Re: Writing Machine

Teoreamachineの小説ブログ

君の代わりに その3

 

 して、僕は「彼女」と出会うことになる。貯金の底が見え始め、それまで脳天気を決め込んでいた僕の、額にじわじわ冷たい汗がにじみ始めたころだった。

 「彼女」の依頼は、六月の始め、直筆の手紙とともに僕のとこに舞い込んだ。いつもはチラシしか入っていないポストに、和紙でできたこぎれいな便箋が、ぽつんと正座している上品な女の子みたいに収まっていた。なんだか丁寧に扱わなくてはいけないような気がして、普段はビリビリと封筒を破ってばかりのくせに、カッターと定規を使ってすっと切れ目を入れると、手紙が折れたりしないように、充分な通り道を確保しながら取り出し、端を指先でそっとつまんで開いてみる。

 

 

 拝啓

 

 入梅の候、降る雨の肌ざわりがしなびた綿くずのようになってきたこの頃、いかがお過ごしでしょうか、もとい、はじめまして。

 インターネットであなたの名前を検索して、偶然に、ホームページを見つけました。こんな変わったお仕事、なさっているのですね。とても面白いなって思いました。

 きっと、どうして面識もない私が、あなたの名前を知っているのか、疑問に思われたことでしょう。その理由ですけれども、私、あなたの詩集を繙いたことがあるのです。

 ある日、ぶらぶらと、特に当てもない散歩の途中、偶然立ち寄った古本屋のワゴンセールの中で、あなたの詩集に出会いました。値段はたった十円でしたので、暇つぶしにと、私はその本を買い求めたのです(お気を悪くなさらないでください、私、ちょっと正直すぎるところがありますので。でも、これっぽっちも悪気はありません)。初めは公園のベンチに座ってページを開いたのですが、ちょっと日差しが明るすぎたので、木陰へ。そして、パラパラと、あなたの書いた言葉を読んでいったのです。

 何の変哲も無いような気がしていました、でも、実際は個性的だったのかもしれません。なぜかというと、私にとって、あなたの書いた言葉は、妙にしっくりきていたのです。あまりに私にぴったりで、だから、私はあなたの言葉に違和感を覚えなかった。だから、やっぱりあなたの言葉は個性的だったはず、だって、私が普通と違っているのだから。

 私の何が他人と違うというのでしょうか、それは、私にもよく分かりません。でも、私は、普通の人が普通に使っている言葉を上手く喋ることができません。以前は、そうではありませんでした。普通の人として、普通の人と同じような言葉を使い、普通の枠に収まった人生を送ってきたのです。大学を出て、会社に勤め、そんな生活を三年ほど続けていたのです。

 それが、ある日、そこからころころと転げ落ち、二度と戻れなくなってしまいました。私、急に、言葉が喋れなくなってしまったのです。嘘みたいな話ですが、突然、そんなふうになってしまいました。朝起きて、なんだか喉にフタがされているような違和感があったのですが、そのまま会社に行きました、そして、同僚と話をしようとして、そこで初めて声が出ないことに気づいたのです。頭の中も、真っ白でした、言葉という言葉を、全て忘れてしまったかのように、何も浮かんでこなかったのです。

 そうなると、普通の人の普通の生活が送れません。会社も辞めることになりました。それから一ヶ月、何をどうしていいのか分からず、誰とも話すことができず、言葉の無い世界をさまようように、毎日毎日散歩ばかり。そんな日々の中で、あなたの本に出会ったのでした。

 私は驚きました、あなたの本を読んでいる間、私の頭の中に、私の言葉が浮かんでいたのです。急に、病気が治ったのだろうかと思いましたが、どうやらそうではありません。何度か、あなたの本を開いては閉じ、読んでは止め、そうやって、気づいたのですが、私はあなたの本を読んでいる間だけは、私の言葉を取り戻しているらしいのです。

 なぜ、なぜ、と、私はいくらか考えてみましたが、答えはさっぱり分かりません。ただ、妙に、あなたの言葉は、私にとってしっくりきてしまうのです。この手紙を書くことができているのも、あなたの本を読んだ直後だからに他ありません。

 だから、私、あなたに仕事を依頼してみようと思ったのです。もしかしたら、言葉を取り戻せるかもしれない、そんな、一抹の期待も胸に秘めて。詳しい内容は、直接会ってお話しさせていただきたく思います、というか、私自身、まだ、はっきりと内容を決めているわけではないのです。あなたにどんなことをしてもらえれば、私は言葉を取り戻せるというのでしょうか。何か妙案があれば、あなたの意見もお聞きしたいと考えております。

 お返事お待ち申し上げております。ただ、電話ではしゃべれない可能性が高いので、メールでお返事をいただければと思います。わざわざ手紙を書くのはお手数でしょうし。

 それでは、ぶよぶよした湿気と盛り始める暑さの折、どうかご自愛くださいませ。

 

                           敬具

 

 

 何なんだこれは、と思いながら僕はきれいな字で書かれた二、三度手紙を読み返す。普通の依頼ではないというのはもとより、これから何をすることになるのか未定だという。突然言葉が喋れなくなった? そんで、僕の本を読んでいる時だけは言葉を取り戻せる? 全く不可解な話だ。自分で世に送り出しといてなんだけど、僕は自分の詩集がそんなに優れているとは思っていない。古本屋のワゴンセールで十円というのも、さもありなん、どこかの暇人がたまたま手にとって読み捨ててくれたらいいや、というくらいの気持ちでいる。どこかの見知らぬ奇病にかかった妙齢の女性が、それに救いを見出すというのは、おおよそ考えもしないことだった。

 それにこの女性、いくらか個性的な文章を書く。字のクセも結構強い。全体的に丸みを帯びているのだが、妙に迷いのない線で構成されている。あるいは、「す」の払いが直線的で長かったり、「も」の先がくるんと羊の角のように巻いていたり、一つ一つの字もよく見ると面白い個性を持っている。本人は普通の人間として生きてきたと語っているものの、たぶん、どこか世の中からずれてしまう部分をもともと持っていたのではないだろうか。多少なりともその自覚はあるようだけど、本人が思っているよりも、もっと強いものを抱えている。ときどきこういう人はいる、普通の生活を送ることが本当は困難なのに、無理に自分をそこに押し込めてしまうのだ、そう、かつての僕のように。僕も自分を凡人だと思い、自分を「社会」の中へと押し込んだのだけれど、いくぶん負担が大きかった。「彼女」も、同じような人間なのではないだろうか、自覚のないままに、自分を押し込み続け、気付かないままに、ガタがきてしまった。

 もちろん、これは憶測でしかないわけで、実際に「彼女」に会ってみない限りはなんとも言えない、実際に会ったところでそれがはっきり分かるかどうかも保証はない。それに、僕がこういう人に対してできることなどあるのだろうか。僕のような数奇者ではなく、心療内科だとかでカウンセリングを受けてみるほうが良いのではないだろうか。などと思いつつ、ただ、僕を頼ってきてくれているわけだし、ムゲに断るのもなんだかなあという気持ちもある。

 とりあえず、話だけでも聞いてみよう、というのが僕の結論だった。話からして、僕の手に負えなければ、そいつは無理ですね、とむにゃむにゃ言い訳をこねて逃げることもできるはず。

 もっとも、この手紙を読んだ僕は、「彼女」に興味を持っていたのだった。僕の本を読んでくれて、しかも僕の本を必要としてくれる、奇特な読者に会う機会など、この先ありそうもない。それに、僕は「彼女」の書く文章が好きだった。僕は、依頼とか仕事とか関係なく、「彼女」に会ってみたかったのだ。

 

 君の代わりに その4へつづく――