Re: Writing Machine

Teoreamachineの小説ブログ

最後の物語 その1

 じ問いがかけられている。主人公は追放に値するのか? 神話はつねに「そうだ」と答える。聖書の物語は「そうではない」、「そうではない」、「そうではない」という。オイディプスの生涯は追放で終わり、その決定的な性質が彼の罪を確証している。ヨセフの生涯は勝利に終わり、その決定的な性質が彼の無罪を確証している。

 __ルネ・ジラール『サタンが稲妻のように落ちるのが見える』

 

 

 もし原型と呼べる一つの物語があって、そこに物語の体系が織り上げられ張り巡らされ構築され人々を呪縛しているのだとすれば、その体系を終わらせる様な「最後の物語」を書いた人は、物語の「外」へ出ることになるのだろうか。それはもちろん外でもあり内でもあるような「場所」なのだが、そのような特異点に立ったとき、その人の目にはいったいどんな景色が見えるだろうか。その景色を見たとき、その人の胸にはいったいどんな言葉が溢れてくるのだろうか。

 

 

  *

 

 

 地響きが続いていた、断続的に、わずかな時間、それを恐怖する者にとってはひどく長い時間。この地方では、まるで大地の発作のように定期的に小さい地震が起きる。あるいは大地は病んでいるのかもしれない、その上に無数の建築物を突き立て、欲望の赴くままに活動し愚かな行為を繰り返す人々のせいで。まことしやかに、隠された海底火山の蠢きが、遠く離れたこの地方に影響しているのだと言う人もいた、迷信深いむかしむかしの人などは、地の底を、壇ノ浦で取り返した草薙の剣を咥えたヤマタノオロチが這いずり回っているのだなどと言っていた。それほど遠い過去の時代から、この地響きは繰り返し起こってきた、大惨事の前触れのような不穏さで、それは続いている。だから人々はそこに、超越的な、あるいは神話的な意志を感じざるを得なかった。この地方では昔からずっと、たくさんの不幸が起こってきた、貧しい世帯が多く、ちょっとした窃盗などの犯罪や暴力沙汰は珍しくない、エスカレートすれば殺人に至ることもあった。時代が移ろい、人々が流動し、新しい施設ができて街の形が変わろうが、何か神話的な呪縛に捉えられているかのように、それは続いていく。無数の命が生まれ、定められたありふれた生を送って死んでいく。その中のわずかな割合の子どもたちは、神話の終わりを夢見たかもしれない。しかし夢はしょせん夢のままに、泡のように漂い、流され消えていった。夢を見る子どもたちは、生まれ落ちた世界に暴力的に運命付けられた生の中で、命を賭して叫び声を上げたことだろう。けれどもその叫びは、誰にも聞かれることなく、誰にも記述されることなく、その地響きの中へと、かき消されていく__。

 

 

  *

 

 

 その男の子は部屋の隅に立って、もう一人の男の子を見ていた。父親に腹を殴られてうずくまっている。声は出さない、涙も流さない。そうするなと言われているから、泣けば余計に痛めつけられるから。

 「テーブルのそばで遊ぶなって言っただろうが!」

 父親の怒号が響く。テーブルの上には食べかけのコンビニ弁当と、倒れたアルミ缶が一つ。こぼれたビールが、床に広がった漫画雑誌にぽたぽたしたたって、見開きのグラビアの水着姿の女性を濡らす。美しくなめらかな肌がふやけ、魔法をかけられて老いていくかのようにしわが寄る。男の子の姉は、小さなウサギのぬいぐるみを抱いて、心配そうに見つめているけれども、恐怖で身動きが取れない、弟を助けることなどできない。むくんだ顔の母親は視線をそちらに向けているものの、重そうなまぶたが覆いかぶさった目はあまりに無気力でどんよりとして、その光景が見えているのかどうかすら定かでない。

 「なんで言うことが聞けないんだ、お前は?」

 父親は男の子を痛めつける、頭を小突く、頬を張る、傷跡が残らないように、誰かが児童相談所などに通報しないように、巧妙に手加減しながら。男の子はそれでもじっと耐えている、膝の下にはスナック菓子の空袋が落ちていて、身じろぎをするたびにカサカサと音を立て、カーペットに埋もれた食べかすが肌をちくちくと刺す。男の子はまるでゴミ箱のように、父親が投げ捨てる暴力を忍受し続ける。痛みにあえぐ度、隣の台所から、こまめに捨てるのを母親が面倒くさがるせいで放置された生ゴミが臭う。息が詰まるようなその悪臭は、この世に逃げ場などないのだということを、男の子の意識の底に刷り込んでいく。

 「これはしつけや。お前の根性を叩き直してやってるんだ」

 と父親は言う。けれども怒りに歪んだその顔の、口元のかすかな緩みには、快感の影が読み取れる。無力な者を圧し潰して壊してしまうという行為から、彼は自覚しないまま悦楽を貪った。

 

 暴力が過ぎ去った後、男の子に訪れるのは安堵感ではなく虚脱感だった。自分の精神の核のようなものが、父親に根こそぎ奪い取られてしまって、もう何も残っていない。破れてしぼんだ水風船のようにうなだれて、明るい色彩だけが力なくきらめいて、透明になって消えてしまう。そうすると、部屋の隅に立っていた男の子の身体がふっと浮き上がり、殴られていた男の子にゆっくりと近づいていく、いや、帰っていく。そして二人は一つに戻り、どこか壊れた箇所がないか探るかのように、慎重な動作で体を起こすのだ。ただし男の子はその間ずっと無表情でいる、まるで今まで殴られていたのが、誰か全く別の人間だったかのように。それは虐待が日常になった男の子が身につけた、身体から心を分離するという「技術」だった。極度の緊張と興奮で乾いていた口の中に、まるで涙の代わりのような唾液が溢れてくる。さんざん殴られたせいで舌の上に残った苦味とかすかな甘みが溶けていった。

 

 

最後の物語 その2へ続くーー