Re: Writing Machine

Teoreamachineの小説ブログ

つなぐ

 ――また、この手紙だ。

 タカヒロは呟いて、白い封筒を裏と表にくるくる回す。同じ宛先、同じ署名。差出人の住所はない、ただ、封筒の裏面に、Keikoとだけ名前が書いてある。配達のために宛先の住所まで行くと、確かに古い単身者用アパートの一室にたどり着く。だが、郵便受けはガムテープで塞がれていた――ここの住人は、いっさいの郵便物の受け取りを拒否しているのだ。これで何通の手紙をここまで持って来ただろう、律儀に通う自分もどうかしているが、届かない手紙を送り続ける送り主もどうかしている。


 配達不可……という赤いスタンプを押して、郵便局の奥にある保管庫にその手紙を投げ入れる。届かない言葉は雪のように積もり、誰にも触れられず暗い部屋の中でじっとしたまま、廃棄され、忘れられていくのだろう。
 アパートの住人を、タカヒロは一度だけ見たことがあった。高齢の、外国人の男性。冬の日に、人目を避けるように黒いコートの襟で顔を覆い、厳しい顔をしたまま、家の中へ入っていく姿が印象的だった。追いかけて呼び鈴を鳴らしてみるが、壊れていた。なんだって、こんな極東の街でひきこもっているんだろう、とタカヒロは思う。海の向こうからやって来たその男は、手紙も受け取らず、来訪者も拒んで、部屋の中に独りでいるのだ。
 ただ、タカヒロはその男の気持ちが少しくらいは分かるような気がした。タカヒロもまた孤独で、友達も恋人も家族もいない。父親の顔は見たことが無い。タカヒロはアル中の母親の、気まぐれな火遊びから生まれた子供だった。母親はタカヒロが10歳のとき、自動車事故で死んでしまった。酔っぱらって運転した車が、橋の下へ転落したのだ。孤独な人だった、難しい性格のせいで、一生まともな人間関係を作れなかった。タカヒロは、自分が世界で最もみじめな子供だという気がした。事故のあと、タカヒロに話しかける子はいなかった。誰も、タカヒロをどうあつかっていいのか分からなかったのだ。そして、タカヒロもまた、うかつに慰められることを拒んだ。自分の孤独や感情を、ありふれたものだと考える集団に飲み込まれたくなかった。それは、無視されているのと同じだ。


 それから10年経って、今は郵便配達員をしている。しかし、タカヒロは、あの孤独な少年のころから、何も変わっていない。街に紛れて目立たず、決まったコースで街中を巡り、郵便物を届けて回るだけの、単調な毎日。孤独がすり減るほど、単調な毎日。他の孤独な人々と同じようにオタクやウヨクになるわけでもなく、タカヒロは無機質な生を生きるだけだった。


 ある春の日、配達の途中で、ふとアパートの前に咲いたタンポポを見つけた。花に興味はない。だが、その花は、ある少女のことをタカヒロに思い出させた。母親が死んだ後、クラスで唯一タカヒロに話しかけてきた少女がいた。「元気だしてね」
とだけ言って、少女はタカヒロタンポポの花を手渡して去っていった。タカヒロは、ありがとうも言わず、黙ってそれを受け取った。その時は、その少女の行為をなんとも思わなかった、むしろ、うっとうしいくらいにしか思っていなかった。だが、その記憶は思ってもいなかったくらい鮮明に残り、今もなお、こうやって思い出してしまう。


 そして今日もまた、タカヒロは同じ手紙を握りしめていた。Keikoという差出人から、ひきこもった男性へ。
 ――いつまでも、こんなことを続けるのか?
 タカヒロは急に、理由の分からない腹立ちを覚える。この二人に何があったのかは知らない。ただ、いったいいつまで、届かない手紙を送り続けるのか、他人を拒絶し続けるのか。孤独、単調な毎日。この女性と、この男性、そして、自分。タカヒロは衝動的に、郵便受けのガムテープをはがし始めた。無理矢理にでも、手紙を突っ込んでやろうと思った。
 半分まではがしたとき、タカヒロはぴたりと手を止める。ふと、その外国人のことを考えてみた。その男の孤独は、その男だけのものだ。タカヒロは手紙をカバンにしまった、それと同時に、アパートの前で見つけたタンポポの花を思い出す。タカヒロはガムテープを元に戻しておいた、ただし、その切れ端で、ドアにタンポポの花をそっと貼り付けるというおまけつきで。金色のタンポポは、まるで薄汚れたドアから顔を出して咲いているかのように見えた。


 アパートから出た所で、ふと空を見上げる。宵の明星がきらめいていた。タカヒロは、何気なく指をかざすと、暗くなっていく空の中へ、一条の線を引いた――輝く金星と、夜の訪れとともに現れる、名も無い星との間に。”また明日”とタカヒロは言う、それが誰に対してなのかは知らずに。

「あなた」のいない日本語

葉集を読んでいて気づいたのだが、万葉集には「あなた」を指す「汝」という言葉が、「わたし」を指す「吾」と「我」に比べて異様に少ない。第1巻〜3巻で見ると、「我」が104、「吾」が92なのに対して、「汝」はたった5つしか登場しない。

 

日本には「自己」がないなどとよく言われるのだが、「吾」や「我」という言葉は古代から普通に使われている。むしろ、本当に日本に欠けているのは、「汝」つまり「あなた」という認識ではないだろうか。

 

「自己」というのは、自分自身というより、むしろ他人を認識することによって生まれてくる。「あなた」という言葉を使うとき、「わたし」は目の前の他人に差し出されざるを得ない。逃げ場は無く、他人と向き合うことを求められる。

 

「わたし」とかあるいは三人称で語る限り、自分は世界を安全な距離から眺めていられるのだ。しかし、「あなた」という言葉を使った瞬間、私は他人と対峙させられる。「あなた」という言葉は、自己完結した世界に亀裂を入れる。

 

日本語が堪能な外国人と会話をしているとき、「あなた」という言葉ではなく、"you"を使っていたのを思い出す。「あなた」という言葉は、日本語の中に置かれたとき、どうしようもない居心地の悪さを与えてくる。

 

"you"が当たり前に使われる英語と、「あなた」を忌避する日本語。この性質は、古代から現代に至るまで、ほとんど変わっていない。

抵抗の手段ー権力と美と

力に抵抗するときに、真正面からそれをやってしまうのは失敗になる。分かりやすい抵抗は把握しやすいため、攻撃も批判も容易になる。また、その抵抗自体が権力の対概念を成してしまうため、むしろその権力構造の一部としてしか存在し得ないという最大の欠点がある。

 

権力が複雑かつ強大な時、必要になるのは、あいまいだったり微妙だったりする点を突くことだ。おおっぴらに批判される前のギリギリの線をいくとか、権力が把握できていない部分を表現に巻き込むとか、そういう手段。

 

ものすごく卑近な例を出してみるとすれば、例えば華美や色気を封じるために、白色しか着てはいけないみたいな規則があったとき、ヤンキー的に黒を着てみたり裏地に刺繍を施したりするのではなく、白色だけで華美や色気を表現してしまうとか、そういうこと。

 

権力が、あることを禁じるためにコードを設定するならば、コードを破るのではなく、コードを守る姿勢を見せつつ、権力が想定していない形で禁忌を破るという手段を講じる。

 

ファッションの「外し」みたいに、そこにある種のユーモアを混ぜると、権力はなおさら批判しにくくなる。権力が笑いそのものを攻撃することは、それ自身の愚かさを露呈させてしまうからだ。

 

また、そういう瞬間に、「美」というものも強力かつ不可欠な手段となる。美は人を魅了する、理屈がどうこうという以前に、有無も言わさない説得力を生み出してしまうからだ。美しいものは、美しいというだけで一つの正当性を確保する。

 

ゆえに権力は美を所有したがり、美意識を支配しようとする。美しい権力は、最も根底から人々を支配し、服従させる。権力は人をサディストにし、美は人をマゾヒストにする。無意味な暴力の純粋な快楽。美しいものへの服従の純粋な法悦。

 

美意識もまた、闘争の場に他ならない。天皇が美意識と結びついているのは、単に力による支配の産物ではないのだ。むしろ、天皇が権力から切り離されたが故に、天皇は美意識を支配できた。その支配の原型は、平安期の美意識の中に完成したのだ。

 

万葉の中の天皇は、まだ権力を握っている。その美意識は、崇高で雄大なものとして表現されている。だが、力で人々を支配するのは、実は危ういことでしかない。人々がそれを上回る力を手にすれば、その支配は覆されるからだ。

 

むしろ小さく儚いものをあはれがること、春夏秋冬花鳥風月といったものををかしがること、そういった美意識は、力を排除し、抽象的で永遠なるものを祭り上げる。いったん共同体に美意識が共有されてしまえば、それを破壊することは容易ではない。防壁と支配の基礎固めとしての、和歌集の編纂。

 

例えば「西洋的」な崇高なる芸術を輸入し賛美しコピーすれば、それに対抗できるだろうか? そういう試みは、伝統主義者が主張する正統性を破壊するには充分でないだろう。「西洋的」というくくりがある時点で、攻撃力を削がれてしまっているのだから。

 

我々は、自由さの中から美意識を創造しなければならないだろう。万葉集の中から、源実朝の中から、正岡子規の中から、あるいは古今東西の芸術から、あるいはもっと根源的な感情から、美や崇高や笑いを取り出し、伝統主義者を閉口させるような正統性を主張するような美を創造しなければならないだろう。

 

また、新たなものを創造する際には、必ず文脈に対する深い理解と洞察が必要になる。あらゆるポエジーとユーモアは文脈に対して創造されるものであり、ポエジーとユーモアはあらゆる芸術の必要条件だからである。

 

しかしそこへ行くと、普遍性はどうなんだという話になる。それに、馬鹿の一つ覚えみたいに抵抗だ抵抗だと言っても、不毛に響くだけだ。
しかし書く行為について言うならば、アートや音楽とは違い、それぞれの言語の持つ文脈に強く関わらなければならない。単純に翻訳を持ち出して、書くことの自由を主張することはできない。そこでは、どうしても軋轢は必然となる。

 

結局、そこで可能なのは、書き手と言葉の持つ文脈との関わりが生んでしまう軋轢を通して、単純に言語構造に回収できない異物としての「この私」を描くことだろう。その闘争だけは、どんな言語で書く人間にとっても、共通の問題であり、その闘争だけが普遍的なものになり得る。

ストーリーやキャラクターを表現する上で、小説は映画やアニメや漫画に劣るだろうか?

学ー小説は言語の問題に集中すべきだと人は言う。ストーリーやキャラクターを表現するには、映画やアニメや漫画のほうが分かりやすいし、それで十分だと。だが、小説がストーリーやキャラクターを表現することが、単に不便で劣った物にしかならないというのは本当だろうか?

 

小説は、「読む」という行為を要求する。それは、ストーリーとキャラクターを表現する言葉について、読者が常に「それをどう受容するか」という判断を求められているということだ。ページをめくる度に立ち止まり、その言葉について考えなければならない。

 

「読む」という行為は、常に思考と解釈、およびそれに基づく判断とセットであり、時に読者の中に、作者も読者も想像すらしていなかったようなアイデアの萌芽を植え付ける。「読む」という行為は、非常に刺激的で創造的な行為なのだ。

 

むろん、映画やアニメや漫画について解釈を創造することはできる。だが、あえてそれを主体的に行おうとすることは、そもそも鑑賞者に求められていない。イメージを提示するということは、すでにそれだけで説得的であり、解釈の余地は決して広くない。

 

文学ー小説が言語の問題だということには賛成する。だが、まさしく言語の問題であるが故に、小説がストーリーやキャラクターを語ることには、大きな意義があると言ってよい。

 

作者は説明や説得を試みるべきではない。思考と解釈こそを、読者に要求すべきなのだ。読者は他者である。説明や説得を読者に与えようという小説観は独我論的でしかない。私とは全く別の独立した存在が、私の書いたものを思考し解釈する。それこそが、私が文章を書くということなのだ。

「Kawaii」をぶっ殺せ

ろんな国の女の子とつきあったり友達になったりして思うのだけれど、日本を含むアジア人の女性の中には、何らかの形で男性に対する軽蔑が潜んでいる。

 

もちろん、軽蔑という感情は、女性自身の自己肯定感の低さと、男性に対するむやみな期待値の高さから生まれている。

 

アジア社会は女性を主体性から遠ざける、一定の排除を受けるが、その一方で主体的でなくても生きていける構造になっている。ただ、その反動により、女性は保守的なまでに、強い主体性を男性に求めてしまう。男性もまた、主体性を持ちにくい社会であるにもかかわらずだ。

 

また、社会から排除を受けているがゆえに、女性には男性を通じた社会的自己実現という悲しい問題がつきまとう。主体性と社会的ポジションをもたない女性が結婚適齢期になるほど、相手の男性を社会的ランクで選ぼうとする傾向が強くなってしまう。

 

女性の社会進出の時代だと言いつつも、ほとんどの女性は未だ主体性も社会的ポジションも備えてはおらず、その行動には保守的な価値観から逃れられない姿が見える。

 

とはいえ、主体性と社会的ポジションについて未だ女性より強いプレッシャーを受けている男性ですら、ほとんどの人は十分な主体性も地位も持ち得ない。その現実を認識することによってギャップを埋めない限り、女性は男性を軽蔑し続けるだろう。

 

主体性と自己実現から遠ざかった女性が支配権を見いだすのは、たいがいにおいて家庭である。ゆえに女性達は、夫を心から家庭の中に受け入れようとはしない。社会が女性を排除する構造と対になるように、家庭は男性を排除する構造になっている。

 

ソフトバンクのCMが高い好感度を持つのは、実に象徴的なのだ。女性が人の顔をして(兄も人の顔をしているが中途半端な異物として扱われる)、父親が犬として飼われているような姿こそが、もっとも好ましいものとして、家庭に受け入れられる。

 

だから父親というものは、無理に権威的に振る舞って家庭にポジションを築こうとするか、単に軽蔑されているかのどちらかになる。いずれの場合においても、父親は家庭に居場所など持てないし、権威的な父親も軽蔑の対象でしかない。

 

単純なフェミニストは、女性を家庭の犠牲者として描こうとするが、実際には男女双方ともが、家庭の犠牲者になっている。

 

社会が満足に変化しない状態で現実的に何ができるかといえば、男性は可能な限り主体的になりつつ、もし結婚するならできるだけ主体性を身につけた女性を選ぶほうが良いということくらいだろう。

 

自分の自信のなさや主体性のなさを解決できずに、そういう幼児性と共鳴するアイドル/お姫様気質を何らかの形で抱えた女と結婚してしまえば、妻からの軽蔑と家庭からの排除にさらされることだろう。アジアの男達にアドバイスできるとすれば、「カワイイ」女とつきあったりするのをやめろということだ。

 

「カワイイ」など冗談じゃない。そんなものに惹かれる男たちは、身を滅ぼすだろう。自分より劣った(ように見える)女性をパートナーに選んで自らの劣等感をなぐさめてはいけない。とにもかくにも、尊敬できる女性を選ぶことだ。

 

アジアの男達よ、「Kawaii」をぶっ殺せ。

 

男達からすれば「カワイイ」というのは罠だし、女達からしても、「カワイイ」を目指すことで捕まえることができるのは、所詮未熟な男でしかない。

 

アジアの男女よ、「Kawaii」をぶっ殺せ。

父の日に

 

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が父親について考えるとき、頭の中にあるのは常に、「なぜこの人が僕の親なのだろう?」ということだ。

 

僕にとって、父親は(そして母親も)人生の退屈さ、空虚、敗北、といったものの象徴だ。決して強さを感じさせることは無い、独裁者的なタイプでもない、ひたすら寡黙で、他者への関与から遠ざかって生きている、そういう人間だ。

 

従って、僕の家族はオイディプス的ではない。父親の持っているもので、僕が欲しいと思うものは何一つなかった。母すらも――僕にとって母は軽蔑の対象であり、愛憎などとは全く別の感情を抱かせる。

母を求めない、父に同一化しない、僕はそういう子供として、透明な三角形の一角を占めている。

そういう子供が欲望を抱けるのだろうか? 欲望がすべて、誰かの模倣であるなら――対象と、それを求める他人、そして自分、その三角形から生まれてくるのであれば・・・

 

子供としての僕のそばには、常に虚無があった。僕は虚無感とともに育ったのだ。重度の空想癖、幼い僕は常に空想の世界に生きていた。僕は目の前の対象を見ていなかった、なぜなら、具体性のある欲望が、僕の中に植え付けられていなかったから。そういう意味では、ぼくは「欲望」のない子供だった。「欲望」とは、関与のことである。具体的対象と結びつくために、それはオイディプス的回路を必要とするのだ。だが、僕にはそれがなかった。欲望そのものがないわけがない、むしろ、僕はそのエネルギーを人一倍持っていた。ただ、僕の欲望の力は、それが志向する具体的対象を欠いていたのだ。対象を持たない欲望は、暴走し、ひたすらに反復される夜を濃縮したような、奈落を生み出してしまった。

 

虚無――自己/他者感覚の欠落――空想。僕はイメージに取り巻かれて生きていた。言葉と現実感の欠乏した子供。言葉の欠乏といっても、全く寡黙だったわけではない。むしろ人一倍うるさかった。だがそれは、語りと呼べるような代物ではない、僕は、所構わず、自分のしゃべりたいことをひたすら喋っていた、それはまぎれも無い独り言、僕の言語はどこまでも内的で、他人にむけられてはいなかった。多弁性失語症、僕はそういう病を患っていた。病? 正確に言うなら、防壁。僕は僕の虚無から身を守るために、内的言語をばらまいていた。

 

父親は、何でもない人間のように見えていた、事実、何でもない人間だった、僕自身が何でもない人間であるのと、全く同じように。

 

父親の中に、葛藤はなかっただろうか? いや、そういうものは、確かにあっただろう。

父親の父親、僕の祖父は、父親とは別の仕方で他者への関与から遠ざかって生きていた。祖父は口うるさい人間だった、自分の人生から得た教訓を、途切れること無く延々と喋り続ける、節操のない人間だった。もはや自己も他者も見えていないので、同じ話を何度も繰り返す、そういうタイプの話し手だ。祖父もまた、独我論的世界の住人だった。

 

察するに、父親は祖父と正反対の人間になることを選んだのだ。祖父とは対照的に、父親は寡黙だった。阿呆のように喋り続ける祖父に、父親はうんざりしながら生きてきたのだろう。だが、それは果たして正反対なのだろうか? 全く違う人間のように見えて、実は父親と祖父は似てしまっていた。喋り続ける祖父、寡黙な父親、二人とも、別の仕方で他者への関与から遠ざかって生きる人間だった。

 

僕は僕のことを棚上げするつもりはない。僕もまた、祖父と父親のような人間だった。幼い頃の、馬鹿みたいに独り言をまき散らす僕は、まるで祖父のようだっただろう。そして思春期の、外界から断絶して虚無とともに生きていた僕は、父親のようだっただろう。僕もまた、他者への関与から遠ざかって生きる人間だった。

 

他者への関与というのは、別に社交的であるという意味じゃない。関与からの遠ざかり方のパターンはいくらでもある。やたら外交的なくせに全く他人を見ていない人間というのも、この世には掃いて捨てるほどありふれている。やたら尊大な人間、宗教がかった独善者、虚栄心、シニシズム、その他もろもろ、人の孤立の仕方、絶望の仕方には、いくらかのパターンがある。

 

結局、今の僕に、具体的な「欲望」は備わっているだろうか? 答えはノーだ。僕はもともとオイディプス的構造の希薄な人間だった(そこから自由であるという意味じゃない、だからあえてオイディプスモデルを積極的に借用して考えている)、だからアンチ・オイディプスですらない。自分をオイディプス的構造に当てはめることができたら、さぞかし楽なことだろう、楽に生きられることだろう、だが、そうすることができないのが、この僕なのだ。

僕はシンプルに「欲望」して生きていくことができない。だから僕は共同体から遊離する、僕はどうしても僕自身を、アイデンティティとか国家とか家族とか、そういう共同体意識によって回収することができない。

 

ここで、僕はくさびをひとつ打っておこう。この種の議論は、この地点で堂々巡りに入る。だから、その罠にはまらないようにするために、別の視点を持ち込んでみよう。

 

例えば、僕に子供がいたとしたら? 僕はその子供を、いったいどんなふうに見ることだろう?

 

父親は自らの子供を恐れていただろう。祖父を嫌悪していた自分、その子供が、自分と同じように父親を嫌悪することを、恐れざるを得ない。父親は時に父親らしさを誇示しようとすることがあった、子供を劣位に置いて、自らの能力を誇示するような仕方で。だが、古今東西、そういうものが上手くいった試しは無い、顰蹙を買い、軽蔑を蒙る種になるだけのことだ。

 

僕は自らの子供を恐れるだろうか?

少なくとも、今のまま子供を持てば、僕は僕の子供を恐れざるを得ないだろう。僕は父親に対する軽蔑を否定できない、だから、その軽蔑が子供から自分に向けられることを否定できない。そしてその恐れこそが、子供の軽蔑の種になるだろう。

 

僕は父親とは違う人間になろうとして生きてきた、だが、僕は未だ、それを実現できていないのだ。僕が本当に父親と違う人間になったとき、僕は父親を軽蔑しないだろう、僕は父親のことを忘却するだろう、僕にとって父親は存在しなくなるだろう。

 

僕が父親について考えるとき、頭の中にあるのは常に、「なぜこの人が僕の親なのだろう?」ということだ。

僕は父親から人生の退屈さと失望を学んだ、僕は必死でそれに抵抗せざるを得ない。

違う人が父親なら良かったのだろうか? たぶんそうではないだろう。僕が求めているのは、父親など(そして母親も)はじめから存在しなかったという世界なのだ。

 

僕は人生に対する期待を持たなければならない。それは野心とか虚栄――分かりやすくいえば地位・名誉・金、といったものではなく、他者への期待のことだ。

 

他者への期待とは何か?

それはあまりに漠然としている。僕自身、具体的な形をそれに与えることができていない。

もちろんそれは、友達が多いとか、そんなことでは全くない。場合によっては、友達も家族もいなくても、強い他者への期待を持つことができるだろう。

 

僕は今、できるだたくさんの種類の人に会うという実験を自らに課している。本当は「種類」という認識は捨てるべきなのだが、その「種類」から自由になるために、そこを通過している部分もある。他者とは、違う「種類」の人間という意味ではない。

玉石混交の出会いの中で、僕は能うる限り、期待を強くしようとしている。誰でもない他者へ、ぼくは出会おうとしている。まるで、概念でない美を、理念でない崇高を追い求める芸術家のように。

僕がそのような他者へたどり着いた時、僕は他人の中に共同体を見ないだろう、国籍を見ないだろう、家族を見ないだろう、人種を見ないだろう、性別を見ないだろう、僕自身を見ないだろう。僕はその瞬間、父親を他者として見るだろう。

 

いつか、父親は他者になるだろうか?

僕にとって、僕が他者になる瞬間、父親は他者になるだろうか?

あるいは、それは僕にとって僕が他者になる過程の話にすぎないのだろうか?

 

6月21日――父の日――誰でもない他人の日。

雨滴に浮かぶ

 

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 ――り道で会うなんて、びっくりしました。すごい偶然ですね。

 

 仕事帰りにばったり会った小夜子さんから、メールが来ていた。僕はそのメールを眺めて、すぐには返信をしなかった。何となしの、居心地悪さ。

 この人は、僕のことが好きなのだ。僕はそのことに気づいていた。僕に相対した時の、彼女の喋り方、しぐさ、目線、そういったものが、全てを物語ってしまう。ただ、その感情はとても微妙なものだった。小夜子さん自身にしても、それをどうしようかということについて、はっきりとした意思など持っていない。

 小夜子さんは、僕より十歳年上で、旦那もいる、子どもは二人、上の子はもう中学生。けっこう美人で、すでに女性でいることが面倒になってしまっている同年代の多数派とは違い、落ち着いた茶色に髪を染め、化粧も怠らず、身奇麗にしている。

 仕事で関わりのある会社の、事務のバイトをしていた小夜子さんとは、あいさつ程度に言葉を交わす仲だった。どういう経緯で連絡先を交換したかも覚えていない、たぶん、何か仕事でそうする必要があったのだろう。

 「私、静かにしてるのが好きなんです。例えば食事の時、夫も子供もみんなテレビをつけて賑やかにしたがるのがちょっと嫌で。私は落ち着いて食べるほうがいいなって思ってるんですけど」

 小夜子さんが、いつかの会話の中でそんなことを言っていた。やや派手にしている見た目とは裏腹に、彼女は繊細な人だった。僕と喋るとき、いつも、控えめに、戸惑うように、ぽつりぽつりと言葉を話す。

 

 ――ホントですね。いつもあの時間帯なんですか? 僕は普段より早かったんですけど。

 

 当たり障りなく、僕はメールに返事をする。僕としても、小夜子さんとどうこうなりたいとは思ってない。ただ、つっぱねることもできなかった。彼女は、自分の感情に戸惑っていて、それをはっきりと僕に向けてこようとはしない。その戸惑いと曖昧さのせいで、僕もきっぱりとした態度を示せないのだ。僕に期待をかけている、でも、不倫をしたりする度胸など彼女には微塵もない。

 

 ――そうです。いつも、あそこを通ってスーパーに寄ってから帰るんです。献立を何にするかって考えながら。

 

 その言葉で、急に陳腐極まりない日常に引き戻される、彼女の間に感じていた色恋の危うさが退いてしまい、単なる知り合いの奥さんと喋っているような気分になった。

 

 ――大変ですよね。

 

 僕は逃げるために距離をとるようにして、短い返事をよこす。

 

 ――それじゃあ、また。見かけたら声かけてくださいね。

 

 僕のその感じを察したのか、なんとなく冷静になったのか、彼女のほうからやりとりを打ち切るメールが来た。

 

 ――それじゃあ。

 

 できるだけ短い言葉で、僕もそのやりとりを打ち切る。

 あるいは、僕も優柔不断なのだろうか。不倫なんていうややこしいことは全くごめんこうむりたいのだが、十歳も年上の女性に好意を向けられていることと、そしてこの危うい距離感には、妙に魅力的なところがあるのは否定できなかった。その言葉のやりとりの後の、口の中に残る甘さとざらつきを、繰り返して味わいたくなってしまうのだ。僕が本当に小夜子さんとの関係性を嫌がれば、距離を取ることなど難しくないはずだが、僕は、それをぐずぐずと手の届くところに置いておいたままでいる。

 

 

 僕は仕事に出かける、ほとんどルーチンとなった仕事を、そつなくこなす。事務はおろか、対人折衝ですらルーチンだ。それは、労働が僕を非人間的にするという皮肉で言っているのではなく、ルーチンにするほうが上手くいってしまうということにすぎない。仕事がルーチン化するというのは、ほとんどの職業においてそうだろう。円滑に交渉をするにも安定的に利益を出すにも、物事はルーチンであるほうがいい、リスクもコストも、そのほうがはるかに小さくなる。会社もそうだし、学校も家庭もそうなっている。ルーチンが行き届いていれば、我々の生活は豊かになり安定していく。社会の隅々にまで浸透したこのルーチンの陳腐さは、我々の社会の繁栄の証なのである。

 そして帰り道、まるで起き抜けのように鈍磨した感覚で、ふらふらと歩く。睡眠にしろ、仕事にしろ、僕はとにかく寝覚めが悪い、意識の状態の切り替えのスピードが遅くて、しばらくは大麻でも吸ったように夢うつつだ。あるいはたいてい、帰りの電車でも僕はうとうとしている。僕が本当に目覚めている瞬間など、果たして存在するのだろうか。なんだかうなだれた人のように頭を下げて、僕は歩道の敷石の模様をなぞるように視線を向けて歩いて行く。その日はポツポツと雨が降っていた、傘を持っていない僕は、落ちてくる雫を浴びて思わず目を閉じる。通い慣れた道、このままずっと目を開けなくてもたどり着けそうだ。

 目を閉じていたのは、ほんの一瞬だった、でも僕は、その一瞬の間に夢を見たような気がする。ほんのりと湿った温かい桜色の霧の中で、空から、真っ白い衣に包まれた女性が落ちてくる、ゆっくりと、まるで浮遊しているかのように見えるくらい、ふわふわと、しかし確実に、重力に引っ張られていた。はじめ女性の表情はこわばっていたが、その奥からはじわじわと恍惚が滲み出てくる。僕は何もしない、つっ立ったままで、それを見上げている。やがて、僕は崖のような所にいることに気づく、女性を受け止める地面はない、このままもっと下まで落ちて行くことだろう。そう思ったとおりに、女性が目の前を落下していく、僕と女性の目が合う瞬間、僕はそこに恍惚の絶頂にいる女性の表情を見た。僕は身震いする、それは、この上なく魅力的でありながら、おぞましい表情だった。

 

 

 目を開けた僕は、驚いて立ち止まる。そこには小夜子さんが立っていた、僕とは対照的に、驚いた様子もなく、それどころか僕が来るのをお見通しだったとでもいうように、恬然として、僕を見つめている。

 「また、偶然ですね」

 「――そうですね」

 僕はうなずいた、小夜子さんは笑みを浮かべている、僕はうなずいて考える、なぜ、小夜子さんは笑っているのだろう。

 「今日も早いんですね」

 「閑散期なので」

 「このまま、帰るんですか?」

 「ええ、まあ……」

 別に普通に帰るのかどうか聞かれているはずなのだが、本当に帰ってしまうんですか、と問い詰められているような気がする。今日の小夜子さんは、いつもの、臆病でさえある控えめさから、一歩前に出て話しているような感じだった。

 「今日も、スーパーへ行くんですか?」

 妙な沈黙が挟まったのを忌避して、僕の方から質問をきりだす。

 「ううん」

 小夜子さんは首を横に振る、その仕草はいたずらっぽい少女のようだった。

 「今日は、夫が子供たちを連れて、実家に帰ってるんです」

 「小夜子さんは行かなかったんですか?」

 「私は仕事があったし、ほら、夫の実家に行っても、ね」

 小夜子さんはそう言って、困惑するような笑みを作ってみせた。

 「まあ、そうですよね」

 未婚の僕にはそこまでのリアリティのない話だが、そういう気苦労は想像できなくない。

 「夫はときどき休日出勤があるから、今日は代休なんです」

 「なるほど」

 「急に決めるんです、夫は。昨日の夜に、思いつきみたいに、明日は子供を連れて実家に帰るって言い出して。子供も私のことなんてお構いなしに、夫に付いて行くし」

 小夜子さんはグチっぽくなったのを取り繕って笑みを作るが、口元がかたくなってぎこちない。

 「勝手なもんですね」

 僕は小夜子さんを安心させようと、同意を示す。それを聞いて、小夜子さんの笑みはいくらか自然になった。

 「ほんと、勝手なんだから」

 その言葉は、どこか寂しげに響く。雨脚が徐々に強まっている、その雨の一筋が、僕の頬をかすめて落ちた。

 「あっ」

 小夜子さんが短く声をあげる、そしておもむろに、僕の頭の上に傘を差し出した。

 「ごめんなさい、気付かなくて」

 ぽつ、ぽつ、と、僕の頭の上で小夜子さんの傘が雨滴を受け止めている音が聞こえる。

 「大丈夫ですよ」

 「でも……」

 「いや、本当に。気にしないでください」

 僕は少し強情な体で、小夜子さんの傘を押し戻す。その瞬間、小夜子さんと手が触れ合ってしまい、僕は慌てて手を引っ込める。少し大げさで、不自然な動作になった、それはたぶん、僕が小夜子さんの気持ちについて何かしら意識してしまっていることを伝えるには充分だった。

 目があってしまい、二人とも無言になる。さっさとその場から逃げたほうが良かったのだろうが、その気まずさには、抗えない魅力がある。

 「あの」

 小夜子さんが切り出す。僕はもう、その瞬間にはすでに観念していたような気がする。

 「雨宿りして、行きません?」

 「……そうですね」

 僕は空を見上げる、ぱらぱらと顔を濡らす雨に、目を細めた。

 「どこかで、晩ご飯でも」

 僕はうなずいた。灰色の空は、まだ明るく輝いていて、僕は何だかくらくらしてしまう。

 

 

 僕は小夜子さんと、イタリアンレストランに入り、カウンター席の一番奥を選んで座った。正面を向いて座るのは少し耐えられないような気がして、僕は横並びの席を選んだ。

 「何か、ごめんなさい。私となんかより、もっと若い子と来たほうがいいよね、こういう店」

 小夜子さんは、恥ずかしそうにうつむいていた。本来の繊細さと、僕を誘うような大胆さの間で感情が揺れ動いているのがありありと見て取れた。僕は妙な優越感と、同情にも似た優しさを感じ、彼女の肩を抱きたい衝動にかられる。

 「いえ、そんなことないですよ」

 そう言って、僕は自らを抑制するように、彼女の目を見ずにメニューに視線を落とし、素早くオーダーを決める。

 「でも、彼女とかに悪いかな……」

 「彼女いないですし、別に」

 小夜子さんの表情が少し明るくなる、本人は隠そうとしているようだったが、あまりそういう演技は上手くなさそうだ。

 「どうして?」

 「どうしてって、ただ単にいないだけですよ」

 「慎重に候補を選んでるのね、モテるから」

 「そんなこと、ないですけど」

 運ばれてくる料理に手をつけながら、僕は答える。

 「でも、いいよね。まだ、いろいろ恋愛楽しめるから」

 「楽しむ余裕なんて、ありませんけど」

 探るような質問に、やや辟易して、淡白な言い方になる。

 「私なんて、旦那しか知らないんですよ。恥ずかしいけど」

 急にそんなことを言い出して、ごまかすように小夜子さんは、あはは、と笑う。本当に恥ずかしいのだろう、声がだいぶ上ずっていた。

 「意外ですね、小夜子さん、美人なのに」

 「美人だなんて。私、すごく奥手だったから……」

 小夜子さんはずっと笑っていたが、顔はますます赤くなる。パスタをすくうフォークを握る手に、妙に力が入っていた。僕はその指先を見る、爪は磨かれているのか、つやつやとして健康的だ。僕の視線に気づいたのか、小夜子さんはその手をかばうように、テーブルの下へ引っ込める。

 「もっといろいろ恋愛しておけばよかった、なんて思うもんなんですか」

 「ええと、何ていうか……」

 本心ではそう思っていても、はっきりと答えにくい質問だった。染められた髪、きれいに整えられた化粧、それは小夜子さんの控えめな性格と、ややアンバランスなものだ。そこに、自分が女性として若さを失っていくことへの戸惑いが表れているのかもしれない、と僕は想像する。誇張ではなく、彼女は本当に夫としか付き合ったことがないのだろう。どんな恋愛だったかは分からない、もしかしたら、たまたま適齢期にそばにいた男性に迫られ、自然のなりゆきのように結婚してしまっただけなのかもしれない。全ては僕の想像の域を出ないことでしかないのだが。

 「じゃあ、質問を変えます」

 うん、とうなずいて、小夜子さんは気持ち少し身構える。

 「もし、今、結婚してなかったら、誰かと恋愛したいって思いますか」

 自分で質問しておいて、何でこんなことを言いだすのだろうと僕は思う。小夜子さんは言葉につまり、ますます恥ずかしそうにテーブルの上の料理を見つめている。僕は、その姿に魅了されていた。小夜子さんの美しさというより、何か、ほんのわずかな衝撃で崩れ落ちそうな危うさに。僕は、自分のずるさを自覚していなかった。この安全な場所から、落下の誘惑にかられている小夜子さんを見ている。一歩先へ踏み込む気もないのに、僕に好意を寄せる彼女を、その自覚もなしに、弄ぼうとしてしまっている。

 「……そんな憧れも、あるのかもね」

 口を開いた小夜子さんと、一瞬目が合う。その瞳には、深海のように不可視の青い影がさしていた。深さの誘惑、もちろん、小夜子さんが堕ちていくときは、僕も道連れなのだ。

 「でも」小夜子さんは、慌てたように言葉をつなぐ。「それは結構多くの人が一度は考えることじゃないかな。やっぱり、夫婦って常に円満なわけじゃないし」

 じゃあ今は夫とうまくいってないんですね、と思わず質問しそうになる。あまりに立ち入りすぎだった。だけど、僕は徐々に、どうしても小夜子さんを突き落としたくなる欲動と、その非合理な行為を抑制する理性の間で揺れ始めていた。

 僕も小夜子さんも、途切れがちな会話の中で、食事を進めていた。でも、危うい距離感を、指先でいじくるようにするほどに、二人は、何処か遠くへと、押し流されていく。波に揺られ、気付かないうちに陸から遠いところへ運ばれてしまう、一艘の船に乗っているように。僕と小夜子さんの目が合う時間と頻度は、確実に増えていた、もはや、二人ともそれを恐れなくなり始めていたのだ。

 「さっきの話なんですけど」

 「うん」

 「もし、戻れるなら、何歳に戻って、恋愛したいですか」

 「……結婚する前くらいかな、やっぱり。だから、二十六歳くらい?」

 「相手は? どんな人?」

 「さあ、そこまで具体的に思い描いたことなんて、ないけど。でも、年上で、三十歳くらいが、いいかな」

 その時、僕はあまりに不用意に、遠くへ来すぎてしまったことに気付く。三十歳といえば、僕の年齢なのだ。そして、小夜子さんは今、二十六歳になってしまっている。こんな火遊びは、僕の領分じゃない。火遊びに不慣れな子供たちには、加減が分からない。気がついたときには、とっくに燃え広がっている。

 再び、小夜子さんと目が合う。その目には、とうに、過剰な期待が、本人も自覚せざるを得ないような欲望の火をたぎらせつつあった。小夜子さんを包んでいた清楚さや臆病さが、あられもないほどにはがれ落ちていく。僕はめまいがしそうだった、小夜子さんという人ではなく、淫乱で蠱惑的な妖怪を、目の前にしているような錯覚がまぶたをくすぐる。息が詰まる、そのまま、悲鳴にも似た声をあげてしまいそうだった。

 「そろそろ、出ましょうか」

 平静を装い、やや突然ともとれるタイミングで僕は帰る準備を始めた。

 「そうしましょうか」

 小夜子さんがうなずく。その目が、ずっと僕を見つめていた。僕の意図を探り、問いかけるような視線。期待は、さっきまでより爛々と輝いている。たまらず、僕は目をそらした、それが、小夜子さんに対する一つの裏切りのような行為になると知りながら。

 

 

 雨脚はさらに強まっていた、そのまま外へ出れば服がびしょびしょになってしまうくらいで、傘なしで歩くのははばかられた。

 「ずいぶん、降ってますね」

 店の入口で、僕と肩を並べた小夜子さんがつぶやく。薄暮れの雨は、夕日の名残を留めるようにちらちらと輝き、物憂げな小夜子さんの美しさを際立たせている。

 「でも、ここで待っていても止みそうにないです」

 僕は、このまま逃げおおせるつもりだった。完全に潮時だ、どうせなにもしてやれないのだから、彼女に期待を抱かせるようなことをしてはいけなかったのだ。

 そして僕は、小夜子さんをわざと突き放すかのように、雨の降る通りへと足を踏み出した。

 「あっ」

 慌てて、小夜子さんが追いかけてくる、それと同時に、僕の頭上に傘を差し出した。その時、僕はまた、自分の行動が裏目に出ていることを悟らざるを得なかった。思わず立ち止まった僕と、身を乗り出した小夜子さんは、互いの距離感をつかめず、僕が彼女の体を受け止めるような格好でぴったりとくっついてしまう。

 「ごめんなさい」

 うろたえてそう言った小夜子さんだが、僕から身を離そうとはせず、じっと上目遣いになったままだった。

 「行きましょう」

 妙な沈黙に耐えられそうもなく、僕は再び逃げるように、小夜子さんから距離を取る。それでも、小夜子さんは僕の横にぴったりくっついて歩き出した。細い指で握りしめた傘が二人の体を覆うよう、そっと、僕の肩のあたりにその手を掲げている。

 僕は無言だった、何か間違いが起こらないように、駅まで足を速めた。僕が何も言おうとしないので、小夜子さんは不満そうだった、口を固く結んで、体の奥底の痛みを我慢するかのように、瞳を震わせて、僕の方を、見るともなく見ている。僕も、痛みを感じていた、それが小夜子さんのと同じものなのかどうなのか、全く分からずに。駅が見えてくる、建物から漏れる光が、細かい雨筋に反射する、だが、僕の目には、むしろその間隙の闇が映っていた。その闇に、引っ張りこまれそうになると同時に、雨の輝きが、僕を突き放す、その感覚に、まるで酔っ払ったように、次第に頭がぼうっとしてきている。少しでも、その酔いを覚ましたくて、僕は暗くなった空を見上げた、暗さのせいで、空の高さは全く測れない、だから、この場から逃れるように、自分の意識をずっとずっと高いところへ運ぼうと試みる。駅は明るい、とてもとても。こんな暗い雨の夜でも、正確に電車は動き、その動きに合わせて、人々も正確に動く、ひとつのルーチン、ひとつの永遠のように。なんと我々の社会は繁栄していることだろう。人は、その繁栄の絶頂で、崩壊の夢を見るだろう。堕ちていく人は美しい、我々は堕ちていく人から目を離せない、もっともっと高いところへ、高ければ高いほど、堕ちていく時間は長くなる、その喜悦の時間が長くなる。凍りつくような、冷たい喜悦。

 駅の手前まで来ていた、暗闇はそこで終り、もう少しで、駅の光の中へ、僕は避難できる所だった。そのタイミングで、小夜子さんが突然立ち止まる。僕は、一歩だけ先へと進み、同じように立ち止まる。どうしたのかと、どうしたのか分かっているくせに、僕はしらじらしい怪訝な顔を、小夜子さんに見せてしまう。

 「どうして――」

 急に小夜子さんが口を開いた。その声は、まるで怒りに震えているようだった。

 「えっ……」

 「どうして、何も言ってくれないんですか」

 そのまま、僕と小夜子さんはずいぶん長いこと見つめ合っていた。小夜子さんの眼の奥で、炎がたぎっていた。あらゆる感情を無秩序に、見境なく突き動かしてしまう欲望の炎。その目を向けられた僕は、麻痺してしまう、あとは、観念するだけ。何も言えない、何も出来ない、主導権は、完全に小夜子さんのものだった。

 信号が変わり、動き出した車が通りすぎていく、何台も何台も、不定形のリズムで。過ぎていく車の音と光が、何度も何度も、そのリズムを形成しそうになるが、結局、何度も何度も崩れ落ちていく。裸の小夜子さんが、僕の目の前にいる、炎に包まれ、身を焦がし、もはや何も恐れてはいない。おとなしく、控えめで、自分の生に戸惑い、惚れてしまった十歳も年下の男に弄ばれてしまうような、弱々しく貞淑な女性は、どこかへ消えてしまった。

 小夜子さんが傘を落とす、一度だけ、傘はアスファルトの上で弾み、二人の足元を転がった。僕は小夜子さんのほうを見てはいなかった、だけど、そうすることによって、彼女が何をしようと、僕はただ受け入れるがままになる、そのことを、僕は理解していた。駆け寄るように、小夜子さんは僕に抱きつく、僕は従順に、小夜子さんのほうへ頭をかがめる、小夜子さんは僕のえりをつかんで手繰り寄せ、そのまま僕の唇にキスをした。

 二人とも、そのまま動こうとしない、僕は身をすくませ、えりをつかんだ小夜子さんの手の震えを感じていた。周囲の静寂はひどく重い、その重さに耐えられず、何もかもが崩れ落ちていく。じっと動かない二人の、唇だけが、確かな欲望の炎にもだえるように、ゆっくりと、互いの存在を探るように、密着したままうごめいていた。明るさも暗さも、もはや感じられない。その静寂の重さの中で、僕は、そしてきっと小夜子さんも、どこまでも高く浮き上がっていく、体の軽さに恍惚としていたのだった。