろうとする客やアブノーマルなセックスを求めてくる客に出会うこともあったしそれだけでなくレイプされてしまったことも二回くらいあった。妊娠や病気は免れたがそんな時はひどく気分が落ち込んでしまいさらに追い打ちをかけるように小学六年生になったときに自分を無言でベッドに押さえつけてレイプした父親の顔が浮かんできてピアノに触れても上手く感情を制御できずにわけもわからず涙が出て来たりした。

 死にたい。

 終いにはそう呟いて浴槽に水を溜めてそこにかみそりを持ち込み自分の手首をじっと眺めていることもあった。しかしそれを何度か繰り返したある日白澤明歩は突然手にしたかみそりを投げ捨てる。

 こんなの馬鹿みたい。

 白澤明歩はそう言って浴槽の栓を抜き渦を巻いて流れていく水を見つめていた。そして朝から何も食べていなかったことを急に思い出したかのように空腹を感じ近くのコンビニでパンやお菓子を買ってくるとそれをテーブルの上に広げがつがつと食べ始めた。それ以来白澤明歩は二度とそんなことをしなかった。

 桐原玲がいなくなってからもう二年も三年も気分が完全には優れなかったがそれでも毎日ピアノを引き続けていた。部屋にはテレビやラジオも置いておらずインターネットも音楽を買ったり聴いたりする以外にはほとんど使うこともなく外界の情報や社会の流れのといったものから全く分断された生活を送っていた。それはあえてそうしていたというよりも白澤明歩自身がそういうものに興味を示さないだけだった。

 ほんの少し気分が良くなった日は自分で曲を作ってみたりしたが満足のいくようなアイデアは浮かんで来ず試行錯誤を繰り返しているうちにいつのまにかあきらめて普段のように自分の気に入った曲を弾いているのが常だった。

 私は玲のことを待ってるのかな?

 白澤明歩は時々そう自問してみる。桐原玲がここに戻ってくるという確信はなかった。お互い確かに惹かれ合ってセックスもしていたが付き合っているとか愛しているとかそういうのを言葉で確認したことはなかった。だから桐原玲が少年院を出たからといってここに戻ってくることを保証するようなものは何も無い。

 玲が戻ってこなかったら私はどうなるんだろう?

 それについて考えながらピアノを弾いてみる。そして二つ三つとうなずく。

 別に。どうもならない。

 きっと私は今までと同じように体を売って食事を取って寝て起きてそしてもう一度ピアノを弾き始める。

 でもいつまでそれを続けるっていうの?

 そう呟いて白澤明歩はピアノを弾く手を止めてしまう。

 私はどうしてここに閉じこもったまま出られないんだろう?

 じゃあ私はやっぱり玲が戻ってくるのを待ってるのかな?

 でもそれが今の生活を何か変化させてくれるとでも?

 そこでその考えは堂々巡りを始める。白澤明歩はうつむいまましばらくじっとしてから全てを振り切ろうとするかのようにまたピアノに向かい新しい曲を弾き始める。ふと気が付いてみると明日は十八歳の誕生日だった。十八歳になったら風俗店で働こうと決めていた。稼ぎは減るがリスクは少なく余計な心配事に気を取られる必要がないのでそのほうが良かった。これからはより一層ピアノを弾くことに集中するつもりだった。

 

 

最も純粋な子供達のために その11へつづく――