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Teoreamachineの小説ブログ

「Kawaii」をぶっ殺せ

ろんな国の女の子とつきあったり友達になったりして思うのだけれど、日本を含むアジア人の女性の中には、何らかの形で男性に対する軽蔑が潜んでいる。

 

もちろん、軽蔑という感情は、女性自身の自己肯定感の低さと、男性に対するむやみな期待値の高さから生まれている。

 

アジア社会は女性を主体性から遠ざける、一定の排除を受けるが、その一方で主体的でなくても生きていける構造になっている。ただ、その反動により、女性は保守的なまでに、強い主体性を男性に求めてしまう。男性もまた、主体性を持ちにくい社会であるにもかかわらずだ。

 

また、社会から排除を受けているがゆえに、女性には男性を通じた社会的自己実現という悲しい問題がつきまとう。主体性と社会的ポジションをもたない女性が結婚適齢期になるほど、相手の男性を社会的ランクで選ぼうとする傾向が強くなってしまう。

 

女性の社会進出の時代だと言いつつも、ほとんどの女性は未だ主体性も社会的ポジションも備えてはおらず、その行動には保守的な価値観から逃れられない姿が見える。

 

とはいえ、主体性と社会的ポジションについて未だ女性より強いプレッシャーを受けている男性ですら、ほとんどの人は十分な主体性も地位も持ち得ない。その現実を認識することによってギャップを埋めない限り、女性は男性を軽蔑し続けるだろう。

 

主体性と自己実現から遠ざかった女性が支配権を見いだすのは、たいがいにおいて家庭である。ゆえに女性達は、夫を心から家庭の中に受け入れようとはしない。社会が女性を排除する構造と対になるように、家庭は男性を排除する構造になっている。

 

ソフトバンクのCMが高い好感度を持つのは、実に象徴的なのだ。女性が人の顔をして(兄も人の顔をしているが中途半端な異物として扱われる)、父親が犬として飼われているような姿こそが、もっとも好ましいものとして、家庭に受け入れられる。

 

だから父親というものは、無理に権威的に振る舞って家庭にポジションを築こうとするか、単に軽蔑されているかのどちらかになる。いずれの場合においても、父親は家庭に居場所など持てないし、権威的な父親も軽蔑の対象でしかない。

 

単純なフェミニストは、女性を家庭の犠牲者として描こうとするが、実際には男女双方ともが、家庭の犠牲者になっている。

 

社会が満足に変化しない状態で現実的に何ができるかといえば、男性は可能な限り主体的になりつつ、もし結婚するならできるだけ主体性を身につけた女性を選ぶほうが良いということくらいだろう。

 

自分の自信のなさや主体性のなさを解決できずに、そういう幼児性と共鳴するアイドル/お姫様気質を何らかの形で抱えた女と結婚してしまえば、妻からの軽蔑と家庭からの排除にさらされることだろう。アジアの男達にアドバイスできるとすれば、「カワイイ」女とつきあったりするのをやめろということだ。

 

「カワイイ」など冗談じゃない。そんなものに惹かれる男たちは、身を滅ぼすだろう。自分より劣った(ように見える)女性をパートナーに選んで自らの劣等感をなぐさめてはいけない。とにもかくにも、尊敬できる女性を選ぶことだ。

 

アジアの男達よ、「Kawaii」をぶっ殺せ。

 

男達からすれば「カワイイ」というのは罠だし、女達からしても、「カワイイ」を目指すことで捕まえることができるのは、所詮未熟な男でしかない。

 

アジアの男女よ、「Kawaii」をぶっ殺せ。