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Re: Writing Machine

Teoreamachineの小説ブログ

君の代わりに その2

  

 いったような感じで人生を投げ捨てたものの、僕の心臓はまだ動いていて、呼吸も続いている。死にたいと思ってるわけじゃないから、死なずにすむように、生活費を稼ぐ必要があった。唐突だけど、ここでひとつ。自分で言うのもなんだが、僕は詩人だ。もともと隠れた趣味で、ユミにも友達にも家族にも知らせずに、こっそりインターネットの隅っこにブログを作り、そこに自作の詩を書きなぐっていたのだが、ある日、偶然をそれを発見した小さな出版社の人間が、それを本にしたいと連絡してきた。半信半疑だったものの、僕はその人に会い、そしてとうとう、本当に一冊の詩集を世に出してしまった。たいして売れることもなく、僕の手には小遣い程度のお金しか入らなかったけれど、それ以来、たまに原稿の依頼が来るようになる。というわけで、僕にはとりあえず、ほんのわずかの実入りでしかなくても、金を稼ぐ手段がないわけじゃなかった。でも、その収入はもちろんのことながら、失業して火の車になった僕の家計にとって、水鉄砲の一発にも劣るものでしかない。だから、僕は何か他のことをして金を稼がなきゃならなかった。

 組織人である公務員としての経験なんて、組織の外に出たら役にも立たないわけで、僕はその方向で自分にスキルを見出すのを断念せざるを得ない。となると、僕にできるのは言葉を使って何かをすることくらいしかないだろう。ならば、というわけで、僕が考えついたのが、ゴーストライターとしての仕事だ。といっても、有名人の本について代筆をするという意味でのゴーストライターじゃない。僕がやることにしたのは、普通の人の代わりに、何かを書いてあげることだった。手紙とか、そういうものを書くのが上手くできないっていう人の代わりに、それを書いてあげるのだ。そして、その対価として、いくらかのお金をもらう。

 何だそりゃ? と思う人も多いことだろう。いや、実際、僕自身、他人に成り代わって何かを書くことが可能だなんて思っちゃいない。できるだけ、その人ならこんなふうに書くだろうってことを想像しながら書くんだけれど、僕は、絶対にその人自身にはなり得ない。どれだけそれらしく振舞おうとも、結局、僕は僕以外のものではないのだ。僕と他人との間には、どうしても越えられない正体不明の壁があって、その存在ははっきりしてるのに、その輪郭はくっきりしない。その正体が分かれば、僕は他人の代わりに何かを書くことができるのかもしれない、でも、どうにも、それを実現するのは不可能な仕事らしかった。だから、僕はそれが可能なフリをして、クライアントたちの悩みに応え、代筆をするのだ。

 ともあれ、世の中に文章が苦手だという人は思いのほかいるもので、主に手紙、それからスピーチが多かったけど、読書感想文やエッセイ、就職活動のエントリーシートなんて依頼もあった。基本的にはメールで依頼を受けている、でも、たまには直接会って話したいという人もいた。人によって様々だけど、みんな手紙やスピーチに込めたい思いをあれやこれやと僕に語って聞かせてくれる。妻と離婚したせいでもう十年以上会っていない娘の結婚式に突然呼ばれたのでどうしても感動的なスピーチをしたいとか、遺言として自分の人生の物語を残したいので口述したことを上手いことまとめて感動的に仕上げてくれとか、恋人の誕生日に気の利いた詩でも贈りたいのだが自分では全く書けないのでこの熱い思いを三行で表現してくれとか、面白いものから無茶なものまでいろいろあった。僕は孤独を好む人間で、仕事を辞めるまでは人に会うなんておっくうだったけど、いざこういう状態になって、毎日一人でいる時間ばかりになると、たまには人に会うのも悪くないなと思えたりするから不思議だ。

 そう、普段、僕は誰とも話さなくなった。一人で暮らしている部屋で、毎日昼過ぎに起きて、仕事の依頼が来てないかチェックをする。たいていぼうっとしたままだらだら夕方まで過ごし、散歩がてらスーパーまで行く、そして適当に自炊して腹ごしらえをすると、仕事があればだいたい六時くらいから働き始める。仕事が無ければ何もしない、ネットの動画サイトで、分かりもしない英語やその他外国語の再生時間の長いビデオを流しておいて、ベッドに寝転んでいるだけだ。見るのではなく、本当にただ流しておくだけ。日本語のビデオやテレビ番組は嫌だった、それを見ていると、自分が投げ捨てた日本社会というものが、タコのゾンビのように触手を伸ばして追いかけてくる気がするのだ。やっとその外に出られたのに、今まで僕を捕らえていた呪縛が、また僕をその内部に飲み込もうとしているような感じがして嫌だった。日本語はできるだけ聞きたくない、だから、テレビも持っていない。そうやって理解できない外国語を聞き流しながら、気が向いたらいくらかの詩集でも眺めてみる。詩集のラインナップには何のこだわりもない。時には、思い出したように絵を描いてみたり詩を書いてみたり、ちょっと自作のインテリアにこだわってみたり。どうでもいいことで日々が過ぎていく、これはけっこうな贅沢だ。仕事とか結婚したがる恋人とか、どうでもよくないことで過ぎていく日々なんて、僕にとってはどうでもよくなっていた。今は、どうでもいいことばかりの日々のほうが大事だ。

 この先どうなるかなんて分からない、考えもしない。収入は充分じゃない、貯金は徐々に減っている、あと一年持つだろうか、どうだろうか。でも、そんなことはどうでもよくなっている、そのどうでもよさは、この上ない贅沢で、どうしようもないほど心地良い。僕は何者でもない、ただ、浮雲のように、ふわふわと、バカみたいに、生きながらえている。

 

 君の代わりに その3へつづく――