物語のはじまるところ その1
むかしむかし、あるところにーー彼女について語ろうとするとき、僕はそんなふうに始めたくなる。全然むかしのことではないけど、まるでそうであるかのように、全然隠すつもりはないけれど、まるで秘密の箱を開けるかのように、僕はそれを語りたくなる。特別なできごとに聞こえるかもしれないけど、本当は誰にでも起こるようなことであって、あるいはこの話を聞く誰しもにすでに起こったことから、そんなに遠くはないだろう。きっと誰もが、僕のような話を、それぞれのやり方で語ることだろう。
いつはいつとていつとも知らず、どこはどことてどことも知らず、僕の、あなたの、誰かの話。
むかしむかし、あるところにーー僕と、ヘイリーがいました。ヘイリー? そう、僕が言った、「彼女」の名前。彼女と聞いて、ある人々は綾子とか春香とか昌美とか結衣とか、そういう名前を思い浮かべたかもしれないが、何はともあれ、ヘイリー・ベイリー、僕のそばにいた、あのコの名前。
まるで、絵本に出てくるキャラクターの名前みたいだ。
そうね。私のお母さん、いろんな童話が好きだったから、そういう名前をつけたみたい。
いい名前だ、僕は好きだよ。
私も気に入ってる。お母さん、いつも掃除をしながら歌を歌うの、自分で作った私の歌、ヘイリー・ベイリーの歌。
ヘイリー・ベイリー
ヘイリー・ベイリー
赤い頰
リンゴのような女の子
秘密の森の緑の中で
さやかな空を見上げるあの子
カナリアたちと歌ってる
ヘイリー・ベイリー
ヘイリー・ベイリー
たぶんまだ会ったばかりのころだったか、そんな話をしたことがある。名前がヘイリー、苗字がベイリー、Hailey Bailey、ささやくような"H"の音と、はじけるような"B"の音を冠に、"L"の音が二回、"Lolita"のように歯の裏を舌が連続でノックして、まるで軽やかなポップスのリズムのように聞こえる。そんな一人歩きで踊りだしそうな名前に負けず劣らず、ヘイリーは魅力的な人だった、少なくとも、僕にとってはこれ以上ないくらいの出会いで、僕はそれを忘れることはないだろう、もし仮に忘れようとしたところで、僕はいつまでもそれを覚えているだろう。ある時は悲しみとともに思い出し、ある時は喜びとともに思い出す、もし万が一、怒りとともに思い出すことがあったとしても、その思い出の奥底には、いつであっても、変わらない笑いと愛情が満ちあふれていることだろう。
むかしむかし、あるところに
僕と、ヘイリーがいました